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奥田英朗『コロナと潜水服』その1

2022-03-28 19:00:00 | ノンジャンル
 奥田英朗さんの2020年作品『コロナと潜水服』を読みました。5編の短編を収めた本です。

「海の家」
 ひと夏、家族と離れて暮らすことになった。
 村上浩二は四十九歳の小説家で、二歳年上の妻と、大学生の娘と息子がいた。(中略)ある事情から、どうしても妻と離れたくて、家を出たのである。ある事情とは、妻の不貞である。(中略)
避難先に選んだのは、神奈川県の葉山町だった。(中略)
 店主が有無を言わせぬ無尽蔵の弁舌で攻め立てるので、じゃあ見てみるかと案内を頼んだら、タイムスリップしたかのような大クラシックな二階建ての日本家屋で、庭は広く、涸れているとはいえ池まであり、浩二はこういう物件が生き残っていることに軽い衝撃を受けた。(中略)

 翌日は朝から庭の草刈りをした。(中略)
 一日働いたせいで、十時を過ぎるともう瞼が重くなった。我慢する理由もないので、隣の和室で寝袋に潜り込む。(中略)
 そのとき、二階の廊下を誰かが走る音がした。トントントン。浩二は子供の足音だと思った。(中略)

 一週間ほど、浩二は家の修繕に勤しんだ。(中略)
 その間、子供の足音も何度か聞いた。浩二が眠りにつくときを見計らったように、二階の廊下をトントントンおt音を立てて走るのである。(中略)
 書斎にいても悶々とするばかりなので、浩二は海岸を散歩することにした。(中略)
 家に帰り、シャワーを浴びた。(中略)すると、水の出る音に混じって子供が廊下を走る音が聞こえた。(中略)二階ではなく一階の廊下で音がした気がした。(中略)
「誰かいますか?」
 (中略)ただ、そのとき確かに、廊下で誰かが身構えている気配がした。六歳くらいの男児だ。(中略)
浩二はタオルを腰に巻き、風呂場を出た。(中略)子供の気配は消えていた。(中略)
 また廊下を走る音がした。
「走らないでください」
 浩二が教師のような口調で声を上げた。ピタッと音がやむ。(中略)
「おじさんはこれから昼寝をします。静かにしていてください」(中略)
 子供の気配は、ゆっくりとドアから離れていった。

(妻の)洋子は相変わらず連絡をよこさなかった。二週間の放置はちょっと洒落にならず、本当にどういうつもりなのかと浩二の心は千々に乱れた。
 ます思うのは、洋子は離婚を覚悟したのだろうかということだ。(中略)
 そして何げなく外に目をやると、門のところに日傘を差した婦人が立っていた。(中略)
「入ってもよろしいかしら。ああ、わたし、この近所の者で……」(中略)
「(中略)この前、山崎さんという元の家主をおっしゃってましたが、どんな人だったんですか」(中略)
「帝大の先生。(中略)」
「この家に男の子はいたんですか」(中略)
「ええ、いたわよ。男の子二人と女の子二人の四人兄妹で、それは賑やかだったの」(中略)
「実は、この家に越して来てから、男の子の足音を聞くんですけどね」(中略)「戦時中のことだけど、この家の次男にタケシ君って男の子がいたの。(中略)」そんな中、昭和十八年の夏、タケシ君が海岸で錆びた釘を踏んで怪我をしたのね。それで応急手当はしたんだけど、その夜から高熱が出て……。(中略)そしたら実は破傷風で、その二日後には呆気なく死んじゃったの」(中略)
「この前、そこの路地ですれちがったとき、わたしには見えたの。あなたと並んで歩いているタケシ君が」(中略)
「秋には家が取り壊されるし、タケシ君の夏も本当にこれが最後ね。遊んであげてちょうだい」(中略)
 浩二は老婦人の話に乗ることにした。(中略)

 八月に入ってすぐ、担当編集者が様子を見にやって来た。(中略)
 トントントン━━。また足音がする。
「君、何か聞こえなかった?」浩二が聞いた。
「は? 何も聞こえませんが」(中略)

 翌日、(担当編集者の)川崎から電話があった。たいていはメールなので、珍しいことだった。
「昨日はごちそうさまでした。(中略)それで、ちょっとお知らせしたいことがあって電話したんですが……」(中略)「実は、僕が撮った家の写真の中に、男の子が写っているカットが一枚あるんですよね……」(中略)

 翌週、娘の結花が遊びに来た。(中略)
「おとうさん、秋になったら帰ってくるんだよね」(中略)
「どういうこと?」(中略)
「だって、おとうさんとおかあさん、喧嘩してるんでしょ?」(中略)
「ま、わたしは、おとうさんの味方だから。(中略)」

 夕食の後、浩二は夜風に当たりたくて浜辺を散歩することにした。(中略)
 そのとき、後方で爆竹が鳴った。(中略)見ると、数人の若い男女が浜辺で騒いでいた。(中略)浩二はかかわりたくないので、迂回して帰ることにした。
 不快な思いで砂浜を歩いていると、目の前に火花が飛んできた。浩二は飛び上がって驚いた。
「うひゃひゃひゃひゃ」
 若者たちが笑っている。

(明日へ続きます……)