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フランチェスコ・ロージ監督『シシリーの黒い霧』その1

2018-05-29 05:48:00 | ノンジャンル
 フランチェスコ・ロージ監督の’62年作品『シシリーの黒い霧』をWOWOWシネマで見ました。白黒映画です。
 “この映画はシチリアで撮影された。サルヴァトーレ・ジュリアーノが生まれ、7年間支配を続けたモンテブレの村と最後の数カ月を過ごし、ある朝中庭で遺体で発見された。(中略)”の字幕。
 遺体を俯瞰で撮った情景。現場検証の声「1950年7月5日カステルヴェラーノ、デ・マリア宅の中庭で推定30歳の男性の遺体を発見。うつ伏せに横たわり、左足は真っすぐ、右足は曲げている。(画面は地面から遺体を映す)右腕は伸ばしてて軽く握り、左腕は胸の下で曲げている。顔は右の頬が地面に接触」。別の男「左の頬に訂正しろ」。右手の先に拳銃が置かれている。「着衣は次の通り。白い木綿のシャツ、金のバックル、茶色の革ベルトに拳銃のホルスター、キャンバス地の長ズボン、色はカーキ、縞柄の木綿の靴下、ゴム底のイタリア製サンダル。所持品は以下の通り。右の薬指にダイヤモンド付きの合金の指輪、ズボンのポケットに100リラ紙幣1枚、ニセ札ではない。身元不明の人物写真が1枚」。
 車が到着。「写真は撮らないで!」。集まる記者たち。「記者の皆さん、では写真をどうぞ。走らないで」。一人の記者「地面についてる血が少ない」別の記者「体の下だろ?」「上から撮ってくれ」。男「ピンチロリ」「何でしょう?」「写真はあまり撮らせず、適当に追い払ってくれ」ピンチロリ「撮影は終わりです。さあ、もう行ってください」男「その窓を閉めろ」。
 “1945年 パレルモ”の字幕。ナレーション「1943年、連合軍がシチリアに上陸すると、島に独立運動が起こった。独立を訴える政党“シチリア独立運動”とそれを支える“独立義勇軍”が躍動。アメリカ、イタリア、地主、そしてマフィアの支援を受けた警察との激しいゲリラ戦は、双方に死者やケガ人を出し、1945年9月30日、国民解放委員会により政府は活動の指導者アプリーレとヴァルヴァロの逮捕を命じた」。
 独立運動家たちのアジト。「戦争が終わる前に独立を勝ち取るべきだった。状況は悪くなるばかり。今すぐ暴動を起こすしかない」「誰にやらせるつもりだ?」「シチリアには武装ゲリラ組織が37もある。彼らは無法者だが、世の不正や貧困の犠牲者でもある。生活の向上を心より願ってる」「君の提案には反対だと知っているんだろ?」「話すだけムダだ」「分かった。それなら独立部隊を作る。党の責任でなければ文句はないだろう。がリヴァルディはシチリア解放を若者に頼ったぞ」「つまり山賊だろ?」。
 山肌。口笛で合図するゲリラたち。狙撃手。「先生、ここから先は歩いてください。すぐ近くです」「分かってる」。ナレーション「1945年10月モンテブレから数キロ離れた山中で、独立義勇軍の代表が山賊であるジュリアーノに隊長の称号と軍旗を進呈。独立が成功すれば罪は許されると約束した(中略)トリッドことジュリアーノは当時23歳。21歳のとき小麦の闇取引を押さえられ、憲兵を1人殺すと山へ逃げ込み、山賊となった」。
 「どうぞ、彼は中にいます」ドン・ピエトロ「(中略)他の者たちは?」(中略)「独立派の党員で俺たちと独立のために戦うんだ」「山賊から兵隊に格上げか?」「国が武力で来るなら、やり返すまでだ。ジュリアーノを隊長として圧政と闘おう。我々は独立を手にし、君らも自由の身で家に帰れる」
 ドン・ピエトロ、山頂に立ち、シチリア全土を見下ろして「シチリアよ。目を覚ませ。長い眠りを経て、お前は名誉まで失ってしまった。だが目覚めのときが来た。もう眠る必要はない。眠りは死と同じだ。シチリアの白バラたちよ。我々の血で赤く染まるのだ。だが息子や子供たちは自由な土地に住み、未来に向けて微笑みかけるだろう」。
 “シチリアを搾取する者どもたちに死を”“奴らはファシストだ”“独立運動万歳 ジュリアーノ”の壁への落書き。街路を歩きゆく独立派の男たち。「壁に貼り付いて隠れろ」。フェイドアウト。
 夜の公園に男たち、マシンガンを構える。ピーという口笛で暗闇の中、マシンガンの音が響く。
岩場での銃撃戦。手りゅう弾を放つと、建物が火を噴く。ピーという口笛。建物へ走っていく独立派のゲリラたち。
 警察の車。山道でゲリラに狙撃される。
 柩がトラックへ積まれると、トラックは日中の街へと猛スピードで出発する。
 「全部持っていけよ」「どこへ?」「さあな、墓地だろ?」「いつ身元確認を?」「知らん。検事が決める」「一緒にいた男は?」「憲兵に聞いてくれ」〈英語で〉「葬儀の予定は?」「英語は分からんよ」。(明日へ続きます……)


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