1) 宮下善爾(みやした ぜんじ): 1939年(昭和14) ~ 2012年(平成24)
① 経歴
) 京都市で、日展系の陶芸家宮下善壽の長男として生まれます。
1964 京都市立美術大学(現、市立芸術大学)陶磁器科を卒業し、更に専攻科に進み終了後の
'66~'85同大学の非常勤講師となります。 同年 日展に初入選を果たします。
以後連続入選します。
1967年 「京都府工芸美術展」で奨励賞を受賞します。以後市長賞などを受賞し、1974年には
同展の審査員を務めています。
1975年 「日本現代工芸美術展」で、会員賞と外務大臣賞を受賞します。又「日本陶芸展・前衛の部」
で入選します。同年 個展を大阪・セントラルギャラリーで開催します。
1979年 日展で特選を受賞します。翌年日展無審査出品と成ります。(1993年には日展審査員)
同年より毎年個展を開催しています。「ギャラリー白」(大阪)、「京都ギャラリーなかむら」、
「南青山グリーンギャラリー」(東京)、「銀座和光」、「阪神百貨店」(大阪)など各地で開催しています。
1994年 京都創作陶芸の流れ「土・火・技」(京都文化博物館)に出品。
1997年 京都市地下鉄二条城前駅コンコースに陶壁「京の風」を制作します。
2001~2002年 「京都の工芸〔1945~2000〕」(京都・東京国立近代美術館)に出品。
) 海外でも作品を発表しています。
「オーストラリア・ニュージーランド巡回現代日本陶芸展」、「イタリア巡回現代日本陶芸展」、
「カナダ巡回現代日本陶芸展」、 「日本の陶芸〈今〉100選展」(エトワール・パリ)、 「現代日本の
陶芸」(エヴァーソン美術館・米)、「現代陶芸メトロポリタン美術館所蔵作品選抜展」
(同美術館・ニューヨーク)などに出品しています。
② 宮下善爾氏の陶芸
) 京都市立美術大学の陶磁器科で強い影響を受けたのは、助教授であった清水洋(後の清水
九兵衛)の指導を受けた事です。
焼き物とは異なる鋳金や彫刻の分野で活躍していた清水氏の作風に、衝撃を受け、論理的な
造形思考に、大きな感化を受けたと言われています。
) 京都市立美術大学で非常勤講師として、後進の指導を行うと共に楠部彌弌氏の主宰する
京都青陶会に参加し、「日展」や「日本現代工芸美術展」で大きな賞を受け、若手陶芸家として
頭角を現して行きます。
) 土による立方体、球体、幾何学的な形体
宮下氏の初期の 作品に多く見られる器形で、やがて壊れ行く立方体と、伸び上がる立方体との
融合する作品に変化して行きます。
・ 「育成について」(高 23 X 横 11 X 奥行 18cm)(1982年)
・ 「上からと下からと」(高 34 X 横 23 X 奥行 19cm)(1983年)
赤レンガ風の肌で、先端が丸いひょろ長い物体(生命体)が動き回る様子や、四角い箱を
上下から挟んでいる様な作品です。
) 風をモチーフにした作品
・ 「一人歩きの風」(高 27 X 横 36 X 奥行 29cm)(1979年)
布状の横縞模の風呂敷が丸みのある、何かを上から包んでいて、その端(下部)が歩いて
いる様に表現された作品です。
・ 「アフガンの風」(高 31.5 X 横 24 X 奥行 15cm)(1981年)
アフガニスタンに旅した時の、カラカラに乾燥した大地と空気がモチーフになっています。
立方体で赤レンガ風の肌の作品の下半分に、手前が広く奥に行くに従い狭くなる四角い穴が
堀込まれ、青色に染められた壁には、風紋の様な文様が付いている作品です。
) 練り込み技法の作品
異色の土を重ね合わせたり、練り込んだりする技法です。
宮下氏は陶板の上に、薄い色土を置き、ローラーで陶板に食い込ませる象嵌風の方法で
板を作り、これを球や立方体に仕上げています。
・ 「藍彩花器」 (高 29 X 横 38.5 X 奥行 9.8cm)(1982年) (日展特選作品)
) 彩泥の作品
コバルト(青色に発色)、クロム(緑色に発色)などの酸化金属を土に混ぜ、色土を作り順番に
貼り付けて、緑から青へグラデーションを付けた作品です。
・ 「彩泥花器・碧堆(へきつい)」(高 23 X 横 20 X 奥行 22cm)(1983年)
・ 「彩泥花器・緑の風景」(高 35 X 横 47 X 奥行 24cm)(1984年)
・ 「彩泥包壺・遠い潮騒」(高 19 X 横 18 X 奥行 18cm)(1983年)
これらの作品は、変化に富む「日本の四季」の自然美を、花器などに託していると言われています。
次回(沢田重雄)に続きます。