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『第2版 日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』

2013-08-30 05:35:00 | ノンジャンル
 昨日の朝日新聞の朝刊に『永さんのラジオ46年で幕』という見出しの記事が載っていました。関係者によると、1社提供で番組を支えた桃屋から降板の意思が伝えられたのが打ち切りのきっかけとのことで、永さん自身パーキンソン病を患い、歯切れのいい語りはできなくなっていたのですが(心ない人は、「あんなしゃべりしかできない奴をラジオに出すな」と言ってきたそうです)、一昨年、足を骨折したときも病室で収録し、休まなかったとのことで、この番組にかける永さんの思いは並々ならぬものだったのだと思います。先日偶然テレビで「夢で逢いましょう」の回顧番組の中での永さんをお見かけしましたが、これも何かの縁だったのかもしれません。改めて「お疲れさま」と言いたいと思います。
 
 さて、日中韓3国共通歴史教材委員会編集の『第2版 日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』を読みました。日・中.韓3国の学者・教師・市民がともに参加して編集した日中韓の近現代史に関する教科書です。
 この本で初めて知ったことは多くありましたが、特に記しておきたいことは、満州族(満族)の前身の女真族が建国した「後金」が明と戦う一方で朝鮮にも侵攻していたこと、日清戦争中、日本軍は旅順で非戦闘員である市民に対する虐殺事件を引き起こしていたこと、日露戦争中、日本軍は韓国の土地を鉄道用地や軍用地として取り上げ、人・馬・食糧などを戦争のために供出させたこと、福沢諭吉は「脱亜論」を唱え、今後はアジアの文明化をすすめるのではなく、アジアとは縁を切って、西洋諸国と同じような仕方でアジアの支配をすすめていこうと主張したこと、自由民権運動は、日本国内の改革運動が次第に行きづまりを見せるようになると、その目を海外に向け、日本が外国に勢力を拡大していくことを主張するようになったこと、1885年には、武器をたずさえて朝鮮に渡り、朝鮮で政治の実権をにぎっている勢力を殺害して清国との関係を断ち切らせ、それをきっかけに起こるはずの清国と日本との対立を利用して、日本国内で革命を実現しようという自由民権家たちの計画が、事前に発覚するという事件さえ起きたこと、朝鮮政府は1897年に国号を「大韓帝国」に変え、民間でも1896年、開化派の官僚と知識人たちは独立協会をつくって独立門を建て、「独立新聞」を発刊したこと、しかし大韓帝国政府は彼らの要求を受け入れず、独立協会を解散させてしまったこと、東学農民戦争を指導したチョン・ポンジュンのことを歌った歌が今でも韓国全国で歌い継がれていること、清朝が滅亡する前の10年間に留学した人の90%以上は日本への留学だったこと、日本では当初学校の建築費や授業料は民衆が負担することになっていたこと、中国語や韓国語は横書きであること、日露戦争中に日本に対して韓国で行われた義兵闘争には各界各層からの参加があったこと、日本が韓国で鉄道を敷設する際、用地買収の費用は2%しかなく、日本国内での13%という数字と比べても、ただ同然で奪ったことが分かること、日本と「満州国」政府は、抗日勢力を孤立させるため、村々を合併させ、村民たちを強制的に「集団部落」に移住させ、周囲を高い塀と深い堀で囲み、軍隊と警察が門を警備して自由な出入りを許さず、民衆と抗日軍との連絡を切断したこと、日中戦争中、日本軍に拉致され、38日間にわたって、毎日7回も10回も強姦され、重い性病を移された18歳の少女がいたこと、サンフランシスコ講和条約では、東南アジアの4ヶ国にだけ賠償が行われたが、どれも実態は「賠償」という名の経済協力ないし貿易で、被害者個人への補償は行われなかったこと、在日朝鮮人や台湾人は「国籍上、日本人ではない」として、国民年金や児童手当などの社会保障や、就職・住居などで国籍差別を受けることになったこと、BC級戦犯の中に「元日本兵」として裁かれ有罪とされた朝鮮人148名、台湾人173人がいたこと、日本と違い、ドイツ・フランス・アメリカ・カナダは国内の民間人、旧植民地出身者、戦争被害者個人へ補償を行っていること、第二次世界大戦まで靖国神社の最高役職である宮司には代々陸軍大将が就任してきたこと、などなどでした。
 日本軍に対しては中国、朝鮮ともに抗日運動が盛んに行われ、その度ごとに日本軍は虐殺で応えていたことがよく分かりました。自民党で靖国に堂々と参拝している政治家も、きちんとこの本で歴史を学んでほしいと思ったりもしました。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto