藤田氏の作品は、建築的であり、彫刻的でもあり、更に陶芸的要素を多分に含む作品で、高さや径が
数メートルに及ぶ巨大な作品です。巨大な作品を焼く為に、野焼きの技法を取る必要がある訳です。
1) 藤田昭子(ふじた あきこ): 1934年(昭和9年)~
① 経歴
) 東京都三鷹市に生まれます。1945年 神奈川県平塚市に疎開します。
1950年 横浜国立大学美術科に入学します。
1954年 東京 なすび画廊で「二人展」を、東京松坂屋デパートで「43人展」に出品します。
1955年 神奈川県立近代美術館で「今日の新人展」に出品します。
1956年 東京都美術館で「新人アンデパンダ展」に、中央公論画廊(東京)で「新鋭15人展」に
出品します。 同年 神奈川県平塚市に「波の子造形研究所」を設立します。
(3歳からの美術教育と、知的障害児の為の美術教育を実践します)
1957年 横浜国立大学 学芸部彫刻専攻を卒業します。
1963年 「丸善石油美術奨励賞選抜展」(東京日本橋高島屋)
1964年 「アートクラブ彫刻展」 椿近代画廊、常盤画廊(東京)
1973年 箱根彫刻の森美術館に「20階建のアパート」を製作設置します。
) 1975年 愛知県常滑で、野焼きの作品「天竺(てんじく)」を製作します。
1976年 「現代彫刻展エスキース展」(第五回神戸須磨離宮公園)に出品
同年 野焼き作品「原住居空間への招待・出縄」(平塚市出縄=いでなわ)第一期完成。
翌年第二期を完成させます。(高 6 X 横 15 X 奥行 15 m)
1981年 野外彫刻「波塔(はとう)」(滋賀、第一琵琶湖彫刻展で入賞)(15 X 9 X 4m)
1985年 野外彫刻「大地の花」(ブラジル・サンパウロ)。「みすずの家」(カナダ・トロント)
1986年 野外彫刻「つばめの家」(ブラジル・カンビーナス)(3 X 4 X 9 m)
1989年 野外彫刻 「寄(やどりぎ)」 (2.2 X 1.5 X1.5 m)(神奈川)
1990年 野外彫刻 「フレームツリー」 (2.2 X 6 X 6 m) (オーストラリア・キングスウッド)
1992年 建立野外彫刻 「クォバディス」 (2 X 5 X 5 m) (ドイツ・ハノーファーシュムンデン)
1993年 野外彫刻 「優曇波羅花」(うどんばれいじ)(9 X 7 X 2m)(宮城・リアスアーク美術館)
1997年 建立野外彫刻 「原・集落」 (4 X 1.5X 5.5m) (新潟・国営越後丘陵公園内)
1998年 野外彫刻 ハマンジアの船 (0.6 X 1.2 X 1.3 m) (ルーマニア・コンスタンシァ)
1999年 野外彫刻 「なゆたの船」 (1.6 X 2.8 X 2.8 m) (箱根彫刻の森美術館 ・
森に生きるかたち)
2002年 野外彫刻 牀座(じょうざ) (0.62 X 4.8 X 2.8 m) (福井)
尚、各地で個展を開催します。松村画廊(東京)1957、58、秋山画廊(東京)1963,
1966,1968年。文芸春秋画廊(東京)1964,クリスタル画廊(東京)1966など多数。
グループ展示: 集団「30展」(東横サロン、白木屋)1959, 「神奈川アンダパンダ展」
(有隣堂ギャラリー)、「第一回女流彫刻展」東急百貨店,第二回展(東京・東横画廊)など多数。
② 藤田昭子氏の陶芸
) 「天竺(てんじく)」の作品:(高 5 X 横 7X 奥行 3 m)(1975年)
この作品で、一躍注目を集める女流作家になります。
a) 土(粘土)を素材にして焼成しますので、一応焼き物の部類に属しますが、従来の陶芸とは
大きく異なります。
b) 円錐形の塔と、太い煙突状の物が備わった方形の箱の様な物との組み合わせた作品で、
円錐状の塔は、人が入れる程度の入口があり、塔の中央から上にかけて、大きな穴が
数個開けられています。塔の内部にも広い空間があり、人が入れそうです。方形の箱にも
小さな窓の様な穴が開けられています。
) 出縄(いでなわ)の作品:(5 X 15 X 15 m)(1976~77年)
古代都市の城壁を思わせる作品です。円形状に壁が巡らされ、城門や出入り口の様な穴が
開いています。
) 「20階建のアパート」の作品:(1.8 X 2.5 X 0.7 m)(1981~82年)
テラコッタの様な赤い土で台形状に作られ、その側面に大小の穴が開いている作品です。
) 大地に捧げるモニメント
地球上の大地には、多くの万物や生き物が、長い歴史の中で埋り存続し続けています。
現在地上に立つ我々も、やがて地中に埋没する存在といえます。この全てを飲み込む大地に、
「土」によるモニメントを打ち立て、自分の生きている時間をひとつのイメージとして、「土の持つ
エネルキー」を表現する事に、藤田氏は関心がある様です。
次回(速水史朗)に続きます。