東日本で最大の陶器の産地は、栃木県の益子(ましこ)です。現在200~300軒の窯元が有るとさえ
言われています。益子焼は1853年に大塚啓三郎によって創業され、主に台所用品(雑貨)として、土鍋、
土瓶、擂鉢、甕(かめ)などを生産し、関東一円に販売していました。
1924年に民藝の大家、濱田庄司氏が当地に窯を築き、作家活動を始めたのが転機になり、民藝陶器の
生産を行う様になります。濱田氏の指導を得ようと多くの陶芸家が、益子に集まる様になり
現在では、民藝以外の多種多様な作品が作られています。外国の人も大勢作陶しています。
益子の窯元の家に生まれた佐久間藤太郎氏は、濱田氏に師事しながら、益子に留まり益子焼の発展に
寄与していました。
1) 佐久間 藤太郎(さくま とうたろ): 1900年(明治33) ~ 1976年(昭和51)
① 経歴
) 栃木県芳賀郡益子町で、窯元であった佐久間福次郎の長男として生まれます。
) 高等小学校卒業後、益子陶器伝習所で学び、家業の陶器造りに従事します。
) 1924年(大正13年) 濱田庄司氏(当時30歳)は、英国より帰国し、佐久間宅に寄寓し
作陶を行います。その後、濱田氏は益子に登窯を築き、定住する様に成ります。
藤太郎氏は住まいも近い事もあり、濱田氏に師事する事になります。
) 1925年 商工省工芸展工芸展で民芸風の花瓶が入選します。
1927年 国画会工芸部で、入選を果します。
1928年 東京小石川護国寺で初の個展を開催し、同年、板谷波山が主宰する東陶会の会員と
なります。翌年東京田端興楽寺で、個展を開催し板谷波山の知遇を受けます。
その後、東京神田、東京高島屋、神戸大丸、仙台三越、新潟市、宇都宮等で多くの個展を
開催し、作品の販売を行っています。作品は好評で、飛ぶ様に売れたと言われています。
② 佐久間 藤太郎の陶芸
佐久間氏は濱田氏の影響を強く受けます。轆轤技術に長けた佐久間氏は、同一寸法の作品を
大量に挽く事が出来る腕前でした。しかし民藝陶器は寸法や形に囚われず、思ったままを表現する
量産ではない、一品作品で有った為、その魅力に取り付かれます。
) 絵付
釉も自由に使い分けていますが、彼の特徴の一つに鉄絵があります。
筆で描いたり、黒釉や柿釉をスポイトで流し書きしています。「鉄砂笹絵酒器」(1930)、
「白磁草絵鉢」(1931)、「柿釉筒描鉢」(1935)、「色釉流掛大皿」(1948)等の作品があります。
) 刷毛目
刷毛目の技法は早い時期から取り入れ、愛用しています。
大胆な筆使いで、一見落書きの様な自由奔放さを持っています。「白刷毛目文注瓶」(1932)
「牡丹刷毛目深鉢」(1934)、「地掛刷毛目皿」(1948)、「牡丹刷毛目櫛描大皿」(1950)、
「柿刷毛目大皿」(1950)、「柿釉刷毛目花瓶」(1961)等の作品があります。
) 釉は益子伝来の並白(なみじろ)、糠白(ぬかじろ)、柿、黒、飴、益子青磁(緑)と
種類は少ないですが、刷毛目、流掛、スポイト掛などの技法を自由に使いこなしています。
次回(ゲルト・クナッパー氏)に続きます。
言われています。益子焼は1853年に大塚啓三郎によって創業され、主に台所用品(雑貨)として、土鍋、
土瓶、擂鉢、甕(かめ)などを生産し、関東一円に販売していました。
1924年に民藝の大家、濱田庄司氏が当地に窯を築き、作家活動を始めたのが転機になり、民藝陶器の
生産を行う様になります。濱田氏の指導を得ようと多くの陶芸家が、益子に集まる様になり
現在では、民藝以外の多種多様な作品が作られています。外国の人も大勢作陶しています。
益子の窯元の家に生まれた佐久間藤太郎氏は、濱田氏に師事しながら、益子に留まり益子焼の発展に
寄与していました。
1) 佐久間 藤太郎(さくま とうたろ): 1900年(明治33) ~ 1976年(昭和51)
① 経歴
) 栃木県芳賀郡益子町で、窯元であった佐久間福次郎の長男として生まれます。
) 高等小学校卒業後、益子陶器伝習所で学び、家業の陶器造りに従事します。
) 1924年(大正13年) 濱田庄司氏(当時30歳)は、英国より帰国し、佐久間宅に寄寓し
作陶を行います。その後、濱田氏は益子に登窯を築き、定住する様に成ります。
藤太郎氏は住まいも近い事もあり、濱田氏に師事する事になります。
) 1925年 商工省工芸展工芸展で民芸風の花瓶が入選します。
1927年 国画会工芸部で、入選を果します。
1928年 東京小石川護国寺で初の個展を開催し、同年、板谷波山が主宰する東陶会の会員と
なります。翌年東京田端興楽寺で、個展を開催し板谷波山の知遇を受けます。
その後、東京神田、東京高島屋、神戸大丸、仙台三越、新潟市、宇都宮等で多くの個展を
開催し、作品の販売を行っています。作品は好評で、飛ぶ様に売れたと言われています。
② 佐久間 藤太郎の陶芸
佐久間氏は濱田氏の影響を強く受けます。轆轤技術に長けた佐久間氏は、同一寸法の作品を
大量に挽く事が出来る腕前でした。しかし民藝陶器は寸法や形に囚われず、思ったままを表現する
量産ではない、一品作品で有った為、その魅力に取り付かれます。
) 絵付
釉も自由に使い分けていますが、彼の特徴の一つに鉄絵があります。
筆で描いたり、黒釉や柿釉をスポイトで流し書きしています。「鉄砂笹絵酒器」(1930)、
「白磁草絵鉢」(1931)、「柿釉筒描鉢」(1935)、「色釉流掛大皿」(1948)等の作品があります。
) 刷毛目
刷毛目の技法は早い時期から取り入れ、愛用しています。
大胆な筆使いで、一見落書きの様な自由奔放さを持っています。「白刷毛目文注瓶」(1932)
「牡丹刷毛目深鉢」(1934)、「地掛刷毛目皿」(1948)、「牡丹刷毛目櫛描大皿」(1950)、
「柿刷毛目大皿」(1950)、「柿釉刷毛目花瓶」(1961)等の作品があります。
) 釉は益子伝来の並白(なみじろ)、糠白(ぬかじろ)、柿、黒、飴、益子青磁(緑)と
種類は少ないですが、刷毛目、流掛、スポイト掛などの技法を自由に使いこなしています。
次回(ゲルト・クナッパー氏)に続きます。