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ジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』

2022-03-26 07:06:00 | ノンジャンル
 ジャン=リュック・ゴダール監督の1959円作品『勝手にしやがれ』フをDVDで再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」」に一部加筆修正させていただくと、
「〈B級映画会社モノグラムに捧ぐ〉の字幕。フランス・マルセイユ。アメリカの俳優ハンフリー・ボガートに憧れている自動車泥棒のミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)はこの日もいつものように車を盗み、パリに向かう途中で白バイの警察に追跡されます。うまく振り切ったかと思いきや車が途中で故障し、やむなく車内にあった拳銃で警官を射殺して逃走します。
 パリに着いたミシェルは知り合いの女から金を盗んで街に出ます。ミシェルは旅行案内所のアントニオ(アンリ=ジャック・ユエ)の所へ約束の金を受け取りに行きますが渡されたのは小切手でした。
 すぐにも現金がほしいミシェルは、ベリユッティという男が小切手をを現金化してくれると聞き、早速彼のもとに行こうとしますが、途中で二人組の刑事に尾行されます。
  辛うじて追っ手から逃れたミシェルは、前の日に南仏の海岸で出会ったパトリシア(ジーン・セバーグ)というアメリカからの留学生のもとへ向かいます。
 パトリシアはニューヨーク・ヘラルド・トリビューンという新聞社の記者見習いや売り子をして生計を立てています。ミシェルはパトリシアのアパートに転がり込み、二人でしばしの時を過ごします。
 その後、パトリシアは空港にてある作家(ジャン=ピエール・メルヴィル)のインタビューの仕事に向かい、ミシェルは盗んだ車を中古車屋に売ろうとしますが、ミシェルを怪しみ現金を出し渋る店の主人を殴って逃げ出します。
 仕事を終え、新聞社に戻ったパトリシアのもとに刑事が訪ね、ミシェルに関する情報提供を求められますが彼女は何も答えず、刑事はミシェルの居場所が分かったら連絡するよう言い残してその場を立ち去ります。
 パトリシアはミシェルと合流してモンマルトルへ向かい、ようやくベリユッティと対面して翌日にも現金が受け渡しできることになりました。
 その夜、二人はベリユッティの友人の家に泊ります。ミシェルは、金が手に入ったら外国へ一緒に行こうとパトリシアを誘い、彼女は了承します。
 しかし翌朝、パトリシアの気持ちは変わっていました。彼女が一番欲しいものは「自由」だったのです。パトリシアは密かに警察に密告し、一方で旅仕度をしているミシェルに警察が来ると伝えます。
 ミシェルはベリユッティのところに金を受け取りに向かいますが、そこに警官隊が現れました。金を持ってきたベリユッティはミシェルに逃げろと言いますが、ミシェルは「疲れた」と言って逃亡を拒否します。
 その時、ミシェルの背後から警官の銃弾が放たれます。よろめきながら路地を走り、やがて倒れたミシェルは、駆け付けたパトリシアに「最低だ」と呟いて絶命します。パトリシアは刑事にミッシェルがなんと言ったのか尋ねると、刑事は「君は最低だと言った」と言います。そしてパトリシアの顔のアップで映画は終わります。

 アイリスアウト、アイリスイン、フェイドアウト、フェイドイン、オーバーラップ、俯瞰撮影、パン、冒頭とラストの前後の長い移動撮影と、ありとあらゆる映画の技法が使われていました。

斎藤美奈子さんのコラム・その109&前川喜平さんのコラム・その70

2022-03-21 20:58:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず3月13日に掲載された「ロシア人へのヘイト」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「プーチンが主観的にいかに正義を主張しようとウクライナへの侵略戦争を正当化できる余地は全くない。この戦争を始めた責任はひとえにプーチンにある。言論も報道も教育も統制された専制国家ロシアで、この戦争の責任をロシア国民に帰することは困難だ。
 しかし、日本ではロシア人に対するヘイト行為が頻発している。ロシア人ユーチューバーの小原ブラスさんのSNSには「ロシア人は日本から出て行け」などという中傷が届くという。東京・銀座のロシア食品店「赤の広場」では店の看板が壊された。店長はウクライナ出身なのに。この事件を理由に札幌大学の学長ら幹部は、同大教授の計画したロシア文学に関するパネル展示の延期を求めた。嫌がらせをされるリスクがあるからだという。情けない話だ。
 外国人を排撃する人間は「自分は日本人だ」と思うことにより辛うじて自分のアイデンティティーを確保している愚かな人間だ。独立した人格と自由な精神を持たず、個人として立っていられない哀れな人間なのだ。
 ロシア人だというだけでプーチンと同類だと考えるのは間違っているし国家と国民を同一視するのも頼りだ。何より人は誰でも国民である前に個人である。それを知らない愚かな人間のヘイト行為は、それを知るまっとうな人間がやめさせなければならない。」

 また、3月16日に掲載された「黒髪直毛神話」と題された斎藤さんのコラム。
「「ブラック校則」と呼ばれてきた都立高校の校則の一部が2023年度から廃止されることになった。髪型や服装に関するものは以下の三つ。
 1,髪を一律に黒く染める。2,側頭部を短く刈り上げた「ツーブロック」を禁止する。3,下着の色を指定する。
 これらの校則を廃止にする決定は、都教育委員会の上意下達ではなく、各校の教員、生徒、保護者らが自分たちで話し合って結論を出した点に価値があるらしい。
 いずれにしてもシーラカンスのような校則である。特に問題なのはやはり髪色問題で、茶色っぽい生徒の髪を黒く染めさせるなど言語道断。黒い肌の生徒に白いファンデーションを塗れと強要しているのに等しい。髪の色や肌の色はアイデンティティーにかかわる。それを否定するのは人権侵害にあたるのだ。
 ところが同じブラックの容疑がかかった校則でも、髪が黒くない生徒や、くせ毛の生徒に「地毛証明書」を任意で提出させる校則は複数の学校で存続となった。「教師が間違った指導をしないため」という。
 日本の教育界はなぜかくも長きにわたり茶髪や金髪を嫌い、ウエーブを嫌い、「黒髪直毛」にこだわったのか。いまとなってはそっちがむしろ謎である。多様なルーツを持つ生徒が世界中から来るとは想像しなかったのか。それもまぬけな話である。」

 そして、3月20日に掲載された「映画「教育と愛国」」と題された前川さんのコラム。
 「「教育と愛国」(斉加尚代監督・5月14日公開)の試写を見た。子どもを型にはめる道徳教科書、「従軍慰安婦」「集団自決」「強制連行」をめぐる教科書検定、教科書採択への政治的圧力など、教育の右傾化と政府支配を鋭くえぐり出したドキュメンタリー。僕には辛い映画だ。教科書への政府見解の記載を求めた検定基準や教育への首長の発言力を強めた法改正は、当時局長だった僕に責任があるからだ。
 2012年に日本居郁再生機構が大阪で開いた会合で熱く語る安倍晋三氏。教科書採択に「政治家がタッチしてはいけないのかといえば、そんなことはないですよ。当たり前じゃないですか」。いやいや政治家はタッチしないのが当たり前なのだ。育鵬社の教科書が目指すのは「ちゃんとした日本人をつくること」と語る執筆代表の伊藤隆氏。「ちゃんとしたとは」と問われると、少し考えて「左翼ではない…」。客席から失笑が漏れた。
 教育への政治支配が進めば、日本の学校はロシアや中国のように政府プロパガンダを信じ込ませる場に堕すだろう。そんな学校は行かない方がいい。渡嘉敷島で集団自決を語る古川嘉勝さん。島民が殺し合う名か、母は沖縄方言で「逃げなさい」「生きなさい」と言った。母は教育を受けておらず無学だった。学校に行かなかったから本当のことが言えたのだ。」

 どれも一読の価値がある文章だと思いました。

斎藤美奈子さんのコラム・その108&前川喜平さんのコラム・その69

2022-03-10 19:16:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず2月20日に掲載された「3月8日の意味」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「来週3月8日は国連が定めた国際女性デー。行政、市民団体、民間企業などが主催するイベントやコラボレーション企画が、今年も各地でも催される。百貨店やホテルなどの参加もあって、この日の認知度が上がってきたことがう実感される。
 なんだけど、ふと引っかかった。「国連女性デーは女性の生き方を考える日」というキャッチフレーズを見たからだ。
 女性の生き方を考える日? そうなのか?
 3月8日が国際女性デー(当初の呼称は国際婦人デー)に制定されたのが1975年。メキシコで国連主催の第一回国際婦年世界会議が開かれた年である。3月8日の由来については諸説あるが、04年(他の都市の説もあり)にニューヨークで行われた婦人参政権デモが起源とされる。つまりベースにあるのは性差別の撤廃を求める運動で「女性の生き方を考える」なんて個人レベルの話じゃないわけね。
 この種の矮小(わいしょう)化はよくあることとはいえ、ジェンダーギャップ指数世界120位の日本が「女性の生き方を考える日」とかいってんのを見ると脱力する。ははあ、だから120位なんだ。
 この日には女性にミモザの花を贈る習慣がある国もあるそうだ。それもいいけど、同じことなら「女性が家事をボイコットする日」とかに決めたらどうか。「女性の生き方を考える」には適してません?」

 また、3月6日に掲載された「独裁者は教育を支配する」と題された前川さんのコラム。
「3日付本紙によると、ロシアの教育当局は教職員に対し、生徒から今回の侵攻について質問された場合の回答マニュアルを作成し、「ウクライナは米欧に操られており、ロシア軍が平和維持活動をしなければならなくなった」と、プーチン大統領が軍事侵攻した理由の説明通りに答えるよう通達したという。
これは学校が政権のプロバガンダ機関に堕したということだ。教師たちがこの通達に従わないことを願う。
 独裁者は教育を支配する。日中戦争・太平洋戦争の最中、軍閥独裁のもと日本の学校は兵士養成機関となり、「聖戦完遂」のため天皇に命を捧(ささ)げることが無上の美徳であると子どもたちを洗脳した。
 ロシア研究者の西山美久氏によれば、ロシアには、国防省主導で創設された、十八歳までの少年少女が加入する「ユナルミヤ」という愛国団体があり、愛国心を植え付け、軍隊に入るよう奨励しているという。また、大統領府の依頼で作成された教員用教科書では、スターリンを「最も成功したソ連指導者」だと強調しているという。
これは決して、遠い国の他人事(ひとごと)ではない。日本でも、愛国を標榜(ひょうぼう)する権力者たちによる教育への不当な支配が進んでいる。日本をプーチンのロシアのような国にしてはいけないのだ。」

 そして、3月9日に掲載された「3月10日の記憶」と題された斎藤さんのコラム。
 その日、彼女は級友に誘われて潮干狩りに行った。夜、警報で叩(たた)き起こされ、暗闇の中で昼間採ったハマグリやアサリを持って逃げ出そうとして父にしたたかに蹴飛ばされた。「馬鹿(ばか)! そんなもの捨ててしまえ」
 台所いっぱいに、ハマグリとアサリが散らばった。それがその夜の修羅場の皮切りで、おもてに出たら下町の空が真っ赤になっていた。目黒区の祐天寺に近い自宅のすぐ目と鼻の先のそば屋が焼夷(しょうい)弾の直撃で一瞬にして燃え上がった。〈その頃はまだ怪獣ということばはなかったが、繰り返し執拗(しつよう)に襲う飛行機は、巨大な鳥に見えた〉
 中央公論新社編『少女たちの戦争』に収録された、3月10日のもようを伝える向田邦子のエッセー(「ごはん」1977年)の一部である。
 『少女たちの戦争』は作家、詩人、脚本家、随筆家ら太平洋戦争開始時に満二十歳以下だった女性27人のエッセーを集めたアンソロジーをどれも胸をふさがれる。
 向田邦子の3月10日体験にはまだ続きがある。辛うじて焼け残った自宅で「この分でゆくと次は必ずやられる。最後のうまいものを食べて死のうじゃないか」と父は口にし、母はとっておきの白米を炊き、さつまいもの天ぷらを揚げるのだ。
 上がはじめた戦争で、犠牲になるのはいつも市民。それだけはいつの時代のどんな国でも変わらない。」

どれも一読に値する文章だと思いました