わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸128(小野珀子2、小野次郎)

2012-06-01 21:31:07 | 現代陶芸と工芸家達

③ 小野氏の作品

  珀子氏は繊細な模様、鮮やかな色彩溢れる作品を数多く作っています。

 ) 文様は、台形や不定形な四角形を隙間無く敷き詰めた物や、適度に間隔を空けた文様、

     丸や楕円の文様を散りばめた幾何学的文様(輪郭をボヤカシタ物など)や、紫陽花、葡萄等の

     写実的な植物文様、更には鳥等の文様があります。

  ) 色彩に付いても、透明系の釉、赤(茜)釉系、黄釉系、青釉系の色釉が施されています。

  ) 透明系の作品: 「釉裏金彩花入」(高 34 X 径 25cm)(1979年)

     黄系の作品: 「釉裏金彩黄釉壺」(高 31 X 径 28cm)(1981年)

               「釉裏金彩黄釉水指」(高 14 X 径 20cm)(1982年)

     青系の作品: 「釉裏金彩青釉鳥文壺」(高 25 X 径 31cm)(1976年)

              「釉裏金彩青釉紫陽花水指」(高 16  X 径 22cm)(1980年)

              「釉裏金彩青釉壺」(高 29 X 径 37cm)(1982年)

              「釉裏金彩葡萄文壺」(高 28 X 径 29cm)(1982年)

     赤(茜)系の作品: 「釉裏金彩紅釉壺・茜の森」(高 34 X 径 37cm)(1981年)

      ) その他、金襴手の作品も多く作っています。組み物の食器類などです。

       「金襴手草花文小鉢」(高 8 X 径 13cm)(1981年)などの作品です。 

2) 小野 次郎(おの じろう): 1953年(昭和28)~2010年(平成22)

 ① 経歴

   ) 陶芸家小野珀子の次男として生まれます。

      (尚、長男太郎氏は、陶芸の世界には入らなかった様です。)

      21歳の時 有田の窯業試験所で轆轤の修行に入ります。その後祖父が設立した琥山窯に

       入り、1977年頃より、本格的に作陶を始めます。

       母や叔父(祥瓷=珀子の実弟、琥山窯を経営)の作品や制作方法に触れ、刺激を受けます。

      1978年 日本工芸会西部工芸展に入選し、以後連続入選しています。

      1979年 第26回日本伝統工芸展で、初入選を果たします。以後連続入選。

      1982年 日本工芸会正会員になります。

       以後、日本陶芸展、伝統工芸展などで入賞、入選を数多く果たしています。

      2000~2001年 「大英博物館佐賀県陶芸展」(大英博物館ジャパンギャラリー:佐賀県、

       佐賀県陶芸協会、佐賀新聞社主催)の出品の「釉裏金彩花入」が2001年 大英博物館に

       収蔵されます。

      2002年 琥山窯を退社し、琥珀陶芸舎を開窯します。

       同年 東京・大阪・神戸・新潟・福岡などで個展開催しています。

      2010年 佐賀「県陶芸協会展」に次郎氏の遺作、「釉裏金彩壷」が喪章とともに展示されます。

        大小の円の金箔が、青釉の下から神秘的に浮かび上る作品になっています。

 ② 小野次郎氏の陶芸

    現在、「釉裏金彩」の技法は、公になっていますが、手間が掛かり、大量生産できない為、

    この技法に取り組む人は少ない様です。漆で金箔を貼る行為が一番大変との事です。

    1996年 母珀子氏死亡により、金襴手、釉裏金彩の技術を受け継ぐべきと決心します。

    それまで、鉄彩を中心にした制作を展開していました。直接母珀子氏より釉裏金彩の手ほどきを

    受けていませんが、長年珀子氏の制作過程を目の当たりにした事が、貴重な財産と成っています。

  ・ 次郎氏はプラチナ(白金)箔を使った銀彩も用いて、金彩とは違った味わいを表現しています。

    「釉裏白金彩壺」等があります。

次回(上出喜山)に続きます。

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