昨日の続きです。
思いがけなく、東嶋トミエさんは、それら貴重な資料を研究のために京都に持ち帰ることを許可してくださった。ここまで信頼してくださったからには、恩返しをしなければならない。トミエさんは、後世に高野虎市の存在を伝えていくために、展覧会がしたいとおっしゃっていた。ぜひ実現させよう。
2005年の新年早々に、京都の称名寺のご住職・岡見弘道さんから、京都木屋町の元・立誠小学校を使って何か文化的なイヴェントは出来ないだろうかとご相談を受けた。元・立誠小学校と言えば、稲畑勝太郎が日本ではじめてシネマトグラフの実験上映に成功したといわれる場所だ。即座に高野虎市遺品展を開催しましょうと答え、京都市の門川大作教育長も全面的にご協力くださることになった。
その年の7月に私はチャップリン国際会議のために渡英し、「チャップリンと歌舞伎」についてお話ししたのだが、その席上で「高野虎市の奥さまがご健在で、高野虎市遺品展を企画している」と述べると、大きな反響があった。「ぜひ京都で国際シンポジウムをするべきだ」との声があがり、昔からの友達であるフランク・シャイドは即座に日本に行くと言ってくれた。他にチャップリン研究の権威デイヴィッド・ロビンソン、以前京都で私のインタビューを撮影したオーストラリアのキャスリン・ミラード監督が手を挙げてくれた。他に、ハリウッド俳優で高野虎市についてのドキュメンタリー映画を制作中のクライド・クサツ、アメリカの高野研究者コンスタンス・クリヤマ教授も参加を快諾してくれ、イタリアのチャップリン・プロジェクトのチェチェリア・チェンチアレーリとキーストン映画の修復をしているダヴィデ・ポッツィ、シカゴ大学の著名な理論家ユリ・ツィヴィアン教授も来日した。
これを機会に日本チャップリン協会を設立しようと動き始めた。以前からお世話になっているチャップリンの次女ジョゼフィンに最高顧問になってくださいとお願いしたところ、二つ返事で快く引き受けてくださった。でも、忙しくて日本には行けないということだった。そこをなんとか来てくれないかと再度お願いしたところ、1カ月ぐらいして「行くとしたら一つ条件があります。お金はまったくいらないし、飛行機代も半額ぐらい貰えればいいわ。でも、大野さん、父の愛した京都の観光案内をしてくれる?」そんなのおやすい御用です!ということでご出席くださることになった。京都でなければ国際シンポジウムは難しかったかも知れない。
名誉会長にはやはりチャップリンに直接お会いになった黒柳徹子さんしかいらっしゃらない。以前「徹子の部屋」に出演させていただいた縁で、思い切ってお手紙を書いてみた。すると、思いがけなく、直々にお電話をいただき、「京都にもぜひ行きます」とおっしゃってくださった。黒柳徹子のチャップリンへの思いに感動した。
元女優の山口淑子さんにもご連絡をとり、恐れ多くもご自宅まで押し掛けて、チャップリンとの長年の交遊について貴重なインタビューをさせていただいた。初対面にも関わらず、宝物のチャップリンとのお写真をすべてお貸し下さった。今回も展示している日本舞踊を踊るチャップリンの写真などだ。
チャップリンの次女に、黒柳徹子さん、高野虎市さんの奥さまに、デイヴィッドをはじめとする世界からの超一流の研究者や映画監督、そしていずれも初公開の貴重なコレクション……かつてないほどの豊かな内容のシンポジウム/展覧会である。
しかし、当然のことながら、私は展覧会をしたこともなければ、国際シンポジウムを企画した経験もない。とりあえずは、図録を作ろうと思い、お世話になっている印刷会社テンプリントさんにご相談した。全面的に協力くださると即答してくださった山口保義社長のご尽力がなかったら、この催しはなかっただろう。ステッキ専門・チャップリンの山田澄代社長は噂を聞きつけてお電話をくださり、スポンサーに名乗り出てくださった。
チャップリンが1936年に宿泊した京都の最高級旅館・柊家の女将・西村明美さんは、ジョゼフィン夫妻の宿泊をご提供くださった。チャップリンとのご縁を大切にしてくださるお気持ちが嬉しかった。京都に本社を置く鉄鋼会社ケイハンの西田康郎社長からは「京都でやるなら」と、西陣の老舗・菱屋善兵衛さんからも「京都を盛り上げるために」と御協賛いただいた。地元の商店街も、フラッグや看板を作ってくださった。多くの方々の応援をもって京都でのチャップリン国際シンポジウムと「チャップリンと日本~チャップリン秘書・高野虎市遺品展」は実現した。
*
(また明日へ続きます……)
思いがけなく、東嶋トミエさんは、それら貴重な資料を研究のために京都に持ち帰ることを許可してくださった。ここまで信頼してくださったからには、恩返しをしなければならない。トミエさんは、後世に高野虎市の存在を伝えていくために、展覧会がしたいとおっしゃっていた。ぜひ実現させよう。
2005年の新年早々に、京都の称名寺のご住職・岡見弘道さんから、京都木屋町の元・立誠小学校を使って何か文化的なイヴェントは出来ないだろうかとご相談を受けた。元・立誠小学校と言えば、稲畑勝太郎が日本ではじめてシネマトグラフの実験上映に成功したといわれる場所だ。即座に高野虎市遺品展を開催しましょうと答え、京都市の門川大作教育長も全面的にご協力くださることになった。
その年の7月に私はチャップリン国際会議のために渡英し、「チャップリンと歌舞伎」についてお話ししたのだが、その席上で「高野虎市の奥さまがご健在で、高野虎市遺品展を企画している」と述べると、大きな反響があった。「ぜひ京都で国際シンポジウムをするべきだ」との声があがり、昔からの友達であるフランク・シャイドは即座に日本に行くと言ってくれた。他にチャップリン研究の権威デイヴィッド・ロビンソン、以前京都で私のインタビューを撮影したオーストラリアのキャスリン・ミラード監督が手を挙げてくれた。他に、ハリウッド俳優で高野虎市についてのドキュメンタリー映画を制作中のクライド・クサツ、アメリカの高野研究者コンスタンス・クリヤマ教授も参加を快諾してくれ、イタリアのチャップリン・プロジェクトのチェチェリア・チェンチアレーリとキーストン映画の修復をしているダヴィデ・ポッツィ、シカゴ大学の著名な理論家ユリ・ツィヴィアン教授も来日した。
これを機会に日本チャップリン協会を設立しようと動き始めた。以前からお世話になっているチャップリンの次女ジョゼフィンに最高顧問になってくださいとお願いしたところ、二つ返事で快く引き受けてくださった。でも、忙しくて日本には行けないということだった。そこをなんとか来てくれないかと再度お願いしたところ、1カ月ぐらいして「行くとしたら一つ条件があります。お金はまったくいらないし、飛行機代も半額ぐらい貰えればいいわ。でも、大野さん、父の愛した京都の観光案内をしてくれる?」そんなのおやすい御用です!ということでご出席くださることになった。京都でなければ国際シンポジウムは難しかったかも知れない。
名誉会長にはやはりチャップリンに直接お会いになった黒柳徹子さんしかいらっしゃらない。以前「徹子の部屋」に出演させていただいた縁で、思い切ってお手紙を書いてみた。すると、思いがけなく、直々にお電話をいただき、「京都にもぜひ行きます」とおっしゃってくださった。黒柳徹子のチャップリンへの思いに感動した。
元女優の山口淑子さんにもご連絡をとり、恐れ多くもご自宅まで押し掛けて、チャップリンとの長年の交遊について貴重なインタビューをさせていただいた。初対面にも関わらず、宝物のチャップリンとのお写真をすべてお貸し下さった。今回も展示している日本舞踊を踊るチャップリンの写真などだ。
チャップリンの次女に、黒柳徹子さん、高野虎市さんの奥さまに、デイヴィッドをはじめとする世界からの超一流の研究者や映画監督、そしていずれも初公開の貴重なコレクション……かつてないほどの豊かな内容のシンポジウム/展覧会である。
しかし、当然のことながら、私は展覧会をしたこともなければ、国際シンポジウムを企画した経験もない。とりあえずは、図録を作ろうと思い、お世話になっている印刷会社テンプリントさんにご相談した。全面的に協力くださると即答してくださった山口保義社長のご尽力がなかったら、この催しはなかっただろう。ステッキ専門・チャップリンの山田澄代社長は噂を聞きつけてお電話をくださり、スポンサーに名乗り出てくださった。
チャップリンが1936年に宿泊した京都の最高級旅館・柊家の女将・西村明美さんは、ジョゼフィン夫妻の宿泊をご提供くださった。チャップリンとのご縁を大切にしてくださるお気持ちが嬉しかった。京都に本社を置く鉄鋼会社ケイハンの西田康郎社長からは「京都でやるなら」と、西陣の老舗・菱屋善兵衛さんからも「京都を盛り上げるために」と御協賛いただいた。地元の商店街も、フラッグや看板を作ってくださった。多くの方々の応援をもって京都でのチャップリン国際シンポジウムと「チャップリンと日本~チャップリン秘書・高野虎市遺品展」は実現した。
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(また明日へ続きます……)
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