山田詠美さんとの対談本『文学問答』の中で、終戦後に書かれ、戦争というものがよく分かると河野多惠子さんが言っていた、石川淳さんの'46年に発表された短編『焼跡のイエス』を読みました。
昭和21年7月の晦日、明くる8月1日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、わたしは上野の食べ物屋の屋台が並ぶ闇市場で禁制品の煙草を買って、隣でおむすびを売っている若い女の裸の足を欲望を持って見ていました。するとイワシ屋の店から少年が叩き出され、その少年を見ると、ふた目と見られぬボロを着てデキモノに頭部を覆われていて、市場の賤民たちも触れるのを厭うように遠巻きに眺めていました。少年は周囲の目を気にする風もなく歩き出すと、ムスビ屋の店に飛び込み、まあたらしい札を一枚出して台の上におくと、蠅のたかったムスビを一つとって、蠅もろともに噛みつき、おなじくすばやい身のうごきで、今度は立ち上がとうとした女の足に抱きつきました。叫び声を上げながら少年をふりほどこうとする女は、少年と一体となったまま、わたしの方へよろけて来て、わたしは少年の勇猛心の余徳を利用して女を抱こうとしましたが、女に跳ねとばされ、したたか地べたにたたきつけられてしまいました。肱と膝をすりむきいたわたしは、やっとおきあがり、ひとだかりから逃れましたが、そのあと、少年のどうどうとした態度から、彼は律法のない下賤の者たちにつかわされたイエスであるように、わたしには思えてきます。
わたしは気をしずめて、きょうの目的地である谷中に向かい始めました。先日谷中で通りかかった太宰春台の墓に江戸詩文の大宗である服部南郭の墓碣銘を見つけ、その拓本を取っておこうと思ったのでした。上野の山を越えてそこに向かおうとしていたところ、わたしは先程の少年に追われていることに気づきます。そしてついに彼に襲われますが、身近で見た彼の顔はやはり苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかなりませんでした。彼はわたしの荷物をわたしの顔になげつけて駆け出して行きましたが、そのあと、わたしのポケットの中の財布はありませんでした。
あくる日、わたしはまた上野の市場まで出て来ました。きのうのイエスの顔をもう一度みたいとおもったからでしたが、8月1日から市場閉鎖というあてにならないはずの官のふれが今度はめずらしく実行にうつされていて、そこには人の影はなく、イエスのすがたも、女の足も見るよしがないのでした。
「炎天下の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭簀がこいをひしとならべた店の、地べたになにやら雑貨をあきなうのもあり、衣料などひろげたのもあるが、おおむね食いものを売る屋台店で、これも主食をおおっぴらにもち出して、売手は照りつける日ざしで顔をまっかに、あぶら汗をたぎらせながら、『さあ、きょうっきりだよ。きょう一日だよ。あしたからはだめだよ。』と、おんなの金切声もまじって、やけにわめきたてているのは、殺気立つほどすさまじいけしきであった。きょう昭和二十一年七月の晦日、つい明くる八月一日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、そうでなくとも鼻息の荒い上野のガード下、さきごろも捕吏を相手に血まぶれさわぎがあったという土地柄だけに、ここの焼跡からしぜんに湧いて出たような執念の生きものの、みなはだか同然のうすいシャツ一枚、刺青の透いているのが男、胸のところのふくらんでいるのが女と、わずかに見わけがつく風態なのが、葭簀のかげに毒気をふくんで、往来の有象無象に噛みつく姿勢で、がちゃんと皿の音をさせると、それが店のまえに立ったやつのすきっ腹の底にひびいて、とたんにくたびれたポケットからやすっぽい札が飛び出すという仕掛だが、買手のほうもいずれ似たもの、血まなこでかけこむよりもはやく、わっと食らいつく不潔な皿の上で一口に勝負のきまるケダモノ取引、ただしいくら食っても食わせても、双方がもうこれでいいと、背をのばして空を見上げるまでに、涼しい風はどこからも吹いて来そうになかった。」という文で始まるこの短編は、独特の文体で書かれた20ページほどのもので、不思議な読後感を残すものでした。石川淳という人はずっと戦後の作家だと思っていましたが、明治32年生まれの作家だということです。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
昭和21年7月の晦日、明くる8月1日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、わたしは上野の食べ物屋の屋台が並ぶ闇市場で禁制品の煙草を買って、隣でおむすびを売っている若い女の裸の足を欲望を持って見ていました。するとイワシ屋の店から少年が叩き出され、その少年を見ると、ふた目と見られぬボロを着てデキモノに頭部を覆われていて、市場の賤民たちも触れるのを厭うように遠巻きに眺めていました。少年は周囲の目を気にする風もなく歩き出すと、ムスビ屋の店に飛び込み、まあたらしい札を一枚出して台の上におくと、蠅のたかったムスビを一つとって、蠅もろともに噛みつき、おなじくすばやい身のうごきで、今度は立ち上がとうとした女の足に抱きつきました。叫び声を上げながら少年をふりほどこうとする女は、少年と一体となったまま、わたしの方へよろけて来て、わたしは少年の勇猛心の余徳を利用して女を抱こうとしましたが、女に跳ねとばされ、したたか地べたにたたきつけられてしまいました。肱と膝をすりむきいたわたしは、やっとおきあがり、ひとだかりから逃れましたが、そのあと、少年のどうどうとした態度から、彼は律法のない下賤の者たちにつかわされたイエスであるように、わたしには思えてきます。
わたしは気をしずめて、きょうの目的地である谷中に向かい始めました。先日谷中で通りかかった太宰春台の墓に江戸詩文の大宗である服部南郭の墓碣銘を見つけ、その拓本を取っておこうと思ったのでした。上野の山を越えてそこに向かおうとしていたところ、わたしは先程の少年に追われていることに気づきます。そしてついに彼に襲われますが、身近で見た彼の顔はやはり苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかなりませんでした。彼はわたしの荷物をわたしの顔になげつけて駆け出して行きましたが、そのあと、わたしのポケットの中の財布はありませんでした。
あくる日、わたしはまた上野の市場まで出て来ました。きのうのイエスの顔をもう一度みたいとおもったからでしたが、8月1日から市場閉鎖というあてにならないはずの官のふれが今度はめずらしく実行にうつされていて、そこには人の影はなく、イエスのすがたも、女の足も見るよしがないのでした。
「炎天下の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭簀がこいをひしとならべた店の、地べたになにやら雑貨をあきなうのもあり、衣料などひろげたのもあるが、おおむね食いものを売る屋台店で、これも主食をおおっぴらにもち出して、売手は照りつける日ざしで顔をまっかに、あぶら汗をたぎらせながら、『さあ、きょうっきりだよ。きょう一日だよ。あしたからはだめだよ。』と、おんなの金切声もまじって、やけにわめきたてているのは、殺気立つほどすさまじいけしきであった。きょう昭和二十一年七月の晦日、つい明くる八月一日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、そうでなくとも鼻息の荒い上野のガード下、さきごろも捕吏を相手に血まぶれさわぎがあったという土地柄だけに、ここの焼跡からしぜんに湧いて出たような執念の生きものの、みなはだか同然のうすいシャツ一枚、刺青の透いているのが男、胸のところのふくらんでいるのが女と、わずかに見わけがつく風態なのが、葭簀のかげに毒気をふくんで、往来の有象無象に噛みつく姿勢で、がちゃんと皿の音をさせると、それが店のまえに立ったやつのすきっ腹の底にひびいて、とたんにくたびれたポケットからやすっぽい札が飛び出すという仕掛だが、買手のほうもいずれ似たもの、血まなこでかけこむよりもはやく、わっと食らいつく不潔な皿の上で一口に勝負のきまるケダモノ取引、ただしいくら食っても食わせても、双方がもうこれでいいと、背をのばして空を見上げるまでに、涼しい風はどこからも吹いて来そうになかった。」という文で始まるこの短編は、独特の文体で書かれた20ページほどのもので、不思議な読後感を残すものでした。石川淳という人はずっと戦後の作家だと思っていましたが、明治32年生まれの作家だということです。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
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