わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸171(窖窯の焚き方について4)

2012-08-21 21:48:53 | 現代陶芸と工芸家達

3)  窖窯で備前を焼く。

    一般に備前焼は登窯で焼成します。 窖窯で焼成すると、登窯とは違った面白さが出ると

    言われています。

   ① 信楽の土と備前の土では焼成の温度が異なります。備前の土の焼成の場合の一例を、

     以下に示します。

    a) あぶり: 5~10℃/時間の温度上昇に抑えます。

    b) 400℃程度からは、30℃/時間の割合で温度を上昇させ1000℃までに、約24時間

      かけます。

    c) 最高温度を1130℃程度になる様に抑え、数時間焚きます。

    d)  焚き上げまでに、4~5日が目安です。

       最後に強還元を掛けると、面白みのある作品になるそうです。

    e) 温度上昇が早いと、表面が膨れてくると言われています。又、最高温度も他の土より低め

      にします。それだけ、温度に対して弱い土と言えます。

4) 貸し窯(レンタル窯) 窖窯(薪窯)について。

   ネット上に貸し窯の情報が数件掲載されています。(勿論それ以外で探す事も可能です。)

 ・ 単に、窖窯(薪窯)で作品を焼いてくれる所から、自分達で泊り込みで、窯詰めから焼成、窯出し

   まで全てを行う事が出来る貸し窯まで多彩です。

   興味があれば、貸し窯 レンタル窯 窖窯 薪窯などで「検索」して下さい。

   国内の広い範囲に有りますので、都合の良い窯を選ぶ事もできます。

   (勿論、予約制で半年~3ヵ月程度前までに、予約を取る必要があります。)

 ・ 窯の大きさ(作品の数)や、窯詰め、焼成などの指導の有無、焼成日数(必要な全日数)、休憩所

   又は泊る場所(宿など)、おおよその費用(貸し窯代、薪代、指導代、その他の費用)を知る事が

   出来ます。窯を借りられる日数にも制限があり、それをオーバーすると追加料金を取られる所も

   ありますので、窯を借りる前にしっかり予定を立てておく必要があります。

  ・ 容量の違う窯も有りますので、身の丈に有った窯を選ぶ事が出来ます。 

    薪の調達等も貸して側で手配してくれますので、作品を持ち込む以外は、余り準備は 

    いりません。但し、何かと人手が必要ですから、人数は多い方が良いでしょう。

    初めて薪窯を焚く場合には、指導付きの窯(若干費用が高くなりますが)の方が安心です。 

    尚、貸し窯の場合、ある程度の知識があれば、温度が上昇し無い等の失敗は少ない様です。

  ・ ちなみに、ネットで見ると、2立方米の容量の窯で40万円(指導量込み)とありました。

    松の薪が一束800~1000円程度で、200束程度必要との事ですが、(勿論窯の焚き方に

    よって大きく変化します。) あぶりを灯油など他の燃料を使えば、かなり薪の数を減らす事が

    可能との事です。

  ◎ 薪窯での焼成は、電気や灯油、ガスなど他の燃料とは、まったく焼き上がりが違いますので、

    興味のあ方は、グループで挑戦するのも良いのではないでしょうか。

 次回(辻村史朗氏)に続きます。  

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現代陶芸170(窖窯の焚き方について3)

2012-08-20 21:29:22 | 現代陶芸と工芸家達

 ① 窖窯での焼成には、それなりの心得が必要です。

  ) 窯詰めについて。

     a) 「捨間」の有無。窖窯には、「捨間(すてま)」の有る場合と無い場合があります。

     「捨間」の役目は、炎が直に煙突に流れ、熱が無駄に逃げ出すのを防ぐ事です。

     「捨間」があれば、その直前で、炎をさいぎる事ができますが、無い場合には広い煙道口から

     煙突に流れます。その為、「捨間」が無い場合には、耐火煉瓦を格子状に組み、炎をさえぎる

     必要があります。

   b) 作品の底に焼き締まり難い、童仙坊(どうせんぼう)土を噛ませてから棚板の上に置きます。

     目的は自然釉が流れ、棚板と作品がくっつくのを防ぐ為です。

     この土に2割程度の珪砂を混ぜ、水を加えて練り、団子状にして、底に数個貼り付けます。 

     又、CMC(化学糊)の溶液や、アルミナ粉を使って貼り付ければ、よりくっつき難くなります。

   c) 施釉していない作品は、必ずしも垂直に立てて窯詰めする必要はありません。横倒しに

     する事も、斜めでも逆さに置く事も可能です。

     但し灰が熔けたビードロは、垂直方向に流れますので流れる方向も考慮 して窯詰めします。

     更に、作品によっては重ね焼きも可能です。但し、重ねた部分でくっつく事が無い様に

     処理する必要があります。

   d) 焚き口に近い場所は、「おき」(燃えきっていない薪)が溜まり易く、この「おき」に埋まった

     所は強還元が掛り、「焦げ」や「窯変」が起こる場所ですので、この空間を有効に使います。

   e) 狭い窯の中で、平たい皿は場所を取る作品と言えます。重ね焼きも可能ですが、重ねると

      下の作品に灰が掛り難くなります。その際には、棚を組んだ最上段に大皿を逆さに伏せて

      窯詰めすると、舞い上がった灰が皿の表面に載ります。

   f) 炎が真っ直ぐに走らず、窯全体を包み込む様に窯詰めをしますので、作品同士の位置関係

     や隙間の大きさも、重要な要素になります。

2)  窖窯の焼成の仕方

   ① 酸化と還元焼成によって作品の雰囲気が大きく変わります。

     緋色を出す場合は、窯の雰囲気を酸化気味にします。冴えたビードロ色を出したい場合には

     強還元焼成で焚きます。

   ② 「木蓋(きふた)」による還元方法。

     還元状態を持続させる方法に、「木蓋」という技法があります。

     即ち、焚き口を薪で塞ぎ、空気が入らない状態で、薪を窯の中に少しづつ押し込む方法です。

   ③ 煙の状態を見て窯の状態を把握する事。

     新たに薪を投入すると、煙突より黒い煙が立ち上ります。そして窯の温度が若干下がり還元

     状態になります。 黒い煙が消える頃に成ると、温度は上昇に転じます。この状態が還元から

     酸化焼成に変化している頃です。この還元と酸化を繰り返す事により、窯の温度は徐々に

     上昇して行きます。

     温度計に頼り過ぎると、温度の低下を感知したら、直ぐに薪を投入したくなります。

     これでは、更に温度低下を招く事になります。温度計は一つの目安として使う事が肝銘です。

3)  窖窯で備前を焼く。

 以下次回に続きます。  

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現代陶芸169(窖窯の焚き方について2)

2012-08-19 22:15:14 | 現代陶芸と工芸家達

 ① 窖窯での焼成には、それなりの心得が必要です。

  ) 窖窯に向く作品の造り方

    作品を作る方法には、一般の作品同様に、轆轤成形と手捻り成形があります。

   a) 窖窯用の作品は、手捻り成形による方が、趣ある焼物に焼き上がる場合が多いです。

     即ち、蹲(うずくまる)の様な壷類は、紐を積み上げる際に出来る、指痕や繋ぎ目などの歪みが

     その作品の個性と見なされ、更に器肌の凸凹に灰が不均一に積もる結果、予想外の景色と

     成って現れます。又、凸凹な形状程、灰が載り易くなります。

   b) 作為的な作品よりも、素朴な作品の方が、作品に面白味が生じ易いです。

      窖窯の炎は気まぐれで、余り計算された作品よりも、成り行き任せの自由に造られた

      方が、魅力ある作品になる事が多い様です。

   c) 高い温度で焼きますので、割れが発生し易いです。予防策として土を良く締める事です。

      特に「底割れ」は起き易いですので、拳(こぶし)等で、底を叩き締めます。

  ) 施釉について。

    a) 窖窯での焼成は原則無釉ですが、袋物(壷や徳利、花瓶などの作品)などの目に見えない

     内部や、水を貯めておく花瓶などは、水漏れの危険性の予防の為、内部を施釉する場合も、

     珍しくありません。(生掛けの場合又は、素焼き後に施釉する事があります。)

    b) 灰が何処に掛かるかは、偶然性が大きいです。又垂直な面には、灰が載り難いです。

      そこで予め、松灰を塗ってから窯に入れる方法もあります。即ち、水又はCMC(科学糊)

      溶液を、作品にスプレー掛け後に松灰を、好みの場所に振り掛けます、振り掛ける量を

      多くすると、灰は流れ易くなります。

  ) 窯詰めについて。

    緋色やビードロなど目的通りの結果を得る為には、火の通り道を考えて窯詰めを行う必要が

    あります。窖窯の窯の中では、場所場所によって、炎の当たり具合、温度の高低、酸化還元の

    強弱、降灰の量の大小、「おき」のたまり易い所など、大きな「バラツキ」が存在します。

    当然、その様な事を熟知した上での窯詰めになります。

    もしも、借り窯であれば、その持ち主から十分な情報を手に入れる必要があります。

   a) 窖窯は大なり小なり、傾斜を利用した窯の構造に成っていますので、作品をバランスをとって

     棚板が水平に成る様に、窯詰めする必要があります。傾斜のきつい窯であれば、棚板の

     支柱の長さも長くなり、不安定さが増します。焼成中に棚板が手前や、壁際に崩れない様に、

     しっかり固定する必要があります。又、炎の勢いも馬鹿に成らず、結構強い圧力が手前から

     奥へ掛かるそうです。

   b) 棚板の上に作品を並べる。

以下次回に続きます。

    

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現代陶芸168(窖窯の焚き方について1)

2012-08-17 21:01:43 | 現代陶芸と工芸家達

陶芸をしている方は、薪での焼成を一度は経験したいと、思っている方も多いと思います。

薪窯には、登窯と窖窯(あながま)に大別されますが、実際薪で良い作品を得る為には、土の種類や

窯詰めの仕方、更には焼成方法など、知っておくべき事も多いです。

以前には主流であった登窯は容積が大きく、大量の作品を作る陶芸家や、窯場の共同窯で

使用する以外は、ほとんど使われなくなっています。(公害問題も大きく影響しています。)

1) 一方窖窯は、小規模であり窯自体を貸してくれる所もありますので、近年個人や陶芸

   グループなどで、割合容易に薪を使う窖窯が利用される様になり、人気も上がって来ています。

 ① 窖窯での焼成には、それなりの心得が必要です。

    釉を使わず、自然降灰の松灰と炎に任せる薪窯の魅力は、焼肌が紅やオレンジ色になる

    「緋色」や、松灰が流れる「ビードロ」、そして薪のオキの中で出来る「焦げ」等が起こる事です。

    これらが単独で起こる場合と、複合的に起きる場合があります。いずれも窯任せの状態です。

    その結果は、窯出しの際に判明される物ですが、どの様な焼き上がりを望むかによって、土の

    選択や作品の作り方、窯詰めの仕方、更には、焼成方法によって、その出来不出来が決ると

    言われています。

  ) 土選び: 一般に信楽の土と伊賀の土を使う事が多いです。

     (勿論備前土もありますが、備前は焼き方が他とは事成りますので、後でお話します。)

    窖窯では焚き口と煙道との温度差は大きく成り易いですが、土の耐火度も1300℃程度は欲しい

    所です。これに適合する土として、「古信楽」の細目と粗目と、「古伊賀」が挙げられます。

    a) 「古信楽土」は、長石粒(ハゼ石)を含み、この長石が美しく熔け、大物の作品に向き、

      緋色も出易い土です。「白信楽土」は、長石や珪石を含みませんが、松灰が掛り流れ易く

     なり、繊細な作品向きに成ります。尚、緋色は土に含まれる鉄分と、薪の炎に含まれる

     「アルカリ」成分が反応して、現れると言われています。

    b) 「古伊賀土」は長石を含み、熔けて弾けて豪快さが表現でき、緑色の「ビードロ」が映える

       器肌に仕上がります。この土は耐火度が非常に高く(1350℃程度)、更に数度の窯入れ

       にも耐えられます。鉄分の少ない白めの原土に、磁土と赤土を3~4割混ぜる場合も

       有ります。原土のみよりも、ビードロが載り易く、緋色も出易いと積極的に使う人もいます。

       尚、 土は信楽や滋賀土を専門に取り扱っている業者も多いですので、そこから取り寄せて

       いる方も多い様です。

    c) 「黄ノ瀬土」と「篠原土」も昔より、窖窯の中で緋色が出易い土として使用されています。

      現在名前は同じでも、昔と同じ土を見出すのも困難かも知れません。

      それ故、各種の土をブレンドして使用している陶芸家もいるようです。

    d) 薪窯の煙道近くは、焚き口より温度が低くなりますが、逆に還元が強く掛かる場所でも

      有ります。その為炭化焼き風の作品に仕上げる様に、信楽の赤土系や黒御影土の作品を

      置く場合もあります。

  ) 窖窯に向く作品の造り方

以下次回に続きます。

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現代陶芸167(熊野 九郎右ヱ門2)

2012-08-16 21:27:56 | 現代陶芸と工芸家達

身の丈六尺二寸(約186cm)で筋骨たくましい大きな体と、頭髪と髭が一体化した野生的な風貌の

熊野氏には、その豪快な作品に度肝を抜かれます。

 ③ 1520℃(SK-19)での焼成

  ) 窯を高温にするには、特別な方法や工夫があるはずです。

      a) 1987年に築いた窯を、現在でも使用しているかどうかは、不明ですが、当時の窯の大きさは、

     長さが7m、焚き口幅が1.6m、煙道が約1.2の半地下式の窖窯で、窯の横には二箇所の

     戸詰め口が設けられており、傾斜は2度と平坦に近い為、引きを強くする様に煙突は太くして

     あるとの事です。窯の中は「さま穴」で二分され、奥の「捨て間」には素焼き用の作品を詰める

     そうです。 注:「捨て間」とは、煙道口と煙突へ繋がる間の部屋で、炎が直接煙道に抜けない

     様にする為に設けます。 尚 窯は55X40cmの棚板九枚敷きの大きさになっています。

   b) 窯詰めは二箇所の戸詰め口から行います。

     窯焚きは三月、五月~六月、十月に行うのを基本にしますが、十二月や一月にも焚く事が

     有るそうです。「あぶり焼き」は灯油で行い、200℃で還元を掛け、500℃に達したら楢の薪に

     切り替えます。三日目には900℃に達したら、強還元焼成とし1000℃まで上げます。

   c) 温度を順調に上昇させる為には、火(火道)が窯の床を這う様にして煙道に抜ける場合は

     良く上昇し、天井を這う様に流れると、温度上昇は期待できないそうです。

     その目安は1100℃の頃との事です。 その為、火道を決める前半が山場となります

     1200℃になると煙道が熱を持ち、引きが弱く成りますので、「ドラフト」のレンガを取り、

     若干空気を取り入れ、煙道を冷やすと、引きが強くなるそうです。

   d) 目ではなく耳で窯を焚く。

     焼成判断は炎の色や勢いで判断しているのではなく、薪の燃える音で薪の量や投げ入れる

     タイミングを取っているそうです。焚き口で1350℃に成ると、SLの汽車の様に「ポッポ、

     ポッポ」と音を立て始めます。更に順調に昇温していると、窯の圧が高くなる為、焚き口を

     一瞬開け、圧を逃がします。

   e) 火を止めるタイミング。

      五日目に成ると、焚き口(火前)で1450℃になり、奥で1200℃になります。

      この頃に成ると、薪を次第に食わなくなり、炎も白くなってきます。

      1500℃に成ると、炎も太陽の様に白くなり、炎の出も少なく、窯音も静かに成ると言います。

      1500℃で六時間ほど焼成すると、窯の横から水蒸気が昇るそうで、この頃が火を止める

      タイミングだと言っています。実際にはこのタイミングが難しく、怖い時との事です。

      ここまで約六日を要する事となります。

    以上の記事は、季刊 工房No16 (2000年 誠文堂新光社発行)を参照にしました。

 ④ 熊野氏の作品

   旅枕や壷、水指、徳利、手鉢、大皿、片口などの作品を多く作っています。

    注: 旅枕とは、古田織部が伊賀に発注して作らせたと言われる、枕形の筒型の「花入」です。

    更に、作品に「熊志乃」、「松阪志乃」、「鬼越前」などと独自に命名し、独特の作風になって

    います。

   ) 熊志乃旅枕: 高 33 X 口径 15 X 胴径 23 X 17 cm

      熊野氏の旅枕は、一般の旅枕形とは異なり、「野仏」や「村地蔵」などの形をしています。 

   ) 鬼越前水指: 高 17 X 胴径 22 X 19 cm

   ) 鬼越前七寸皿: 高 4 X 径 21 cm

      ) 鬼越前kuma片口: 高 16 X 径 43.5 X 38 cm

   ) 鬼越前手付鉢: 高 16 X 径 46 X 41 cm

      ) 鬼越前五合トックリ: 高 18 X 胴径 12 cm

  これらの作品は、越前の土をぎりぎりの高温で焼き切った末に得られる、自然な形態で、

  他を圧倒した特異な特徴を有しています。

次回(窖窯の焚き方について)に続きます。

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現代陶芸166(熊野 九郎右ヱ門1)

2012-08-15 22:05:29 | 現代陶芸と工芸家達

越前焼は北陸地方の最大の窯場です。良質の粘土が豊富に産出する事から、平安末期から陶器が

作られ、戦後陶芸家で文部技官であった小山富士夫氏によって、六古窯の一つに数えられます。

一時衰退しますが、1970年(昭和45年)に陶芸村が建設される頃から、復興を遂げる様になります。

1) 熊野九郎右ヱ門(くまの くろうえもん): 1955年(昭和30年) ~

  ① 経歴

    1955年 福井県鯖江市に生まれます。(尚、九郎右ヱ門は屋号との事です。)

    1976年 名古屋造形芸術短大の日本画科を卒業します。

     同年 越前焼の窯元の藤田重良右ヱ門氏に師事し、陶芸の修行を積みます。

    1982年 飛騨の戸田宗四郎氏に師事します。

    1983年 再び藤田重良右ヱ門氏に師事します。

    1984年 石川県山中町の依頼で、古九谷の瓷器(しき、じき)土を発見します。

     注: 瓷器とは、土器より堅い焼き物で、釉が掛けられ磁器成立以前の原始的な焼物です。

    1985年 窯焚き指導のため、旧ソ連のリガに招待されます。

    1986年 陶土開発のため、サハリンに招待されます。

    1987年 福井県朝日市に、偶然見つけた古墳時代後期の窖窯跡地に、半地下式の割竹式

     窖窯(陶房・旅枕碗寮)を築き、作陶に専念します。 

    2000年 ドイツの外務省より招待されれ、講演を行っています。

    2004年 ドイツ・ブェステルバルドにて「全ヨーロッパ144人とジャパンKumano展」を開催。

    2006年 ドイツ国立コブレンツ大学にて、超高温焼成実技指導や、講演、展示会を行います。

   ・ 個展: 黒田陶苑(東京渋谷)、阪急(大阪梅田)、伊勢丹(東京新宿)、侘助(静岡藤枝)

     など全国各地で、多数の個展を開催しています。

 ② 様々な粘土を探し出し、焼成しています。

   「越前には、唐津に負けない程の多くの種類の土が存在する。」と言われています。

   又、土探しの為なら、北海道の津別(磁土=陶石を発見)やロシア(リガ)、サハリンまでも出掛け

   ています。

  ・ 越前土: 鉄分を3%程度含む、肌色に近い黄色の土です。

  ・ 炭マン(マンガン)土: 銅と鉄分とマンガンを含んだ茶色の土です。

  ・ 珪石粘土、珪酸アルミニウム白粘土:木節粘土を40%程度混ぜて使います。

    熊野氏の作品には、この土が一番多く使われている様です。

 ③ 1520℃(SK-19)での焼成

     ) 六日間にも及ぶ、窖窯での焼成では、最高温度が1520℃にもなる言われています。

     一般には1300℃以下ですので、かなりの高温になります。

     彼はを熔けて破れる寸前の、「ドロドロ」とした美を追求している様です。

     但し、作品全体をこの温度で焼成している訳では無い様です。

     即ち、熊野氏の窖窯では、温度差が大きく、最高温度が出る「火前」と最奥部では最大で

     250℃程度の差が発生するそうです。(熱伝対温度計で測定)

     その為、1520℃での焼成でも、作品は1270℃以上で焼れる事になります。

     窯焚きは年に2~3回程度で、失敗も多く、2割の作品が取れれば良い方との事です。

   ) 温度を上昇させる為、薪(まき)には楢(なら)の木を使っています。

      一般には赤松を使いますが、松は伐採すると「ヤニ」が次第に少なくなるそうで、薪として

      使う頃には松脂(まつやに)もかなり減少し、高温焼成には不向きと成る様です。

      楢の薪は、「ヤニ」成分も残り高温焼成には打ってつけとの事です。

      更に、楢の灰が熔けて志釉と混じり合い、自然釉となって胎土に熔け込みます。

      ) 1500℃以上の高温に耐える土の詳細は不明ですが、その様な土がある事すら不思議な

      感じがします。一般にはドロドロに熔けてしまうはずです。但し、1500℃に耐える窯がある

      以上その窯の材料と同じ素材を使って作品を作れば、高熱に耐える事にはなります。

    ) 窯を高温にするには、特別な方法や工夫があるはずです。

以下次回に続きます。

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現代陶芸165(古谷道生)

2012-08-14 21:08:03 | 現代陶芸と工芸家達

昭和20年代の信楽では、火鉢や汽車土瓶(お茶用)を作っていましたが、次第に石油ストーブや

電化製品、プラスチック等の工業製品に取って替わる様になり、信楽焼きも衰退して行きます。

今の信楽の繁栄からは想像も出来ませんが、古谷氏の幼少期はそんな状態であったと

言われています。その様な信楽にあって、新しい信楽焼きを目指します。

1) 古谷道生(ふるたに みちお): 1946年(昭和21年) ~ 2000年(平成2年) 享年54歳

  ① 経歴

    1946年 滋賀県信楽町神山に、半農半陶(素地屋)の家に生まれる。

    1964年 滋賀県立甲南高校窯業を科卒し、京都府陶工訓練校に入所します。

     その後、内田邦夫クラフト研究所において4年間研修を重ねます。

    1968年 日本一周陶業地研修(轆轤の賃挽きのアルバイト)の旅を1年9ヶ月掛けて行います。

    1970年 独自の窖窯(あながま)を信楽町神山に築窯し、独立します。

    1971年 中国国際陶芸展に入選し、日本陶芸展(毎日新聞社主催)にも入選します。

     同年 初の個展を札幌丸善画廊で開催します。札幌は日本一周陶業地研修の場でもあった

     様で、毎年の様に個展を開いています。

     それ以後も、各地で個展を開催し、個展を中心に活躍します。

    1982年 「信楽陶芸展」で最優秀賞を受賞します。

    1985年 「西武工芸展」で大賞を受賞しています。

    1996年 日本工芸会近畿賞を受賞し、 京都府教育委員会奨励賞受賞、

     同年 滋賀県文化奨励賞を受賞します。

    1999年 東京池袋東武デパートで、25回目の個展を開催しています。

  ② 古谷道生氏の陶芸

   ) 窖窯作りの名人。信楽と伊賀に4基の窖窯を持ち、生涯30基以上の窖窯を築いたと

      言われています。そして窯の改造は無数にあるとの事です。

    a) 日本一周陶業地研修から帰ると、滋賀と三重の県境にある「五位の木」の古窯の調査と

       陶片(破片)を蒐集し、それを参考に1970年に地元信楽町神山に窖窯を築きます。

    b) 土探し。古窯から蒐集した陶片と同様の土を求めて、各地の土を焼いて試す作業を続け

       ます。その結果、紫香楽宮跡地の西方で、真白に焼ける黄瀬戸を見つけます。

    c) 「窯に問題が無くても、目指す作品が焼き上がらない時は、土を変えます。それでも駄目な

      場合は、焚き方を変えます。」と述べています。

   ) 古谷氏は、主に信楽焼きと伊賀焼きを手掛けています。

     信楽と伊賀は滋賀と三重の県境で接する場所にありますが、土は蛙目と木節粘土による

     同じ様な素材です。しかしその表情には差があります。

    a) 信楽焼きは、鮮やかな緋色と焦げの壷類(蹲、偏壷など)が多く、伊賀焼きでは、ビードロが

      厚く流れた花瓶類が多い様です。

    b) 緋色を出す為に、粗目に調節した蛙目粘土を使い、場合によっては、黄瀬土を混入させ

      緋色を安定させるとの事です。但し、耐火度は少々高くなります。

    c) 壷や花入れ等は、ほとんど紐造りで土を積み上げ、その後轆轤成形の方法を取っています。

      この方法は、古窯の陶片を見て彼独自の方法で、窖窯用の造り方を見出したとの事です。

    d) 作品は無釉の焼き締めで、窖窯で焼成します。登窯では良い作品は出来ない様です。

    e) 引き出しビードロ。 彼は自然釉の流れを調整する為に、高温の窯の中から引き出し

      自然釉の流れを確認し、不足の場合には再度窯の中に投入しています。

      これは自然釉の流れ過ぎを防ぎ、流れる方向や数を調整しています。

      更に、急冷と強還元を掛ける事により、冴えた色に発色するそうです。

   ) 古谷氏の作品

     信楽大壷: 高 44 X 口径 20 X 胴径 50 cm

     信楽蹲壷: 高 19.5 X 口径 11 X 胴径 18.5 cm

     信楽偏壷: 高 25.5 X 横205.5X 奥行  6.5 cm

     伊賀三角花入: 高 25X 径 13  cm

     伊賀砧花入: 高 25.5 X 口径 6.5 X 胴径 12 cm

     伊賀耳付花入: 高 25.5X 口径 12 cm などの作品があります。

尚、息子さんの和也氏も、父の跡を継いで作陶に励んでいるとの事です。
 
次回(熊野 九郎右ヱ門)に続きます。
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現代陶芸164(高内秀剛)

2012-08-13 22:21:26 | 現代陶芸と工芸家達

1938年(大正13)、濱田庄司氏が移り住んで以来、単なる一地方の窯場であった、栃木県の益子町は

民芸陶器の一大産地として、脚光を浴び、多くの陶芸家が移り住む様になります。

昭和30年代になると、民芸とは異なる作品を作る若手陶芸家が、移り住む様になります。

代表的な人は、加守田章二(1933~1983)ですが、東京生まれの高内秀剛もその一人です。

1) 高内秀剛(たかうち ひでたけ、又はしゅうごう): 1937年(昭和12)~  東京に生まれます。

  ① 経歴

    1956年 東京文教高等学校を卒業し、デザインの会社に勤務します。

    1957年 東京中央郵便局に勤務しながら、独学での陶芸を志します。

    1967年 伝統工芸新作展に入選します

    1968年 サラリーマン生活を辞め、栃木県益子町に移り住み、窯を築きます。

    1972年 日本伝統工芸展に初入選を果たします。

     1973年 日本陶芸展(毎日新聞社主催)に入選します。

    1978年 日本工芸会正会員に認定されます。

    1980年 ヴァロリス国際ヴィエンナーレに出品し、文化芸術協会賞を受賞します。

    1992年 日本の陶芸「今」百選展(NHK主催)に出品します。
      
    2000年 うつわをみる 暮らしに息づく工芸展(東京国立近代美術館工芸館)に出品
      
    2003年 現代日本の陶芸 受容と受信展(戸板学園主催 東京都庭園美術館)に出品

    個展: 日本橋三越、大阪高島屋、銀座松坂屋、池袋西武、東京セントラル美術館、南青山

         グリーンギャラリー等、多くの場所で開催しています。

  ② 高内秀剛氏の陶芸

   ) 彼の陶芸の原点は、たまたま仕事で益子を訪れ、そこで目にした民芸陶器や現代陶芸の

     創造的エネルギーに圧倒された事によるそうです。特に濱田庄司氏の力みなぎる作品に

     関心が向きます。しかし次第に彼独自の作風で表現した作品を発表する様に成ります。

   ) 高内氏は、織部、灰釉、象嵌などを中心に篇壺、鉢、花瓶、皿など現代的な器形で抽象的な

      表現を交えた作陶を続けています。

      特に織部に力を入れ、大胆に轆轤成形したボデーに青織部や黒釉を掛けた新たな織部を

      目指しています。

    ) 織部陶器を手掛けていた当初は、「織部は作為の塊で造形が第一」と、考えていたと

       述べています。 即ち、細工が第一で、土は単なる素材と見ていた様です。

       さすがに現在では、一土、二焼、三細工という境地を会得したとの事です。

     ) 彼の作品の特徴は、「コテ」を押し当て、大胆に器の側面を削ぎ落とす事です。

        「コテ」には、包丁を利用したり、大きなナイフ状に加工した鉄板や、分厚い木の板を使う

        場合もあります。成形部分に合わせて使い分けるそうです。

       ・ 又、側面や上部を鋭いナイフで大胆に切り取り、形を作る場合もあります。

       ・ 更に、鋸の刃状の「へら」を使って、渦巻き紋の文様を付けるのも特徴の一つです。

     ) 抹茶々碗も大胆に削り取られ、無骨な作品に仕上げています。

        釉掛けも、意図的に塗り残した部分を設けている様に見えます。

   ③ 高内秀剛氏の作品

     ) 織部手桶: 高 57 X 横 43 X 奥行25cm 他

        織部手付鉢: 高 36 X 横 49X 奥行37cm 

        黒織部四方手鉢: 高 36 X 横 28 X 奥行19cm 

     ) 織部大皿: 高 5 X 横 45 X 奥行19cm 

        織部四方大皿: 高 8 X 横 39 X 奥行39cm 

        黒織部大皿: 高 3.5 X 横 29 X 奥行27cm 

     ) 織部茶碗: 高 9.5 X 口径12 X 高台径7cm 

                 高 8.5 X 口径12.5 X 高台径7.5cm その他

        黒織部茶碗: 高 10 X 口径12 X 高台径7cm

                 高 8.5 X 口径12.5 X 高台径6.5cm等の作品があります。

次回(古谷道生)に続きます。

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現代陶芸163(瀧口喜兵爾2)

2012-08-11 22:16:54 | 陶芸入門(初級、中級編)

 瀧口喜兵爾氏は、美濃久久利(ククリ)に窯を築き、ひたすら織部に意欲を燃やしている作家です。

 ② 滝口氏の陶芸

  ) 黒織部の釉掛け

    a) 模様を描く: 茶碗の側面に窓状の枠を作り、鉄絵具や鬼板で模様を付ける。

      鉛筆や墨(赤インク、マジックでも可)などで、器に当たりを付けます。

      (但し、当たりは焼成時に消失し、痕が残りません。)

      織部の模様は絞り染めからヒントを得ている様で、絵柄の面白さも織部の魅力の一つです。

      乳鉢で良く擦った鉄絵具などを、当たりに沿って筆で描いて行きます。

    b) 鉄釉を掛ける: 滝口氏は素焼きをせずに、直に施釉する方法を取っています。

      鉄釉は鬼板と長石と土灰を混ぜて作りますが、引き出し黒の場合には、長石は入れない

      そうです。

      ・ 先ず器の内側(見込み)に、柄杓に汲んだ釉を流し込み、2秒程で容器に戻します。

      ・ 絵柄部と高台と高台脇を除いて、鉄釉の容器内で浸し掛けで施釉します。

      ・ 鉄釉を掛けた一部を剣先で引っ掻き、更に鉄絵を描きます。

        こうする事により、鉄絵の具の「陰」と、鉄釉の「陽」の両方が、表現できるとの事です。

      ・ 絵付けの部分と引っ掻いた部分に、長石の入った透明釉を柄杓掛けや筆で塗ります。

  ) 黒織部の焼成(引き出し黒)

      窯は薪窯で、1230℃に達したら色見を引き出し、鉄釉の熔け具合を見てから、窯の蓋の

   レンガを取り除いて、火鋏(はさみ)で挟んで茶碗を取り出します。

   ・ 引き出し後は、耐火性の板の上に置きくと、「チンチン」「ピンピン」と音を立てて黒く成って

     いきます。最後に窯の側に置かれた水に沈めます。こうする事により、少し「マット」状に

     成ると言われています。

  ) 型を使った織部の作品: 土型を使って鉢や向付も作っています。

     一般には石膏型が多いですが、土型の方が形の線が柔らかく成るとの事です。

     自家製の土型に、「蚊帳」又は「さらし木綿」の布をかけて、粘土の板(タタラ)を押し付けて

     成形する方法です。

    a) 型に布を被せる際、皺(しわ)がよらないに様に注意します。

       特に角ばったものは角に皺がより易いです。

    b) 型よりやや大きくタタラを作ります。このタタラ(厚さ6mm程度)を型に載せ、型に沿わ

      せて土を押さえ形を作ります。型よりはみ出た余分な土は、弓で切り取ります。

    c) 角の部分はどうしても、肉厚が薄くなりますので、より土を着けて角を出す様にします。

    d) 作品によっては型から抜く前に、土の重みで形が崩れる場合がありますので、他の土で、

      下から支えます。

    e) 型から抜き布を剥がします。布痕を「ヘラ」で押さえます、布の折り返し痕に傷が

      出来るのを防ぎます。

    f) 生乾きの状態で「カンナ」を掛け、形を整えます。

      その後、作品に応じて、脚や取っ手をつけます。

  ) 鳴海織部:赤白の二種類の土をはぎ合わせた、華やかで美しい織部焼きです。

     一説には、名古屋の鳴海地方の特産の、鳴海絞の文様に似ている事から、命名された  

     との事です。

     白い土と鉄分の多い赤土を、はぎ合わせて、茶碗、向付、手鉢などを作ります。

     a) 赤土部分に白化粧土を掛け、更にその上に鉄絵具で線描きします。

     b) 又は赤土部分に、白絵土で文様を描きます。

     c) 白土部分には青織部釉を、鉄絵や白絵土の部分には透明釉を、生掛けます。

     d) 注意点は、土の繋ぎ目に割れが発生し易いので、しっかり締めて繋ぎ合わせる事と、

        繋ぎ目が作品の中央に成る様にする事だそうです。

  ) 弥七田織部:

      牟田洞、窯下、中窯(岐阜県可児市久々利大萓)の近くで、慶長末期か寛永の頃まで

      焼かれていたと思われています。

      技法も精巧、細緻ですべて洗練され、しゃれた意匠のものが多く、素地は総体に薄手で

      緻密です。 形は端正で特に意匠には細かい神経が使われています。

      繊細な絵付に緑釉も所々に細く紐状に垂らし掛け、赤を点線として絵の中に効果的に取り

      入れている事も特徴の一つです。

 ③ 瀧口喜兵爾氏の作品

  ) 黒織部茶碗: 高8.5 X 径 14.5X11.5cmなど

  ) 総織部: 長大皿シノギテ:高5.5 X 横55 X 奥行30cm

            紅葉銘々皿:高3.5 X 横16.5 X 奥行16cm

            扇面銘々皿:高3 X 横14.5 X 奥行17cmなど

     ) 鳴海織部: 手付鉢:高19 X 横25 X 奥行22cm

              向付:高5.5 X 横15.5 X 奥行11.5cm

   ) 弥七田織部: 織部縞ねじり紋小鉢:高3.5 X 径16.5 cm

                織部台付向付:高6 X 横15 X 奥行15.5cm等の作品があります。

次回(高内秀剛)に続きます。

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現代陶芸162(瀧口喜兵爾1)

2012-08-10 21:57:41 | 現代陶芸と工芸家達

瀧口喜兵爾(たきぐち きへいじ): 1937(昭和12年)~

 ① 経歴

   1937年 東京浅草の靴製造業の家に生まれる。

   1959年 玉川大学農学部を卒業します。卒業後音楽好きの関係で、河合楽器に入社します。

   1961年 陶芸の道を志し、母校の美術の先生を訪ねます。

    ここで美術の講師であり、美濃焼きの窯元でもある加藤十右衛門氏を紹介され、加藤氏の窯に

    入り、土練、原料の精製、窯詰めなどの初歩から修行を始めます。

   1966年 加藤氏の別邸の近くの美濃大萱に、三坪の工房を建て、薪窯を築きます。

    ここでは当初、主に志野を焼いています。 織部に取り組むのはその5年後との事です。   

   1973年 窖窯を築きます。

   1975年 登窯を築きます。

   1978年 東京・日本橋にて初個展。

    その後も各地で、個展を中心に発表を重ねています。

    特に、「壺中居」(東京日本橋)では、毎年のように個展を開催しています。

   2007年 東京・日本橋にて開窯40周年記念展を開催。

   2009 、2011年 瀧口喜兵爾 ・ 大喜 父子展 : 柿傳ギャラリー(東京新宿) 

   2010年 瀧口喜兵爾 ・ 麻野 : 父娘展 : 柿傳ギャラリー(東京新宿) 

 ② 滝口氏の陶芸

   滝口氏は織部様式を中心に作品を作っています。

   織部焼きは、古田織部(1544~1615年)の好みが強く反映した焼き物で、多彩な装飾や

   歪んだ茶碗(沓茶碗)などの特徴があります。

   織部は黒織部(引き出し黒)、青織部、総織部、鳴海織部、弥七田織部などに分類され、黒く

   発色する鉄釉や、金属の銅を使い、酸化焼成で濃緑色を発色する、織部釉があります。

  ) 黒織部(引き出し黒)の成形

    a)  電動轆轤ではなく、昔ながらの回し棒を使って回転させる手回しの轆轤を使って制作し

      ています。 「手回し轆轤のゆっくりとした回転が、茶碗成形に大切な要素であり、回転が

      落ちるに従い轆轤目と共に形が出来てきます。そして茶溜りを付ける時など、回転を止める

      時が一番重要」と述べています。

      又、「胴を薄く引き上げ、口はやや厚く残し、口縁の下を少し絞り口をやや広げると、力強い

       形に成る」と言っています。

   b) 変形は、「シッピキ」で底を切り離す前に、胴や腰を押して、三角や四角形などに変形さ

     せます。変形は掌(てのひら)に収まる様にしますので、器の正面はこの時に決まります。

   c) 底削りは鉄製の刃先の細いカンナを使いますが、畳付き部分や高台脇、胴などは、

     「木ヘラ」を使います。「木ヘラ」は土離れが良い上に、土味が良くでます。

     更に土を削ぎ落とす様に使います。最後に飲み易い様にする為、「木ヘラ」で飲み口を削り、

     口縁全周に凹凸(山道)を付け、口にピッタリする様に「木ヘラ」で削ります。

     実際に口を付けて確認後、水を着けたスポンジで角を取る為、軽く拭きます。

     以上で成形は完了となります。

      注: 「木ヘラ」とは、一般に松の薪を薄く板状に割って作ります。松材は松脂の為、土離れが

        良いとされ、余り加工しない方が良いとも言われています。

  ) 釉掛けと焼成

以下次回に続きます。

 参考資料: 陶工房 No17(2000年):(株) 誠文堂新光社

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