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広河隆一監督『パレスチナ1948 ナクバ・NAKBA』

2011-03-12 00:01:00 | ノンジャンル
 広河隆一監督・撮影・写真の'08年作品『パレスチナ1948 ナクバ・NAKBA』をDVDで見ました。
 イスラエル中部キブツダリア。'06年11月に広河は'67年キブツの研修生として来て以来、40年ぶりにそこを訪れます。'67年6月の第3次中東戦争の後、占領に反対するイスラエルの団体「マツペン」が発足し、広河も参加しました。そしてキブツダリアは元はダリヤトルーハというパレスチナ人の村だったことが明らかになります。それ以来、広河はそこに住んでいた村人の行方を探し始めます。'82年のレバノンのキャンプで起こった虐殺を取材してから、映像ジャーナリストとしての広河のキャリアが始まります。'02年9月レバノンのシャティーブ難民キャンプで、その時の虐殺の様子を語る老婆。'88年10月同地で、虐殺から生き延びた少女へのインタビュー。その姉キファーは銃を取り、その後消息は途絶えますが、広河の調査でレバノンの収容所に生きていることが分かります。'94年9月シャティーラにおいて、6年の獄中生活の後のキファーに会います。解放2年後に難民の子供を支援する団体に参加するキファー。'02年9月レバノン南部ヒヤム収容所。広河は'68年に滞在していた村を再訪し、元マツペンメンバーや右派ユダヤ人にインタビューします。占領下のヘブロン市街でユダヤ人医師ゴールドシュタインは20人のパレスチナ人を虐殺します。'94年3月ヘブロンで虐殺後に起こったインティファーダとそれに対する発砲。イスラエル北部ヒルアム村跡。そして元住民へのインタビュー。'48年に起こったパレスチナ人虐殺について証言するパレスチナ人歴史学者、元ユダヤ兵とその元司令官、東エルサレム・ショーファット難民キャンプのパレスチナ人、ヨルダン川西岸地区トゥルカレムのタントゥーラ歴史資料館長、元住民、ユダヤ人歴史学者。エルサレムで35歳以下のパレスチナ人が立入り禁止にされ起こる騒ぎ。ヘブロンでのインティファーダ。イスラエル占領下ラッマーラ市での銃撃戦。エルサレムにおけるパレスチナ人の自爆攻撃。道路を封鎖するイスラエル兵とデモ隊の対峙。占領地を訪れるユダヤ人看護婦。'02年6月テルアビブで行われた「マツペン」展と、元マツペンメンバーへのインタビュー。'06年1月ベイルートにキファーを訪れます。イスラエル北部マヘル村やナザレ市、ヨルダン川西岸地区ジェニンにダイヤトルーハの元住民がいることが分かり、広河は会いに行きます。'02年3月ヨルダン川西岸地区トゥルカレムが戦車により破壊されます。'02年2月ヨルダン川西岸地区ナブルス、'02年3月ベルレヘム、'06年8月ベイルートでも同じような破壊が行われます。そして'06年11月、ダイヤトルーハの元住民は自分達の村の跡を訪れるのでした。
 '48年にイスラエルにより行われたパレスチナ人の虐殺の実態が克明に描かれています。アメリカ・メディアを中心にユダヤ資本で支配されているマスコミには、なかなか乗ってこない情報だと思いました。フランスの5月革命の影響を受けて「マツペン」が始まったことも初めて知りました。パレスチナの現状を理解するのにもオススメです。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/^m-goto)