おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

病院

2006年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、病院通いをしている。

勿論、TOのWHOの治療の為である。
患部の腫れを鎮めるのが、当面の目的だが、徐々に尿酸値を
押さえる薬もこれからは必要だ。

僕は、ぎりぎりまで薬には頼らない。
黒木瞳出演のCMのように、

「薬には頼りたくない」

という、少々困った性分なのである。
寝込む程の風邪をひいたことは、この5年程ないが、
仮に風邪をひいたとしても、薬を飲む事はないだろう。
気合いだ、気合いで直す。

薬に頼らないのだから、病院なんて言わずもがなだ。

もう、7~8年程は行った事がなかった。
TOのWHOの発作が出たとしても、患部を冷し、
そして“気合い”で乗り切ってきた。

しかし今回、先週の月曜日、とうとう歩けなくなってしまった。
仕事もある。
師走で忙しい。仕事柄、一年の中でも屈指の繁盛期だ。
休むわけにはいかない。しかし、歩けないほどの激痛。

「病院へ行きます」

僕にとっては、一大決心である。

どうもあの、“待ち合い”場所の雰囲気が嫌なのだ。
周りを見渡せば、年配と言うよりは御老人といった方々ばかり。
少し場違いな場所に座っている事が、我慢出来ない。

しかし、久し振りに行ってみた病院は少し違っていた。

活気がある。

変な言い方だが、和気藹々とした和やかな雰囲気なのだ。
病気だからとふさぎ込んでいては、治るモノも長引くかもしれない。

また、弱っている時に看護婦さんに優しく声をかけられるのも
心地よい。

しばらく通院は続きそうだが、病院嫌いは徐々に解消されそうである。

 


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CM

2006年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
某携帯会社のコマーシャルに、苦情が殺到しているらしい。

「ごきげんよう」

で始まるコマーシャル。

セレブな香りが漂う。なんとお上品なお嬢様達なんだろうと。

で、問題のシーン。

 
「電話するね!」
「あっ、いいよ、私に電話するとお金かかるからぁ!」

 
そして最後に“友達を大切に”

これが“いじめ”を助長するとして槍玉に上がった。

確かに、残り香というか、見終わったあとに何か釈然としない
違和感が残るのは確かだ。

ただ、“いじめ”だと言う印象は持たなかった。

僕が引っ掛かったのは“お金がかかる”って部分だ。

 
「お前等、何時間喋るつもりやねん!」

 
って事だ。

お金がかかるって言っても、たかが電話代じゃないか!

「ごきげんよう」

なんて挨拶をしているお嬢様が、電話代を気にするなんて。

でも、本当のお金持ちってそう言う人達なんだろうな。
湯水のごとく金を使うのは、成り金な人達だろう。

必要な物や、本当に価値あるものに惜しまず金を注ぎ込むのが
金持ちだとすると、彼女達は本当のセレブって事だろう。

 
だって、“試合の連絡”をするためだけの電話代が気になるんだから。
 
 


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ストライクゾーン

2006年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム
サンタクロースを見ると、クリスマス気分が盛り上がる。

可愛いサンタさんがいる店がある。
近くのクリーニング店の店頭に、この時期になると、
女子高生だと思うが、サンタの格好をして座っている。

いつ頃から、そういうサービスをしているのか
定かではないが、10年前は既に座っていたと記憶している。

ただ座っているだけなのだが、これがなかなか可愛い。
今どきの言い方をすれば

「萌え~!」

って感じだろうか。

10年前からその店の前を通る時には、少し格好を付けて走っていたが、
当時は何回かは手を振った事もあった。

昨日、久しぶりの用事でその店の前を通ったが、
いつものように二人、コスプレサンタが座っていた。

「おぉ! まだやってたんやぁ!」

懐かしささえ感じたが、以前のような感覚ではなくなっていた。

「大変やねぇ~」

おばちゃん目線。
寒風吹きすさぶ中、ただ座っているだけのバイト(?)は
大変だろうと思った。

思えば、10年前ならなんとか“恋愛対象”となった彼女たちも、
今では、僕の子供と言ってもいいぐらいの年齢なのだ。
手を振っても

「がんばってぇ!」

てな感じの激励になってしまう。ますます、おばちゃん的発想である。

で、思った。

よく恋愛対象の事を“ストライクゾーン”で表わす。

やけに広いヤツ。極端に狭いヤツ。
ストライクゾーンなんか関係なく、どんな“悪球”も振りに行くヤツ。

このストライクゾーンは、もちろん“容姿”が最大の判断基準だろうが、
時には“年齢”も加味される。

そして最大の特徴は、自分で決めるモノではなく、
他人に評価してもらう点だ。

付き合ってきた女性達を見た友人が

「お前のストライクゾーン、広いなぁ!」
てな感じだ。

以前に、“男は制服に弱い”的な事を書いたと思うが、
コスプレにも反応するヤツはいる。ここにいる。

僕がそうだ。

何故に、女性がサンタの格好をすると魅力的に感じるのだろうか?
いや、彼女たちが若いからだろうか?

正直、彼女たちは僕の中では“ど真ん中”だと思うが、

 
「アウトぉ!」

 
って声がどこからともなく聞こえなくもない。

絶好球だが、振るわけにはいかない。振れるわけがない。
自分の子供ぐらいの年齢の彼女たちを目の前にして。

 


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三本の矢

2006年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム
心が折れるって事があるだろう。

先週の月曜日ぐらいから、右足の親指が疼きだした。

 
「来たかぁ!」

 
慣れたモンである。TOのWHOが、師走の忙しい時期にやって来た。
すぐさま患部を冷してみたが、今回のはちょっと違うらしい。
日に日に痛みが増していった。

 
「この日のために、この一年があったのだぁ!」

 
と、日頃から嘯いていた某団体の忘年会に出席出来ない位の腫れ。
歩く事も徐々に困難になっていく。

しかし、このTOのWHOの悲しき所は、その痛みが周りには伝わらない事。
経験された方が居られれば、

「まぁ、大変だこと。お大事に」

って、社交辞令の一つも言ってもらえるのだが、未経験の方々に
とってみれば、所謂“ぜいたく病”

「お前が悪いんだよぉ! デブ!」

心の声が聞こえて来そうだ。

自分自身の気持ちにも、その時々によって変化があって、
ちょっとでも痛みが和らぐと、気分も軽くなり、
また痛みだすと、絶望感が襲ってくる。

そして、その度に“心が折れる”のである。

 
(痛いのは、足だけじゃないかぁ!)

 
そう思える時は、まだ大丈夫だが、
夜寝る時にでも痛みだすと、この激痛がこのまま一生続いて行くんじゃないかと
ありもしない恐怖感が支配しはじめるのだ。

「おっ? 昨日より腫れがひいたんちゃうか?」

親父の一言も、心が折れそうになる。

 
(こんなに痛がっているのに)

 
TOのWHOの激痛に限らず、生活をしていると
“心が折れる”一言や場面に遭遇する事がある。

頑強な“心”を持っていると、容易く折れる事はないだろう。
頑強だけど細い“心”だと、折れ易いかも知れない。

細くても柔軟性に富んだ“心”なら、折れにくいかも知れない。

多重人格でも無い限り、誰も心は“一つ”しかない。
いや、多重人格者であっても、その人格ごとの“心”は一つだろう。

毛利元就の有名なエピソードに“三本の矢”がある。
一本一本では折れる矢も、三本束ねれば折れない! と三人の息子達に
言ったという話だ。

残念ながら、一つしかない“心”を束ねる事は出来ないが、
心底理解してくれる人が居れば、束ねた事になるのではないだろうか?

 
いや、決してTOのWHO仲間を探しているわけじゃない。
 
 


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愚図

2006年12月20日 | 音楽
日曜日、テレビを見ているとグッとくる歌が流れて来た。

  
 あの娘があんたを 好きだって
 こっそりあたしに 打ち明けたとき
 友達だもの まかせときなよ! なんて
 心にもないこと 云っちまった
 あの娘はまつ毛が 自慢の娘で
 まばたきしながら 人を見るのさ
 比べてみたって 仕方がないよなんて
 独りで勝手に 決めていたっけ
 あたしって本当に 愚図なお人好し

 あの娘にあんたを 逢わせたのは
 あんたと行きたかった コーヒーショップ
 仲良くしてよ いい娘だから! なんて
 ふたりを笑わせて ばかりいたっけ
 あの娘は精一杯 おめかしをして
 あたしは色のあせた ジーパン姿
 ひとりでやたら しゃべってばかりいたから
 目の前のコーヒーも さめてしまった
 あたしって本当に 愚図なおせっかい

 早く独りに なりたかったよ
 そして何処かで 泣きたかった
 急に重たい 心の中に
 ふたりの笑い声 遠くに聞こえた
 喉まで出かかった 言葉だけれど
 云わずに先に 帰って来たのさ
 本当はあんたが 好きだなんて
 今更云える訳 ないじゃないの
 あたしって本当に 愚図なおばかさん

 
 
作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、唄:研ナオコの
「愚図」って唄だ。

いつもは、カラオケで最新の歌を唄うために、車の中でも
ヒット曲を流しているが、
最近、“ふと”昔の曲が聞きたくなる時がある。

70年代後半から80年代の歌。
ちょうど、学生だった頃の歌だ。
もっぱらラジオから流れてくる曲を必死で覚えたいたあの頃。
お気に入りだけをテープにダビングしては、夜遅くまで聴いていた。

この歌は、この日はじめて聴いた。
いや、昔聴いたかも知れないが、新鮮なメロディーが胸に響いた。
テレビでは宇崎竜童がギターで唄っていたが、
研ナオコの歌も心に染みた。

研ナオコは、タイプじゃないけど、
声と歌い方は好きだ。彼女の物悲しい声は、弱っている時には
ダイレクトに心を打つ。

改めてネットで検索して、この歌詞をみつけた。

自分もこんな感じの人間なのかも知れないと思った。
上手に立ち回る事が出来ない、不器用な人間なのかも知れない。

だからこそ、胸に響いたのだろう。
 
 


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