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オリヴァー・ストーン監督『コマンダンテ』(カストロに関するドキュメンタリー)

2008-11-26 15:27:31 | ノンジャンル
 WOWOWで、オリヴァー・ストーン監督の'03年作品「コマンダンテ」を見ました。キューバのフィデル・カストロ議長へのインタビューとドキュメンタリー・フィルムから構成された映画です。
 革命当時のニュースフィルムが流れ、「2002年2月 カストロに取材を敢行。インタビューは30時間にも及んだが、彼は内容の削除を一切求めなかった。」の字幕。スペイン語のタイトルロール。「フィデル・カストロは、バティスタ政権打倒を目指し、反乱軍を率いる。軍、警察、労働組合は政権を支持。だが、警察の腐敗に対する米国メディアの報道は、政権の先行きに影を落とす。反乱軍は16ヶ月の間、シエラ・マオストラで抵抗を続け、物資不足にも関わらず、密林で武器を製造。彼らは通信手段や補給路を断ち、暗殺や破壊工作を展開した。オリエンテ地方に侵攻し、カストロは伝説と化す。職業軍人たちに挑んだ理想家は語った、『私は負けても次があるが、バティスタにはない』と。そして続けた。『独裁政権は終わりを告げた。この上ない喜びだ。しかし、やるべきことはたくさん残っている。我らの政治哲学は、代表制民主主義および計画経済で社会主義を実現することだ』 キューバ革命は小さな革命だったが、今も継続中だ。小さな島でも、そこで起きた革命は偉大なものだった」というナレーション。「革命が失敗していたら、今も公園の木箱の上で革命を呼びかけている?」というストーン監督の問いに、カストロは「いや、死んでいた」と答えます。
 現在のキューバの様子の映像。「新政権が公約をすべて達成した際には、このヒゲを剃る」と語る若きカストロ。カストロにインタビューする前のスタッフとカストロの様子。演説では言葉の調和とリズムを大切にすると語るカストロ。「行政に費やす時間は少なく、仲間と話し合う時間を多くとるようにしている。ヒゲを剃らないのは、時間が惜しいからだ」と語るカストロ。「いいニュースは冷静に聞く。悪いニュースはもう慣れっこだ。母の死、チェ・ゲバラの死を知らされた時は、本当に辛かった。アメリカに亡命した男が、自分の息子の引き渡しを求めてきた時も、男の涙を見て、それに応じる決断をした」とカストロは話し、両親への思いを語ります。そして次のようにも述べます。「運命は信じない。息をひきとる瞬間にも、革命はまだ終わってないと思うだろう」「ヘミングウェイは賞賛すべき人物だ。官邸を敵に包囲されれば、チリのアジェンデ大統領のように最後まで戦う。死ねば、すべて終わりだと確信している」「今まで人が自分をどう見ているか気にしたことはない。歴史は相対的なものだ。名声や人気などには何の価値もない。すべてはいずれ消え去るものなのだ」カストロにキスされて、飛び上がらんばかりに喜ぶ若い女性。「早く新しい秩序に到達すべきだ。それが遅れれば、人類は消滅の危機に陥る。自然にも限りがある。それを浪費し続けて、自然を破壊することは許されない」「モノカルチャーは権力、そして独占はメディアから生じる」と語るカストロ。資源を動機をしてアンゴラの独立をつぶしにかかる帝国主義者たちから、アンゴラを守るために、兵士を送る正当性を訴える、当時のカストロの姿。「88年南アフリカ軍 アンゴラ撤退」の字幕。
 芸術作品を見て回り、賞賛するカストロ。映画を見る暇はないが、ビデオで「タイタニック」や「グラディエーター」を見たと語り、若い頃はソフィア・ローレンやブリジット・バルドー、男優ではチャップリンが好きで、どの作品ももう一度見たいと言います。カンティンフラスは新鮮で、ドバルデューの映画も何本か見ているとも語ります。
 '59年に150万人の人々が演説に感動して「フィデル! フィデル!」と連呼した時のことについて尋ねられると、人々の支持には満足感を覚えるが、少年の引き渡しの事件の後のこの数年は、自分を支持してくれる市民運動が活発となり、革命時の比ではないと答えます。また、自分のことを批判しすぎる傾向があり、もっとよくできたのではと自分を責めることが多いとも語りますが、革命時の悲惨な状況から現在の状態まで国民生活を改善できたのは、革命のおかげだと述べます。本とビデオをプレゼントするストーン監督と、ジョークを言いながら受け取るカストロ。カストロの乗るベンツに手を振る人々。ケネディが暗殺時にオープンカーに乗り低速で走っていたことへの感想を求められると、カストロは、オズワルドの単独犯人説はありえないとし、陰謀の可能性が高いと述べます。学校を訪れて車からカストロが降りると、人々が歓声で迎えます。海外から学びに来ている生徒たちも含めて、すべての生徒は学費が無料です。革命前に認められていなかった中絶も合法になり、教養ある女性が増えたと語ります。ゴルバチョフを英雄と認め、彼の意図は正しかったし、彼がキューバへの援助を停止したのは、アメリカの圧力によるものだったと語ります。歴代のソ連の指導者の中で一番気が気が合ったのはフルシチョフで、とても抜け目のない農民であり、キューバに共感して援助を始めてくれたと言います。
 カストロを残忍な独裁者扱いする当時のアメリカのニュース映画。ゲリラ活動中、戦闘があまりに辛かったので離脱する者はいたが、カストロを批判する者はいなかったと言い、ゲリラ兵は皆独立戦争に身を捧げていたと語ります。農地改革のことを話すだけで、カストロを共産主義者呼ばわりしたニクソン。アメリカに砂糖の割り当てを取り上げられたので、ソ連と同盟することに決めたというカストロは、その時のソ連の経済的援助に感謝しますが、政治的な押し付けは一切なかったと断言します。ソ連に軍事援助を要請したのは、アメリカの侵攻が迫っていたからで、その後の2ヶ月の間、キューバ危機が起こりましたが、それはケネディに経験がなく、前政権の政策をそのまま踏襲してしまったからだと語ります。また、アメリカの侵攻に対する核兵器での報復を口にしたこともなく、ソ連兵の反撃があるだろうと述べただけで、それをソ連の使者が誤訳してフルシチョフに伝えたことも、キューバ危機の原因の一つになったと述べます。恐れていたのは、アメリカにより核兵器が破壊され、国が放射能で汚染されることでした。当時のアメリカへの要求は3つ。グアンタナモ基地の返還、封鎖の解除、そして海賊的な攻撃の中止でした。その後、カストロは、友人や盟友の考えがいかに移ろいやすいかを知ります。度重なるCIAの干渉、ベトナムへキューバが軍事顧問団を送ったというデマ、拷問など一度も行なわなかったこと、なぜなら価値観を持たない自分が、他人を批判することなどできないからだと、カストロは語ります。
 どこへ行っても握手責めに会うカストロ。傑出した独裁者を擁護し、エビータ・ペロンと比べられることは嫌ではないと言い、自分は自分の考えで働き、任務を遂行してきたとし、自分が自分の独裁者であり、国民の奴隷だと自己規定します。希望したどこでも撮影が許され、監視者もなかっただろうと、ストーン監督に語るカストロ。生きがいを問われ、自分が成し遂げたことに満足していて、新しい思考が進むたび、大きな喜びを感じ、革命の成果にも安堵していると語ります。そして、生きがいとは、物の価値を知り、知識を得、人生で何かを成すことだとも述べます。女性関係について問われると、それは述べる義務はないと言いながらも、ストーン監督の質問に応じるカストロ。党から選挙には候補者を一切出さず、地域の代表が選挙によって選ばれるキューバの民主主義システム、そして同性愛者や黒人への差別の解消について述べられますが、真の機会均等はまだ実現されていないと認めます。ボリビアに向かったチェ・ゲバラのことを語るカストロ。そして生まれ変わっても、同じような人生を送りたいと言い、エンディングタイトルが流れ出し、その合間でカストロは、ストーン監督やスタッフたちと抱擁しあいます。

 長々と書きましたが、それはこれが非常に重要な映画であるからです。歴史の読み違えと真実の声、数々の格言、そうしたものが、稀代の革命家であるフィデル・カストロの口から語られます。オリヴァー・ストーン監督はこれまでも現代の政治を抉る映画をいくつも撮ってきましたが、今回の映画が最高傑作なのではないでしょうか?
 指導者が先ず目指すべきは平等であり、そしてその後に目指すべきは物質的生活の向上、精神的生活の向上であり、そこでは物質的に何の獲得を目指すのか、精神的に何の獲得を目指すのかという、価値観の問題がでてきます。したがって、現在の生活を打破する「革命」を起こすには、新しい価値観の共有ができていることが前提となり、その獲得のために戦うことが必要となるのだと語るカストロは、圧倒的に正しいと思われます。そのために私たちは命をかけて戦う価値があり、そこには「生きがい」が生じてきたりもするのでしょう。
 私たちはフィデル・カストロ、そしてチェ・ゲバラ、ひいてはチリで散ったアジェンデ大統領らからまだまだ学ぶことが沢山ありそうです。もう一度彼らの言葉を聞いてみる時が来ているのかもしれません。