gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』

2008-07-22 21:28:15 | ノンジャンル
 先日79才で亡くなった土本典昭監督の代表作である'71年作品「水俣 患者さんとその世界」をNHK・BS2で見ました。水俣病に関するドキュメンタリーです。
 「昭和45年夏 水俣病発生地帯の南端 鹿児島県出水市」という字幕に続き、漁をする小舟上の夫婦が、地元では魚が売れなくなるので水俣病が発生していることを否定する声が強く、3~4人が狂い死にしたと話します。昭和7年のチッソ工場の稼動から昭和28年の水俣病の発見を経て現在までの過程が年表で示され、バックに祈りの声が響き、タイトルが出ます。地図が示され、漁船からの風景をバックに魚がフラフラしていることの発見からチッソの工場の破壊までのことを語る昭和34年当時の漁民代表者、そして暴力的な漁民と水俣市民の対立、暴動を受けて昭和34年にチッソが一人当たり数万の見舞金で済ませようとしたこと、国や企業への陳情の様子などが語られます。妻と3才の娘を亡くした夫の話、異常な動きをする猫、皮膚は剥げ、肉は腐り、苦しみ抜いて死んだ夫のことを語る妻、脳が変形して優しい娘を亡くした母の話、水俣病で初めて東京に行き、厚生省の役人にやりこめられて情けなくて泣いた患者の話、昭和45年の熊本での患者の集会、東京まで歩いて浄財と署名をもらった会長の演説、水俣市全景、チッソの組合が会社を糾弾する声、株主総会で「お前も水銀を飲め」と言おうという作戦会議、楽しんで裁判闘争をしようという声、胎児性水俣病の15才の少年、妻を亡くした、タコ漁をする夫の話、「苦海基金」が100万円集まり、患者を持つ29世帯に貸すことを宣言する会の面々、水俣市長に10万貸してくれと陳情する人々、一株運動に反対する裁判弁護団、祖父を失った、漁をする妻の話、ボラの餌を作る様子、夫と祖父と娘を失った妻、18才の娘の患者を抱える母、15才の胎児性患者の女性、子どもとともに嫁ぎ先から追い出された女性患者、患者さん同志の会話、デモの様子、胎児性の18才の男性がオルガンを弾き、電器店店主からもらったステレオを聞く様子、耳がつぶれた胎児性の少年、リハビリセンターの胎児性の15才の子供たちの半数がやっと一ケタの計算をしている様子、胎児性で最も症状の重い少年、寝たきりの胎児性の20才の女性、リハビリで苦しむ胎児性の18才の女性、常に裸足の11才の胎児性の少年、やっと話す11才の胎児性の少年、目も見えず耳も聞こえない胎児性の14才の少女を長女なので宝だと言う両親、熊本地裁に駆け付ける患者とその家族、死者を弔う歌を歌う患者たち、水俣病患者の記録フィルム、発症した時の様子を話す患者、患者の街頭演説、認定されていない患者を探す患者、大阪でのチッソの株主総会に巡礼の姿で乗り込む患者とその家族、そして最後に水俣湾で漁をする人たちのバックに祈りの声が響いて、映画は終わります。
 監督が5ヶ月の間水俣にとどまって撮ったこの映画での一番の驚きは、胎児性の患者を当たり前のように受け入れている両親の姿です。あまりにも両親の笑顔が自然なので、兄弟たちが患者のマネを面白がってするまで、こちらも親の様子を当たり前のように感じてしまいます。しかし彼らが外に出ると、「怨」と書かれたノボリを立てて、猛烈な勢いでチッソに対決していくのです。私たちはもう水俣病は済んだことと考えがちですが、この映画から37年がたった今も胎児性水俣病に苦しんでいる人がいるに違いありません。そんなことを思い出させてくれた映画でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿