昨日の続きです。
「鈴木は山梨の美術館で行われた比較文学者の四方田犬彦(本人)の講演会を訪れました。そこで四方田は、自分が最後に見る女性性器は誰のものであるか考えたことがあるのかを問いかけ、洞窟絵画からピカソまで人間の絵画の歴史の根底には必ずと言っていいほど女性性器が関わっていると述べました。
そのうえで四方田は精神分析の第一人者だったフロイトの言葉を引用し、全ての人間が生まれてくる場所である女性性器は母親の肉体そのものであり、本来は懐かしいものであるがゆえに心理的に恐ろしいものにもなりうるとの考えを示しました。そこで鈴木は、この講演会でスタッフとして働いている怜と偶然にも遭遇しました。
鈴木は、今のままでは怜の母の自画像みたいに描きかけのままになってしまうとして、金はいらないから引き続き写真を撮らせてほしいと頼みました。怜からフィルムを受け取った鈴木はそれを現像して彼女に見せ、その際に怜が自分の性器を写真に残そうとしたきっかけとなった1冊の写真集を見せてきました。
それはフランスの画家で写真家のアンリ・マッケローニの写真集であり、マッケローニは自らの生涯をかけて女性器を撮り続けていたのです。
帰宅した鈴木は夏生に撮りたいテーマが見つかったと告げ、怜の性器が写った写真を見せました。“ブツ撮り”とはこれのことだったのかと呆れる夏生に、鈴木は怜とは何の関係もないと付け加えたうえで、自分でも何を撮っているのかわからないが何かを感じると語りました。
納得はしないものの鈴木の言葉を受け止めた夏生は、鈴木のアシスタントとして怜の撮影に同行しました。撮影を続けるうち、鈴木は「大事なのは時間であり、一緒に過ごす時間の中で撮り続けたい」という境地に達しました。
やがて夏生は女の赤ん坊を出産しました。出産祝いに病院を訪れた怜は、夏生が赤ん坊に授乳しているのを見るや自分にも飲ませてほしいと夏生の乳首を吸い出しました。時を同じくして、怜の母が他界しました。怜は母の唇に絵筆で紅を塗り、母の描きかけの自画像を燃やしました。
その後も鈴木は度々怜の写真を撮っていたのですが、ある時の撮影中に怜がよろめき、助けようとした瞬間に怜と重なり合ってしまった鈴木は、思わず一線を超えて彼女を抱きそうになりました。あくまでも被写体とカメラマンとの関係を維持したい怜はそれを必死に拒み、撮影を続行するよう迫りました。
やがて時は流れ、鈴木は夏生と成長した娘を車に乗せてドライブに出かけました。車は長いトンネルの中へと入り、それはあたかも女性の産道の中を進んでいるようでした。」
矢崎作品としては初めて主役が若い女性でなく、若い男性となっていました。また白黒の画面とカラーの画面の両方が見られる映画でした。
「鈴木は山梨の美術館で行われた比較文学者の四方田犬彦(本人)の講演会を訪れました。そこで四方田は、自分が最後に見る女性性器は誰のものであるか考えたことがあるのかを問いかけ、洞窟絵画からピカソまで人間の絵画の歴史の根底には必ずと言っていいほど女性性器が関わっていると述べました。
そのうえで四方田は精神分析の第一人者だったフロイトの言葉を引用し、全ての人間が生まれてくる場所である女性性器は母親の肉体そのものであり、本来は懐かしいものであるがゆえに心理的に恐ろしいものにもなりうるとの考えを示しました。そこで鈴木は、この講演会でスタッフとして働いている怜と偶然にも遭遇しました。
鈴木は、今のままでは怜の母の自画像みたいに描きかけのままになってしまうとして、金はいらないから引き続き写真を撮らせてほしいと頼みました。怜からフィルムを受け取った鈴木はそれを現像して彼女に見せ、その際に怜が自分の性器を写真に残そうとしたきっかけとなった1冊の写真集を見せてきました。
それはフランスの画家で写真家のアンリ・マッケローニの写真集であり、マッケローニは自らの生涯をかけて女性器を撮り続けていたのです。
帰宅した鈴木は夏生に撮りたいテーマが見つかったと告げ、怜の性器が写った写真を見せました。“ブツ撮り”とはこれのことだったのかと呆れる夏生に、鈴木は怜とは何の関係もないと付け加えたうえで、自分でも何を撮っているのかわからないが何かを感じると語りました。
納得はしないものの鈴木の言葉を受け止めた夏生は、鈴木のアシスタントとして怜の撮影に同行しました。撮影を続けるうち、鈴木は「大事なのは時間であり、一緒に過ごす時間の中で撮り続けたい」という境地に達しました。
やがて夏生は女の赤ん坊を出産しました。出産祝いに病院を訪れた怜は、夏生が赤ん坊に授乳しているのを見るや自分にも飲ませてほしいと夏生の乳首を吸い出しました。時を同じくして、怜の母が他界しました。怜は母の唇に絵筆で紅を塗り、母の描きかけの自画像を燃やしました。
その後も鈴木は度々怜の写真を撮っていたのですが、ある時の撮影中に怜がよろめき、助けようとした瞬間に怜と重なり合ってしまった鈴木は、思わず一線を超えて彼女を抱きそうになりました。あくまでも被写体とカメラマンとの関係を維持したい怜はそれを必死に拒み、撮影を続行するよう迫りました。
やがて時は流れ、鈴木は夏生と成長した娘を車に乗せてドライブに出かけました。車は長いトンネルの中へと入り、それはあたかも女性の産道の中を進んでいるようでした。」
矢崎作品としては初めて主役が若い女性でなく、若い男性となっていました。また白黒の画面とカラーの画面の両方が見られる映画でした。
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