③ 三代上出喜山の作品
彼の作品は、戦後を境に前期と後期に分かれます。
ⅰ) 前期の作品は、主に「染付」の作品を多く作っています。九谷庄三写しや、吉田屋風の作品
で、彼なりに変化をもたらしています。
「染付火鉢」(高 23.5 X 径25.7cm)昭和初期、「染付六角耳付花生」(高 27 X 径13.5cm)
(1955年)等の作品が有ります。
ⅱ) 後期では、金襴手更紗小紋様式を確立し、豪華絢爛な作品となっています。
金襴手とは: 本焼きした色絵の作品に、金箔を漆で貼り付けた後低温で焼き付けた物で、
織物の金襴の趣(おもむき)が感じられ、この名前が付いています。
ⅲ) 彼の金襴手は、赤、黄、緑、青、藍などの数種類の色絵で彩色した、細微な小紋の余白部分
に赤地の上に金彩を施したものが多く、花弁や花芯にも、金線を施す豪華絢爛な作品が
特徴となっています。
ⅳ) 作品としては、「極彩色更紗小紋六角水指」(高17 X 径15cm)(1960年、石川県美術館)、
「極彩色小紋耳付花生」(高63 X 径29cm)(1963年)、「極彩色割富士山文花生」
(高25.7 X 径25cm)(1964年)、「金襴手市松更紗紋大皿」 (高 10 X 径49.5)(1966年)、
「色絵鉄線文鉦鉢(どらばち)」(高11.1 X 径26cm)(1970年)、「錦手小紋瓢形八角花生」
(高29 X 径18cm)(1977年)、「金銀襴手花小紋に菊文香呂」(高15.5 X 径15cm)
(1980年、唐招提寺蔵)などの作品があります。
2) 四代上出喜山、本名 貞吉: 1922年(大正11)~2007年(平成19)
① 経歴
ⅰ) 石川県加賀市栄谷町に三代喜山の次男として生まれます。
1937年 尋常高等小学校を卒業後、父の傍らで陶芸の修行に入ります。
1957年 加賀名匠親子展に「極彩色小紋ベリーセット」を出品します。
1973年 四代喜山を襲名します。(三代目は、前年に没します。)
同年 第二十回日本伝統工芸展で、「金襴手線割更紗小紋大皿」が入選し、宮内庁
お買い上げに成ります。
1974年 「宮内庁皇室御用窯」の指定を受け、海外の賓客への贈答用の作品を製作します。
この頃から、彼の作る作品のほとんどは宮内庁に納入され、各国の国王や高官らに
贈られる様になります。作品は「金襴手小紋」が多いです。
1976年 大阪大丸で開催された、「加賀名匠展」で「金襴手瓢形更紗小紋花生」を出品します。
② 四代喜山の陶芸
父の創案した「小紋様式」を受け継ぎ、それを更に精巧多彩な変化ある作品に発展させます。
又、九谷焼では分業がなされ、一般には上絵を描くだけの人も多いのですが、彼は轆轤挽きの
名手でもあります。上絵物なら何でも手掛ける事が出来る腕前だそうです。
「職人は腕、この作品を見てくれ」と、唯このことのみを申し上げたいと、語っています。
ⅰ) 四代目喜山の作品
「極彩色更紗小紋耳付水指」(高18.5 X 径18.5cm)(1980年)、「金襴手菊花文大蓋物」
(高20 X 径38cm)(1980年)、「極彩色桜絵に小紋飾皿」(高8 X 径44cm)(1980年)、
「極彩色金襴手小紋陶筥(とうばこ) 」(高11.5 X 横20.5cm)(1980年)、
「極彩色白金金襴手変わり更紗小紋飾壺」(高58 X 径26cm)(1982年)などの作品があります
次回(酒井田柿右衛門)に続きます。