5月のWOWOWでは、エドワード・ヤンの映画が21日から24日の午後11時より4本も放映されます。私が今までに見た『台北ストーリー』と『ヤンヤン 夏の想い出』はどちらも文句無しの傑作でした。今回はそれに加えて『恐怖分子』と長年見たいと思っていた『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(長さはなんと3時間57分!)を見ることができます。映画好きの方でまだWOWOWに加入されていない方は、来月の21日までに加入されることをお勧めします。
さて、昨日の続きです。
それから私は打の先生に著書を送るようになりました。それは感想を聞きたいとかそういうことではなく、先生がたまたま手に取って「あ、ちゃんとやれてるじゃない」って思ってくれたらいいなと。
私が女流文学賞をもらった次の日の朝のことです。玄関のチャイムが鳴って、誰だろうと思って開けたら中央公論の女性編集者が立っていたんです。宇野先生からのお手紙と花束を持ってくださったんです。その時の私の家って福生だから遠いんですよ。手紙は原稿用紙に手書きで、文章作法が書いてあった。私が宇野さんを先生と呼んでいたみたいに、先生も私を弟子だと思ってくれていたのかな。その手紙は、いまでも宝物として取っているんです。
私が最初の結婚の時、相手はアメリカ人だったんですけど、宇野先生に結婚したことをお知らせしたくてパーティーの招待状を出したんです。その時宇野先生はもうかなりの御高齢ですし、まさか来てくださるとは思わなかったけど、なんといらっしゃったんです。不思議なことに、綺麗なお化粧とお着物姿の先生が登場すると、それだけで周りが華やかになるんですよ。夫の友だちは、彼らもやはりアメリカ人だから、宇野千代という作家のことは知らない。それでも先生を見て「この人は何者かである」ということがわかるのか、皆が寄って行って話しかけるんです。そして夫の親友が、宇野先生に握手を求めて、エスコートしたんです。宇野先生が「すばらしい結婚式ね、私ももう一度結婚したいわ」と言うと、夫の親友は「あなたなら何歳になってもかまわないから、お待ちしています」と返したんです。すると先生は平然と、「じゃあ、待っててくださる?」と言った。すごいですよね。あの泰然としながら無邪気な御様子。それを見て私は、こういう人は、ほんとうに理想だなと思った。肩書きなんかなくても、「あの人はただ者じゃない」と思わせるような人になりたいなって。
宇野先生は生き方も含めて、全部が小説的なんですよね。時代のことを考えれば、ものすごく不道徳な生き方と見なされると思うけど、小説がうまいから全部いい。それはつまり、小説には時代や社会とはちがう、自分だけのモラルを確立するという役目がある。そしてそれを言葉で提示する。言葉の問題はとくに重要です。宇野先生は自分だけのモラルを生きて、それを小説にしたんですよね。
モラルを言葉で提示するには、雰囲気やなんとなくでは決して書けなくて、ましてや自分をごまかすことなんて決してできない。宇野先生の波乱万丈の人生の中には辛いことも沢山あったはずだけど、それでも恋のよろこびを書いて、楽しい思いを文章にぶつけてきた。ふつうなら赤裸々でドロドロした小説になったり、自己顕示欲の強いものになってしまいそうな話でも、全然そうはならない。客観性と、語りの技術が凄いんです。私は私小説というのは一番巧妙なフィクションのことだと思っていますが、それを際めている。相手の男の浮気相手のことだって、悪く言わない。憎しみを憎しみとして書かないことを私は「宇野千代」から学びました。
いま世の中はどんどん保守的になっているけど、そういうことに対抗するのが小説だと思います。宇野千代文学は、生きて行くのに役立つ文学です。
小説っていうジャンル自体古くさいと言われたりもするけど、なにをいまさら、って思います。だって、人間の心っていちばん最古のものでしょう。どんなに世の中のツールが発達しても、人間の心は変わらないから常に時代遅れなのはあたりまえ。そういう小説家のありようを残して行くのが重要だと思います。
そんな宇野先生にとって作家という職業は一種の性(さが)で、だから生涯書きつづけたんだと思います。作家というのは元手のいらない職業で、元手はこの身体ひとつ。体に詰まっているものを使って、ずっとなにかを紡ぎだしてゆくんです。
私は先生の小説を読んでいると、先生が身体からそうやって多くのものを紡ぎだしていたことを、追体験できるような気がします。」
この文章を読んで、私も小説を書いてみようかな、と思いました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
さて、昨日の続きです。
それから私は打の先生に著書を送るようになりました。それは感想を聞きたいとかそういうことではなく、先生がたまたま手に取って「あ、ちゃんとやれてるじゃない」って思ってくれたらいいなと。
私が女流文学賞をもらった次の日の朝のことです。玄関のチャイムが鳴って、誰だろうと思って開けたら中央公論の女性編集者が立っていたんです。宇野先生からのお手紙と花束を持ってくださったんです。その時の私の家って福生だから遠いんですよ。手紙は原稿用紙に手書きで、文章作法が書いてあった。私が宇野さんを先生と呼んでいたみたいに、先生も私を弟子だと思ってくれていたのかな。その手紙は、いまでも宝物として取っているんです。
私が最初の結婚の時、相手はアメリカ人だったんですけど、宇野先生に結婚したことをお知らせしたくてパーティーの招待状を出したんです。その時宇野先生はもうかなりの御高齢ですし、まさか来てくださるとは思わなかったけど、なんといらっしゃったんです。不思議なことに、綺麗なお化粧とお着物姿の先生が登場すると、それだけで周りが華やかになるんですよ。夫の友だちは、彼らもやはりアメリカ人だから、宇野千代という作家のことは知らない。それでも先生を見て「この人は何者かである」ということがわかるのか、皆が寄って行って話しかけるんです。そして夫の親友が、宇野先生に握手を求めて、エスコートしたんです。宇野先生が「すばらしい結婚式ね、私ももう一度結婚したいわ」と言うと、夫の親友は「あなたなら何歳になってもかまわないから、お待ちしています」と返したんです。すると先生は平然と、「じゃあ、待っててくださる?」と言った。すごいですよね。あの泰然としながら無邪気な御様子。それを見て私は、こういう人は、ほんとうに理想だなと思った。肩書きなんかなくても、「あの人はただ者じゃない」と思わせるような人になりたいなって。
宇野先生は生き方も含めて、全部が小説的なんですよね。時代のことを考えれば、ものすごく不道徳な生き方と見なされると思うけど、小説がうまいから全部いい。それはつまり、小説には時代や社会とはちがう、自分だけのモラルを確立するという役目がある。そしてそれを言葉で提示する。言葉の問題はとくに重要です。宇野先生は自分だけのモラルを生きて、それを小説にしたんですよね。
モラルを言葉で提示するには、雰囲気やなんとなくでは決して書けなくて、ましてや自分をごまかすことなんて決してできない。宇野先生の波乱万丈の人生の中には辛いことも沢山あったはずだけど、それでも恋のよろこびを書いて、楽しい思いを文章にぶつけてきた。ふつうなら赤裸々でドロドロした小説になったり、自己顕示欲の強いものになってしまいそうな話でも、全然そうはならない。客観性と、語りの技術が凄いんです。私は私小説というのは一番巧妙なフィクションのことだと思っていますが、それを際めている。相手の男の浮気相手のことだって、悪く言わない。憎しみを憎しみとして書かないことを私は「宇野千代」から学びました。
いま世の中はどんどん保守的になっているけど、そういうことに対抗するのが小説だと思います。宇野千代文学は、生きて行くのに役立つ文学です。
小説っていうジャンル自体古くさいと言われたりもするけど、なにをいまさら、って思います。だって、人間の心っていちばん最古のものでしょう。どんなに世の中のツールが発達しても、人間の心は変わらないから常に時代遅れなのはあたりまえ。そういう小説家のありようを残して行くのが重要だと思います。
そんな宇野先生にとって作家という職業は一種の性(さが)で、だから生涯書きつづけたんだと思います。作家というのは元手のいらない職業で、元手はこの身体ひとつ。体に詰まっているものを使って、ずっとなにかを紡ぎだしてゆくんです。
私は先生の小説を読んでいると、先生が身体からそうやって多くのものを紡ぎだしていたことを、追体験できるような気がします。」
この文章を読んで、私も小説を書いてみようかな、と思いました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)