・━━相米映画の象徴は「伝染」しますね。流行り病のように、出会うと、具とあらがっている。台本の体的に影響されてしまう。10代なら、もう如実な、決定的体験となります。
土井 (前略)歌詞の意味とかによって定義されるのではない、もっと肉体的な何か。非常に無防備に見ていたので、「そのまんま」を受け取っていたと思います。
・土井 脚本や役者に寄り添うのではなく、常に演出は対峙していなければいけない。俳優の身体性をもって表現しなければならない。テレビドラマはバストアップの表情を積み重ねるものだけど、どうにかしてそこから逃れようとあらがっている。文字として書かれていない台本の隙間で何を表現するか。そこに、ものすごくこだわっていたのは、相米映画の影響だったのだと気づかされました。
・土井 (前略)アイドル映画というラベルでくくられることも多いのですが、僕自身はそのことをいつも肯定的に捉えているんです。その瞬間にしかない、そのひとの輝きを記録することが仕事だと思っています。(後略)
・土井 薬師丸さんは、あそこまで苛酷なことをされているのに、相米さんの膝の上にちょこんと座って笑っている写真があるんです。あれがすごく心に残っている。(後略)
・土井 あと、「東京上空いらっしゃいませ」は、牧瀬里穂がほんとうに魅力的ですよね。ただただまっすぐに排出するしかない状況の中で、まっすくに排出されたものを、ただ受け止める時間。幸福感がありました。(中略)架空の人間の作られた話の中でちゃんと生きること。虚構と現実の中間を生きている。これはとても難しいことで、どうしたらいいのか僕も常に考えています。(後略)
・━━相米作品は、よく演劇を引き合いに出して語られます。しかし、演劇性だけでも、映画性だけでも語り得ないものがあると感じます。そして、ドキュメンタリーとも、フィクションでもない「記録」というゾーンがあるのでは、とお話を聞いて思います。
・━━(前略)相米さんは高低差のある場所に人を立たせて、向き合わせるということをよくしますが、それを想起させました。
・土井 ときどき意図的にやるのですが、物理的に距離を離すことで、必然として芝居が身体性を帯びてくるのを見たいんです。
・━━(前略)声を張らせるために、空間を、場を広く使っている。人と人は、離れることによって、全身で相手に何かを伝えようとするのだと。
・土井 (前略)相米さんが当時やろうとしていたことは、10代の女の子の中から、女性性みたいなものを剥ぎ取ることだったように思います。ボディーコンシャスが流行っていた、そんな時代に、あえて女性性を剥ぎ取る。剥ぎ取ることによって、むしろ性を際立たせることをしていたと思います。(後略)
・今村治子(記録) この物語(「翔んだカップル」)は出会ってから別れるまでの高校時代の男と女になっていくドキュメントだと。物語も大きくはドキュメントで、とにかく大胆に。映画敵に大胆に取り組む……姑息な芝居なんて、なくていいっていうような話を監督とふたりでしたんです。(後略)
・榎戸 (前略)相米さんはグイグイ酒を飲んでいて、ベロベロに酔っぱらってしまい、「俺はズームが嫌いだ」って延々と連呼して潰れちゃったんです。(後略)
・小川久美子(スタイリスト) (「セーラー服と機関銃」で)印象的だったのは、最後の殴り込みのシーンで、ビンの破片が飛んで、ひろ子ちゃんの顔をちょっと切っちゃった。計算外ですからね。まずいけど、実際に当てたくて当てたわけじゃないので。私はすぐ近くで見ていたんですよ。心の中で「あ、刺さった」「わーっ」となtって。飛び出しそうなのをぐっと押さえました。(後略)
・村上淳(俳優) (前略)ただ、映画は「見る」のではなく「浴びる」体験に意味があるのでは、と個人的には思っています。劇場で映画を見る意味は、サウンドシステムやスクリーンのでかさ、暗闇で一緒に見るという体験などがピックアップされがちですが、それよりも「浴びる」ことに意味があると思っています。
・村上 (前略)「セーラー服と機関銃」は始まってすぐ、冒頭の踏み切りのロングショットで泣きました。それってもう理由がないんですよ。理屈ではないことで泣いていましたね。
・村上 相米さんは、撮影所システムが崩壊して以降の突出した存在。僕は出演したことはありませんが、20代の頃から、柄本明さん、佐藤浩市さん、永瀬正敏くん、小泉今日子さん、そしてスタッフ……周りにいる人たちから、相米組の武勇伝を聞いてきました。誰もが相米さんの話をしたがる。(後略)
・村上 (前略)無頼派の監督とか、いろいろ言われていますよね。tだ、ある人が言った「演出家」という表現がしっくりきます。このような「演出家」も、その後、現れていないように思います。(後略)
相米ファンは必読の書です。
土井 (前略)歌詞の意味とかによって定義されるのではない、もっと肉体的な何か。非常に無防備に見ていたので、「そのまんま」を受け取っていたと思います。
・土井 脚本や役者に寄り添うのではなく、常に演出は対峙していなければいけない。俳優の身体性をもって表現しなければならない。テレビドラマはバストアップの表情を積み重ねるものだけど、どうにかしてそこから逃れようとあらがっている。文字として書かれていない台本の隙間で何を表現するか。そこに、ものすごくこだわっていたのは、相米映画の影響だったのだと気づかされました。
・土井 (前略)アイドル映画というラベルでくくられることも多いのですが、僕自身はそのことをいつも肯定的に捉えているんです。その瞬間にしかない、そのひとの輝きを記録することが仕事だと思っています。(後略)
・土井 薬師丸さんは、あそこまで苛酷なことをされているのに、相米さんの膝の上にちょこんと座って笑っている写真があるんです。あれがすごく心に残っている。(後略)
・土井 あと、「東京上空いらっしゃいませ」は、牧瀬里穂がほんとうに魅力的ですよね。ただただまっすぐに排出するしかない状況の中で、まっすくに排出されたものを、ただ受け止める時間。幸福感がありました。(中略)架空の人間の作られた話の中でちゃんと生きること。虚構と現実の中間を生きている。これはとても難しいことで、どうしたらいいのか僕も常に考えています。(後略)
・━━相米作品は、よく演劇を引き合いに出して語られます。しかし、演劇性だけでも、映画性だけでも語り得ないものがあると感じます。そして、ドキュメンタリーとも、フィクションでもない「記録」というゾーンがあるのでは、とお話を聞いて思います。
・━━(前略)相米さんは高低差のある場所に人を立たせて、向き合わせるということをよくしますが、それを想起させました。
・土井 ときどき意図的にやるのですが、物理的に距離を離すことで、必然として芝居が身体性を帯びてくるのを見たいんです。
・━━(前略)声を張らせるために、空間を、場を広く使っている。人と人は、離れることによって、全身で相手に何かを伝えようとするのだと。
・土井 (前略)相米さんが当時やろうとしていたことは、10代の女の子の中から、女性性みたいなものを剥ぎ取ることだったように思います。ボディーコンシャスが流行っていた、そんな時代に、あえて女性性を剥ぎ取る。剥ぎ取ることによって、むしろ性を際立たせることをしていたと思います。(後略)
・今村治子(記録) この物語(「翔んだカップル」)は出会ってから別れるまでの高校時代の男と女になっていくドキュメントだと。物語も大きくはドキュメントで、とにかく大胆に。映画敵に大胆に取り組む……姑息な芝居なんて、なくていいっていうような話を監督とふたりでしたんです。(後略)
・榎戸 (前略)相米さんはグイグイ酒を飲んでいて、ベロベロに酔っぱらってしまい、「俺はズームが嫌いだ」って延々と連呼して潰れちゃったんです。(後略)
・小川久美子(スタイリスト) (「セーラー服と機関銃」で)印象的だったのは、最後の殴り込みのシーンで、ビンの破片が飛んで、ひろ子ちゃんの顔をちょっと切っちゃった。計算外ですからね。まずいけど、実際に当てたくて当てたわけじゃないので。私はすぐ近くで見ていたんですよ。心の中で「あ、刺さった」「わーっ」となtって。飛び出しそうなのをぐっと押さえました。(後略)
・村上淳(俳優) (前略)ただ、映画は「見る」のではなく「浴びる」体験に意味があるのでは、と個人的には思っています。劇場で映画を見る意味は、サウンドシステムやスクリーンのでかさ、暗闇で一緒に見るという体験などがピックアップされがちですが、それよりも「浴びる」ことに意味があると思っています。
・村上 (前略)「セーラー服と機関銃」は始まってすぐ、冒頭の踏み切りのロングショットで泣きました。それってもう理由がないんですよ。理屈ではないことで泣いていましたね。
・村上 相米さんは、撮影所システムが崩壊して以降の突出した存在。僕は出演したことはありませんが、20代の頃から、柄本明さん、佐藤浩市さん、永瀬正敏くん、小泉今日子さん、そしてスタッフ……周りにいる人たちから、相米組の武勇伝を聞いてきました。誰もが相米さんの話をしたがる。(後略)
・村上 (前略)無頼派の監督とか、いろいろ言われていますよね。tだ、ある人が言った「演出家」という表現がしっくりきます。このような「演出家」も、その後、現れていないように思います。(後略)
相米ファンは必読の書です。
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