恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず2月20日に掲載された「3月8日の意味」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「来週3月8日は国連が定めた国際女性デー。行政、市民団体、民間企業などが主催するイベントやコラボレーション企画が、今年も各地でも催される。百貨店やホテルなどの参加もあって、この日の認知度が上がってきたことがう実感される。
なんだけど、ふと引っかかった。「国連女性デーは女性の生き方を考える日」というキャッチフレーズを見たからだ。
女性の生き方を考える日? そうなのか?
3月8日が国際女性デー(当初の呼称は国際婦人デー)に制定されたのが1975年。メキシコで国連主催の第一回国際婦年世界会議が開かれた年である。3月8日の由来については諸説あるが、04年(他の都市の説もあり)にニューヨークで行われた婦人参政権デモが起源とされる。つまりベースにあるのは性差別の撤廃を求める運動で「女性の生き方を考える」なんて個人レベルの話じゃないわけね。
この種の矮小(わいしょう)化はよくあることとはいえ、ジェンダーギャップ指数世界120位の日本が「女性の生き方を考える日」とかいってんのを見ると脱力する。ははあ、だから120位なんだ。
この日には女性にミモザの花を贈る習慣がある国もあるそうだ。それもいいけど、同じことなら「女性が家事をボイコットする日」とかに決めたらどうか。「女性の生き方を考える」には適してません?」
また、3月6日に掲載された「独裁者は教育を支配する」と題された前川さんのコラム。
「3日付本紙によると、ロシアの教育当局は教職員に対し、生徒から今回の侵攻について質問された場合の回答マニュアルを作成し、「ウクライナは米欧に操られており、ロシア軍が平和維持活動をしなければならなくなった」と、プーチン大統領が軍事侵攻した理由の説明通りに答えるよう通達したという。
これは学校が政権のプロバガンダ機関に堕したということだ。教師たちがこの通達に従わないことを願う。
独裁者は教育を支配する。日中戦争・太平洋戦争の最中、軍閥独裁のもと日本の学校は兵士養成機関となり、「聖戦完遂」のため天皇に命を捧(ささ)げることが無上の美徳であると子どもたちを洗脳した。
ロシア研究者の西山美久氏によれば、ロシアには、国防省主導で創設された、十八歳までの少年少女が加入する「ユナルミヤ」という愛国団体があり、愛国心を植え付け、軍隊に入るよう奨励しているという。また、大統領府の依頼で作成された教員用教科書では、スターリンを「最も成功したソ連指導者」だと強調しているという。
これは決して、遠い国の他人事(ひとごと)ではない。日本でも、愛国を標榜(ひょうぼう)する権力者たちによる教育への不当な支配が進んでいる。日本をプーチンのロシアのような国にしてはいけないのだ。」
そして、3月9日に掲載された「3月10日の記憶」と題された斎藤さんのコラム。
その日、彼女は級友に誘われて潮干狩りに行った。夜、警報で叩(たた)き起こされ、暗闇の中で昼間採ったハマグリやアサリを持って逃げ出そうとして父にしたたかに蹴飛ばされた。「馬鹿(ばか)! そんなもの捨ててしまえ」
台所いっぱいに、ハマグリとアサリが散らばった。それがその夜の修羅場の皮切りで、おもてに出たら下町の空が真っ赤になっていた。目黒区の祐天寺に近い自宅のすぐ目と鼻の先のそば屋が焼夷(しょうい)弾の直撃で一瞬にして燃え上がった。〈その頃はまだ怪獣ということばはなかったが、繰り返し執拗(しつよう)に襲う飛行機は、巨大な鳥に見えた〉
中央公論新社編『少女たちの戦争』に収録された、3月10日のもようを伝える向田邦子のエッセー(「ごはん」1977年)の一部である。
『少女たちの戦争』は作家、詩人、脚本家、随筆家ら太平洋戦争開始時に満二十歳以下だった女性27人のエッセーを集めたアンソロジーをどれも胸をふさがれる。
向田邦子の3月10日体験にはまだ続きがある。辛うじて焼け残った自宅で「この分でゆくと次は必ずやられる。最後のうまいものを食べて死のうじゃないか」と父は口にし、母はとっておきの白米を炊き、さつまいもの天ぷらを揚げるのだ。
上がはじめた戦争で、犠牲になるのはいつも市民。それだけはいつの時代のどんな国でも変わらない。」
どれも一読に値する文章だと思いました
まず2月20日に掲載された「3月8日の意味」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「来週3月8日は国連が定めた国際女性デー。行政、市民団体、民間企業などが主催するイベントやコラボレーション企画が、今年も各地でも催される。百貨店やホテルなどの参加もあって、この日の認知度が上がってきたことがう実感される。
なんだけど、ふと引っかかった。「国連女性デーは女性の生き方を考える日」というキャッチフレーズを見たからだ。
女性の生き方を考える日? そうなのか?
3月8日が国際女性デー(当初の呼称は国際婦人デー)に制定されたのが1975年。メキシコで国連主催の第一回国際婦年世界会議が開かれた年である。3月8日の由来については諸説あるが、04年(他の都市の説もあり)にニューヨークで行われた婦人参政権デモが起源とされる。つまりベースにあるのは性差別の撤廃を求める運動で「女性の生き方を考える」なんて個人レベルの話じゃないわけね。
この種の矮小(わいしょう)化はよくあることとはいえ、ジェンダーギャップ指数世界120位の日本が「女性の生き方を考える日」とかいってんのを見ると脱力する。ははあ、だから120位なんだ。
この日には女性にミモザの花を贈る習慣がある国もあるそうだ。それもいいけど、同じことなら「女性が家事をボイコットする日」とかに決めたらどうか。「女性の生き方を考える」には適してません?」
また、3月6日に掲載された「独裁者は教育を支配する」と題された前川さんのコラム。
「3日付本紙によると、ロシアの教育当局は教職員に対し、生徒から今回の侵攻について質問された場合の回答マニュアルを作成し、「ウクライナは米欧に操られており、ロシア軍が平和維持活動をしなければならなくなった」と、プーチン大統領が軍事侵攻した理由の説明通りに答えるよう通達したという。
これは学校が政権のプロバガンダ機関に堕したということだ。教師たちがこの通達に従わないことを願う。
独裁者は教育を支配する。日中戦争・太平洋戦争の最中、軍閥独裁のもと日本の学校は兵士養成機関となり、「聖戦完遂」のため天皇に命を捧(ささ)げることが無上の美徳であると子どもたちを洗脳した。
ロシア研究者の西山美久氏によれば、ロシアには、国防省主導で創設された、十八歳までの少年少女が加入する「ユナルミヤ」という愛国団体があり、愛国心を植え付け、軍隊に入るよう奨励しているという。また、大統領府の依頼で作成された教員用教科書では、スターリンを「最も成功したソ連指導者」だと強調しているという。
これは決して、遠い国の他人事(ひとごと)ではない。日本でも、愛国を標榜(ひょうぼう)する権力者たちによる教育への不当な支配が進んでいる。日本をプーチンのロシアのような国にしてはいけないのだ。」
そして、3月9日に掲載された「3月10日の記憶」と題された斎藤さんのコラム。
その日、彼女は級友に誘われて潮干狩りに行った。夜、警報で叩(たた)き起こされ、暗闇の中で昼間採ったハマグリやアサリを持って逃げ出そうとして父にしたたかに蹴飛ばされた。「馬鹿(ばか)! そんなもの捨ててしまえ」
台所いっぱいに、ハマグリとアサリが散らばった。それがその夜の修羅場の皮切りで、おもてに出たら下町の空が真っ赤になっていた。目黒区の祐天寺に近い自宅のすぐ目と鼻の先のそば屋が焼夷(しょうい)弾の直撃で一瞬にして燃え上がった。〈その頃はまだ怪獣ということばはなかったが、繰り返し執拗(しつよう)に襲う飛行機は、巨大な鳥に見えた〉
中央公論新社編『少女たちの戦争』に収録された、3月10日のもようを伝える向田邦子のエッセー(「ごはん」1977年)の一部である。
『少女たちの戦争』は作家、詩人、脚本家、随筆家ら太平洋戦争開始時に満二十歳以下だった女性27人のエッセーを集めたアンソロジーをどれも胸をふさがれる。
向田邦子の3月10日体験にはまだ続きがある。辛うじて焼け残った自宅で「この分でゆくと次は必ずやられる。最後のうまいものを食べて死のうじゃないか」と父は口にし、母はとっておきの白米を炊き、さつまいもの天ぷらを揚げるのだ。
上がはじめた戦争で、犠牲になるのはいつも市民。それだけはいつの時代のどんな国でも変わらない。」
どれも一読に値する文章だと思いました