山田詠美さんの2019年作品『つみびと』を読みました。
第一章
〈母・琴音〉
私の娘は、その頃、日本じゅうの人々から鬼と呼ばれていた。(中略)彼女は、幼い二人の子らを狭いマンションの一室に置き去りにして、自分は遊び呆けた。そして、真夏の灼熱(しゃくねつ)地獄の中、小さき者たちは、飢えと渇きで死んで行った。この児童虐待死事件の被告となったのは、笹谷蓮音(ささやはすね)、当時二十三歳。私の娘。(中略)
子殺しと断定された私の娘に与えられた刑は懲役三十年。(中略)
信次郎さんは、私が何も悪くないと言い続けてくれる唯一の人だ。子供の頃からそうだった。(中略)
私の体のあちこちに付いた痣は、父によるものだった。(中略)
ともかく周囲が予想もつかない理由で、父は別人のようになってしまうのだった。それは、まさに怒りのスウィッチが入ったとしか言いようがなかった。(中略)
ひとりで家を出たのは、父の暴力がますますひどくなって行ったのに加えて、私を嘲(あざけ)ることで一致団結する子供たちから逃げたいという理由もあった。(中略)
〈小さき者たち〉
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがすんでいました。
そういう始まりのお話を、桃太(ももた)は、ずっと忘れることはありませんでした。それは大好きな母の蓮音が、寝る前にいつも読んでくれた絵本のお話だったからです。(中略)
母の周囲には、何人もの男の人がいました。でも、桃太と妹の面倒を見てくれたと思老い出せるのは、たったひとり。それは、母の父、つまり、百太たちの祖父だけなのでした。
しかし、その人は、小さな子供たちにとっては、とても恐ろしい存在でした。ぶたれたりするようなことはありませんでしたが、行儀にとてもうるさかった。(中略)
いつも、色々な人たちが、母を怒っていました。それは、とても可哀相なことだと、桃太は思いましたが、毛を逆立てた猫のようになってしまう母を誰もどうにも出来ないみたいなのでした。(中略)
母は、誰にも親切にしてもらえない人でしたから、自分の子の面倒の見方や世話の仕方を、自身で発見するしかなかったのです。(中略)
〈娘・蓮音〉
桃太と萌音は、それこそ「食べちゃいたい」くらいに、可愛かった。(中略)
桃太がおなかにいると解り、結婚を申し込まれた瞬間は、蓮音の幸福の絶頂だった。(中略)
蓮音は、同じ店で働くアルバイト学生と恋に落ちたのだった。(中略)
学生の名は、松山音吉(おときち)といった。(中略)
第二章
〈母・琴音〉
私は、1966年、北関東の木田沼(きだぬま)市という所に生まれた。市の中心部から車で二十分も行けば農村地帯に出て、そこには見渡す限りの田畑が広がっていた。(中略)
(叔母の)類子さんは「逃げる」という言葉を、さまざまな場面に当てはめてよく使った。(中略)
軽蔑することを覚えて、私は学んだ。この方法は、自分を落ち着かせるには良い方法である、と。(中略)
私は、まだ知らなかった。軽蔑という方法で、さまざまな困難をクリアして行く時、自身もまた誰かしらにその方法を使われる身になることを。(中略)
〈小さき者たち〉
夢の中で、桃太は、冷たい水を思う存分ごくごくと飲んでいるのでした。(中略)
がんばる。それは、母の口癖でした。(中略)
「ようし! ママ、もっとがんばるよ!」(中略)
桃太には、母が地元で、どういう立場に立たされていたのかは知る由もありませんでしたが、彼の祖父になじられていのをかろうじて思い出すことが出来ます。(中略)
〈娘・蓮音〉
母の蓮音が最初に姿を消したのは、蓮音が、まだ小学校の低学年の頃だった。前日、父と母が激しく争っていたのは知っていた。(中略)
ところが、翌日、学校から帰ると、母の姿はなかった。一緒にいる筈の弟と妹もいない。(中略)
ところが、母は、それから二、三日して、まるで何事もなかったかのように帰って来た。(中略)
蓮音の不吉な予感は当たり、それから母は何年間かにわたり何度も姿を消した。弟と妹を連れて出ることもあったし、ひとりきりでいなくなる場合もあった。しかし、そのたびに父に連れ戻された。あるいは、祖母やその妹である大叔母に説得され、ひとりで帰って来た。(中略)
ところが、ある日、本当に母は出て行ったきりの人となった。(中略)
蓮音の孤軍奮闘が始まった。
仕事に向かう途中、弟と妹をそれぞれ幼稚園と託児所に連れて行く父を見送った後、蓮音は、大急ぎで、朝食の後片付けをして、自分の身支度に取り掛かる。そして、家を飛び出して集団登校のために児童が集まる広場に走るのだが、たいていは、皆、出発してしまった後である。(中略)
(明日へ続きます……)
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第一章
〈母・琴音〉
私の娘は、その頃、日本じゅうの人々から鬼と呼ばれていた。(中略)彼女は、幼い二人の子らを狭いマンションの一室に置き去りにして、自分は遊び呆けた。そして、真夏の灼熱(しゃくねつ)地獄の中、小さき者たちは、飢えと渇きで死んで行った。この児童虐待死事件の被告となったのは、笹谷蓮音(ささやはすね)、当時二十三歳。私の娘。(中略)
子殺しと断定された私の娘に与えられた刑は懲役三十年。(中略)
信次郎さんは、私が何も悪くないと言い続けてくれる唯一の人だ。子供の頃からそうだった。(中略)
私の体のあちこちに付いた痣は、父によるものだった。(中略)
ともかく周囲が予想もつかない理由で、父は別人のようになってしまうのだった。それは、まさに怒りのスウィッチが入ったとしか言いようがなかった。(中略)
ひとりで家を出たのは、父の暴力がますますひどくなって行ったのに加えて、私を嘲(あざけ)ることで一致団結する子供たちから逃げたいという理由もあった。(中略)
〈小さき者たち〉
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがすんでいました。
そういう始まりのお話を、桃太(ももた)は、ずっと忘れることはありませんでした。それは大好きな母の蓮音が、寝る前にいつも読んでくれた絵本のお話だったからです。(中略)
母の周囲には、何人もの男の人がいました。でも、桃太と妹の面倒を見てくれたと思老い出せるのは、たったひとり。それは、母の父、つまり、百太たちの祖父だけなのでした。
しかし、その人は、小さな子供たちにとっては、とても恐ろしい存在でした。ぶたれたりするようなことはありませんでしたが、行儀にとてもうるさかった。(中略)
いつも、色々な人たちが、母を怒っていました。それは、とても可哀相なことだと、桃太は思いましたが、毛を逆立てた猫のようになってしまう母を誰もどうにも出来ないみたいなのでした。(中略)
母は、誰にも親切にしてもらえない人でしたから、自分の子の面倒の見方や世話の仕方を、自身で発見するしかなかったのです。(中略)
〈娘・蓮音〉
桃太と萌音は、それこそ「食べちゃいたい」くらいに、可愛かった。(中略)
桃太がおなかにいると解り、結婚を申し込まれた瞬間は、蓮音の幸福の絶頂だった。(中略)
蓮音は、同じ店で働くアルバイト学生と恋に落ちたのだった。(中略)
学生の名は、松山音吉(おときち)といった。(中略)
第二章
〈母・琴音〉
私は、1966年、北関東の木田沼(きだぬま)市という所に生まれた。市の中心部から車で二十分も行けば農村地帯に出て、そこには見渡す限りの田畑が広がっていた。(中略)
(叔母の)類子さんは「逃げる」という言葉を、さまざまな場面に当てはめてよく使った。(中略)
軽蔑することを覚えて、私は学んだ。この方法は、自分を落ち着かせるには良い方法である、と。(中略)
私は、まだ知らなかった。軽蔑という方法で、さまざまな困難をクリアして行く時、自身もまた誰かしらにその方法を使われる身になることを。(中略)
〈小さき者たち〉
夢の中で、桃太は、冷たい水を思う存分ごくごくと飲んでいるのでした。(中略)
がんばる。それは、母の口癖でした。(中略)
「ようし! ママ、もっとがんばるよ!」(中略)
桃太には、母が地元で、どういう立場に立たされていたのかは知る由もありませんでしたが、彼の祖父になじられていのをかろうじて思い出すことが出来ます。(中略)
〈娘・蓮音〉
母の蓮音が最初に姿を消したのは、蓮音が、まだ小学校の低学年の頃だった。前日、父と母が激しく争っていたのは知っていた。(中略)
ところが、翌日、学校から帰ると、母の姿はなかった。一緒にいる筈の弟と妹もいない。(中略)
ところが、母は、それから二、三日して、まるで何事もなかったかのように帰って来た。(中略)
蓮音の不吉な予感は当たり、それから母は何年間かにわたり何度も姿を消した。弟と妹を連れて出ることもあったし、ひとりきりでいなくなる場合もあった。しかし、そのたびに父に連れ戻された。あるいは、祖母やその妹である大叔母に説得され、ひとりで帰って来た。(中略)
ところが、ある日、本当に母は出て行ったきりの人となった。(中略)
蓮音の孤軍奮闘が始まった。
仕事に向かう途中、弟と妹をそれぞれ幼稚園と託児所に連れて行く父を見送った後、蓮音は、大急ぎで、朝食の後片付けをして、自分の身支度に取り掛かる。そして、家を飛び出して集団登校のために児童が集まる広場に走るのだが、たいていは、皆、出発してしまった後である。(中略)
(明日へ続きます……)
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