佐賀県有田の今泉今右衛門窯の色絵磁器は、鍋島藩窯として江戸期より350年余りの「色鍋島」の
伝統があります。しかし明治の廃藩置県により、鍋島藩窯がなくなり御用赤絵屋の制度も消滅します。
その反面、色々な規制も無くなり、一貫した磁器生産が可能になり、十代今右衛門は明治六年に
本窯を築き、色鍋島の他、古伊万里様式の磁器の製造にも踏み切ります。
明治~大正初期にかけて技術的、経営的にも苦難の日々でしたが、その苦境を乗り越え、代々の
今右衛門により優れた赤絵の技法が確立し、高い品格を持つ「現代の色鍋島」に発展します。
赤絵の調合技術等については、一子相伝の秘法として当代の十四代まで伝えられ、その卓越した技術は
国の重要無形文化財保持団体の認定を受けています。
1) 十三代今泉 今右衛門(いまいずみ いまえもん): 1926年(大正15)~2001年(平成13)
① 経歴
) 佐賀県有田町赤絵町の十二代今右衛門の長男、善詔(よしのり)として生まれます。
1943年 佐賀県立有田工業学校を卒業後、東京美術学校(現在の東京芸術大学)工芸部
図案科に入学し、1949同校を卒業します。
1957年 日展に「色絵水草文花器」が初入選を果たし、以後1958~59年と連続入選します。
1962年 第九回日本伝統工芸展で、「白磁染付色絵更紗文壺」を出品します。
第十二回の同展で「色絵手毬花文鉢」が、日本工芸会会長賞を受賞し、日本工芸会
正会員に推挙されます。 同年 一水会陶芸展で初入選を果たし、翌年の同会で「染付石榴
(ざくと)文鉢」で、一水会会長賞を受賞し、一水会陶芸部会員に推挙されます。
1964年 米国、欧州に陶芸視察を行っています。
1968年 京都国立近代美術館にて「色絵笹輪文鉢」が買い上げとなります。
1971年 今右衛門陶房の技術者達で「色鍋島技術保存会」を作り、国の重要無形文化財の
総合指定を受けます。
1972年 「色絵かるかや文鉢」が東京近代美術館の買い上げとなり、陳列されます。
1975年 十二代が他界により、十三代今右衛門を襲名します。
1976年 「色鍋島技術保存会」を改組し代表となり、文化庁より重要無形文化財の総合指定を
受ます。同年東京と大阪の高島屋で初の個展を開催します。
1979年 日本伝統工芸展出品作「色鍋島薄墨草花文鉢」が、NHK会長賞を受賞し、文化庁の
お買上げとなります。
1980年 日本伝統工芸展監査委員となり、1982年、83年、85年、87年に 日本伝統工芸展
鑑査委員となります。
1981年 日本陶芸展で「色鍋島薄墨露草文鉢」が最高賞の秩父宮杯を受賞します。
1989年 重要無形文化財個人指定(人間国宝)に認定されます。
② 十三代今右衛門の陶芸
1975年に今右衛門を襲名する以前では、善詔(よしのり)の名前で、作品を発表していました。
色鍋島の古典をふまえ、自然観察から得た文様を基礎に、個性的な作品を発表し、1965年の
日本伝統工芸展では奨励賞を受けています。
) 色鍋島: 鍋島藩窯で、上絵付された色絵磁器を「色鍋島」と呼びます。
染付けのみの場合には、「藍(あい)鍋島」と呼んでいます。
「色鍋島手毬(てまり)花文鉢」(高 7.9 X 径 42.5cm)(1978年)、「色鍋島笹文鉢」
(高 9.1X 径 41cm)(1967年): 京都国立近代美術館蔵、などの作品です。
) 更紗文:染織文様の一つで、インド更紗のほか、ジャワ更紗、ペルシャ更紗、シャム更紗など、
様々な種類があり、一般にはインド風の唐草、樹木、人物などの文様を言います。
a) 東京美術学校図案科に在学中から、更紗文に興味を抱き、そこから多様な文様を作りだします。
特に中近東の更紗を好み、十三代の重要な意匠の一つと成っています。
「色鍋島草花更紗文花瓶」(高 21 X 径 25cm)(1978年)等の作品です。
b) 染付の青と上絵の緑だけで表現される緑地(りょくじ)技法が代表的です。
「色鍋島緑地唐花文蓋物」(高 19 X 径 23cm)(1978年)、青と緑の他、赤絵を施した作品も
あります。「色鍋島緑地更紗文花瓶」(高 40.2 X 径 22.3cm)(1982年)等の作品です。
) 唐花文: 途切れる事の無い蔓草(つるくさ)状の文様で、特定な花を意味しない花文の
文様を言います。基本的には唐花文と更紗文は同類です。
a) 唐花文と更紗文の違いは、「規則的に花が配置されている文様が唐花文で、不規則に配置
した場合が更紗文です。」と十三代目は述べています。
b) 有職文(ゆうしょくもん): 幾何学的な繰り返し文様で、平安貴族(公家)に好まれた文様です。
「色鍋島有職文花瓶」(高 27.5 X 径 25.5cm)(1980年)
) 薄墨技法
以下次回に続きます。