おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

電化製品

2006年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
仕事で使っているプリンターの調子が芳しくない。

どうしても「縦長」の絵柄になって出て来るのだ。
写真なんかは、実にスマートな絵柄になっている。

文字だって、端の方はびよ~んと伸びきっている。

「そろそろあかんかなぁ?」

呑気に言ってはいるが、仕事で使っているものだから至急に
対処しなくてはいけない。

しかし、僕はつくづく「電化製品」に縁がない。
縁がないと言うか、必ず故障するのである。

身の回りのモノで、故障していない電化製品はない。

時代に乗り遅れ気味だが、未だにラジカセを愛用している。
全部で4台ほど持っているが、どれひとつとしてまともに
動くモノがない。

カセットテープを入れて、蓋を押さえながら再生ボタンを押さないと
動いてくれないヤツ。
CDは聴けないヤツ。巻き戻しが出来ないヤツ。

家の居間には、動かなくなったビデオデッキが、オブジェと化している。
ビデオデッキで言えば、あの幻の「β」のデッキも持っているが、
これがなかなかの曲者。

一度再生すると、すべてが終わるまで止まる事がない。
そして、一本終わると、続けて観ないといけない。
少しでも「間」を空けると、どう言う訳か動かなくなるのである。

どれも大事に使っているはずなのに、故障する。
ラジカセやビデオデッキに関して言えば、結構な年代モノなので、

「寿命です」

と言えない事もないのだが、その他にも
電気ポット、目覚まし時計や、洗面所の蛍光灯に至るまで、
正常に動くモノが少ない。

車のカーステのデッキも潰れた事があったし、
今ついている「カーナビ」も一年前には修理にだした。

なぜ、こんなにも故障するのか?
一つには

「説明書を読まない」

のが災いしているのかと思うが、これは違うだろう。
説明書を熟読する人は少ないと思うが、
読まないで使う人は、結構多いと思うからだ。

では何故、こんなにも頻繁に故障するのか?

 
答えが出る筈はない。

 
だって、それが分かっていればこんな事にはならないんだから。


さぁ、プリンター、どうしよう?
 
 


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防犯

2006年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム
先日、コンビニのATMが盗まれたとテレビが伝えていた。
強引な手口を主に伝えていたが、僕が驚いたのは、
ちょこっと最後に付け加えた情報だった。

「このコンビニのATMは、乱暴に、壊して札を取り出すと……」

一瞬、テレビでそんな情報まで流していいのか? と思ったが、
よく考えると、これは大事な情報である。

しかし、凄いシステムだ。
そんな防犯システムがあれに施されているとは。

ちょっと違うかも知れないが、僕はこのような防犯対策は昔からしていた。

用心深い僕は、野球のボールに工夫を凝らした。

小学校時代。
放課後や土曜日の午後には、野球をやっていた。
道具は勿論持ち寄り。練習や試合をしていると、
自分のボールが無くなってしまう事もしばしばあった。

当時から、裕福でなかった僕としては、
親に買ってもらったボールやグローブは、何よりも大事なもので、
宝物だった。

グローブに名前を書くのは勿論だが、ボールに自分の名前を書くなんて事は出来ない。
ブリーフに平仮名で名前が入っているほど、当時から恥ずかしい行為だと思っていた。

ではどうするのか?
簡単である。僕だけが分かる“記号”のようなモノを書き込む。

他のボールと混ざってしまえば、一番綺麗なボールを持って帰っても
よさそうなモノだが、僕はあくまでも“自分のボール”が大事だったのだ。

そんなボールを使って、近くの神社で草野球に興じていた。
大きなファールを打つと、隣の雑木林に入っていった。

「あぁ、大事なボールがぁ!」

試合はそのまま続行され、終わってからボールを探す事にした。

雑木林に入ったボールは全部で3個。

両チーム入り交じってボールを探す。が、なかなか見つからない。
諦めかけた時、やっと1個見つかった。

見つけたヤツが手に持つボールには、僕が入れた“秘密の刻印”が
見て取れた。

(やったぁ! 僕のはあった!)

そう心の中で喜んだのもつかのま、彼はそのボールを手に持ち
信じられない言葉を発する。

 
 
「よかったぁ、これオレのボールやぁ!」

 
 
(えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!)

 
えぇ!!である。

確かにボクの刻印があるのだが。

彼曰く
「ほら、ここに“T”って書いてあるやろ、オレの頭文字や」

マジックで書いた文字は、すでに消えかかっていたが、言われてみれば
Tの字に見えなくもない。そう、“見えなくも無い”程度の刻印。

しかし、確かにあれは僕が書いた刻印だった。

当時から“和”を重んじる僕は、何事もなかったように
彼に賛同して、そのボールを取りかえす事はしなかった。

 
 
それ以降、僕はボールを持っていかなくなった。 正解である。
 
 


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むちのち

2006年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム
今さらながら、自覚しなければならないだろう。

「あえて言おう! 私は“バカ”であると!」

世間知らずと言おうか、僕は自分に自信が持てないヤツなのである。
そしてそれは、全ての事において“バカ”が発揮される。

“頭が良い人”

とは、もちろん勉強が出来ることにこした事はないが、
そんな事よりも、回転が早いと言うか、スマートな立ち振るまいが出来る
人の事だろうと思う。

勉強でも赤点常連だった僕だが、立ち振るまいの点においても
まったく及第点には達していないのである。

年齢を重ねてくると、様々な場面で“リーダーシップ”を求められるが、
僕は、その重責に絶えられない。
必死に繕おうとしてはいるが、わかる人には分かるらしい。

「こいつは、そんな玉じゃねぇ!」

違いの分かる人。そんな人には見透かされてしまうのだ。

以前にもこのブログで

『僕の意見は、ダメ出しされる事が多い』

と、書いた事があったが、それは僕の意見が“偏った”意見で、
世間一般の考え方と違うと思っていたが、
そもそも“バカ”だと言う前提を忘れていた。

大した実績も経験もないヤツの意見を、真剣に聞く人はいないだろう。
ましてや自立していないヤツの言う事なんて、たかが知れているのである。

ただ、救いがあるとすれば、
少し遅きに喫した感は否めないが、この歳になって、

「自分は何も知らない」

と、分かったこと、知っている事だろうか。

 
かのアリストテレスはこう言った。
“何も知らないことを知ることこそが、真の知を知り得るみなもとだ”

 
『無知の知』である。

偉い人の言葉だが、勝手に解釈して簡単に言い直せば
自分は無知であるが、無知であると言う事は分かっているって事。

背伸びしても、疲れるだけである。
自分の身の丈にあったモノの言い方をしなければ、
いつかはメッキが剥がれるだけなのである。

変に知ったかぶりで、周りに迷惑をかけるなら、

「知りません」

と、正直に言える方がいいのだろう。

 
あれ?

無知の知は、アリストテレスだったかな?
ソクラテスか?

そうだ、アリストテレスは「トリビアの泉」のオープニングだった。

「人は生まれながらに知る事を欲する」

 
そう言えば、「トリビアの泉」って放送終ったらしい。

 
ホント、僕は何も知らない。
 
 


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意地

2006年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム
飽き易い性格の僕が、いま続けている事がある。

ラーメン。いや、カップ麺。
続けていると言ってもまだ10日程だが、昼食には必ずカップ麺を食べる。

それも、同じモノを毎日。

どんなモノでもそうだが、たまに食べると美味しく感じるモノがある。

「こんな味やったっけ?」

どんな好物であっても、毎日続けると何日目かには、

「またかぁ~」

って事もあるだろう。

その二つを凌駕する僕のこの企画。
毎日、お昼には同じ銘柄のカップ麺を食するのだ。

食べ始めて三日目ぐらいまでは、美味しいから食べていたのだが、
近くのヤマザキショップで、そのラーメンを買っているのが
僕だけだと気付いた。

昨日は5個あった。今日は4個。明日くれば3個残っているはず。

それなら全部喰ってやろうと思い立つ。

そして昨日、ついに最後の一個を買った。
しかし、僕の挑戦欲は尽きる事がない。今は、まだない。

今日は近くのコンビニに行った。四つあった。

以前、テレビでコンビニの商品がどれくらいの頻度で入れ替わるのかとか、
毎週どれくらいの新商品が店頭デビューをするのかと言っていた。
正確な数値は忘れたが、そんなに頻繁に変わっているのかと驚いた。

確かに、カップ麺一つとっても様々な種類がある。
中には季節限定品もあるが、お気に入りだったカップ麺が
ある日突然姿を消す事も少なく無い。

「人気がなかったのかな?」

往々にして、僕はよくそんな商品に出会う。
と言うか、誰もかわないであろう商品に、心奪われる僕なのである。

今買い続けているラーメンは、本当に美味しいが、
誰も買っている雰囲気はない。
コンビニだと常に補充はしているだろうが、それでも次の日に行くと
前日より“一個”だけ減っている。

あきらかに僕が買った痕跡だけが残っているのである。

僕が“稀少価値”のある商品が好きだと公表した以上、このカップ麺の名前を
記す事は差し控えたいが、実に美味しいカップ麺だと言う事は真実である。

このカップ麺が売り切れるのが先か?
僕が食べ続ける事を諦めるのが先か?

僕とカップ麺の根比べは、まだまだ続くのである。
 
 


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大将

2006年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム
今週の土曜日、今年二回目の忘年会がある。

「是非、スッポンでお願いします」

「スッポンォォォォォォン!」

「食べた事がないから、スッポンで」

今回も連絡係を仰せつかっております私が、メールで“お好み”アンケートを
実施すると、一人を除いてみんな

“スッポン”

と言う返事が返って来た。

今回の献立は“アンコウorスッポン”と言う事だった。

どちらかと言えば、アンコウを食べて見たいと思っていたので、
この返信には少しがっかりしたのが正直な気持ちだった。

ただ、スッポンも食べた事がないので、楽しみにしている。

この会(馬鹿会)で忘年会をするようになって、もう4年程経つだろうか。
場所も一緒だ。
気兼ねなく飲めるってのが一番いいし、最近の道交法厳守の流れにも
ぴったりの、歩いていける飲み屋なのだ。

この店、テナントに入っているのだが、結構オーナーの回転が早い物件だ。

数年前、全国的に“もつ鍋”が流行った時には、この店も鍋屋だった。

一年も経つと次のオーナーが、居酒屋を始めたが
それも一年程しか続かなかった。

今ある店は、4軒目か5軒目である。
そして今の店は、かれこれ12年程続いているのである。

飲んだくれの大将。大将と言っても僕より年下なのだが、
アルコールで呂律が回らなくなる様はまさに“大将”の風格だ。

「この店、以外とつづくよなぁ?」

12年も第一線で頑張っている大将には申し訳ないが、
誰もが、その長続きの秘訣を探っても見つける事が出来ない。

「今年の忘年会は、多数決でスッポンに決まったから頼むで!」

先日、ユキちゃんと共にお願いをしてきた。

「出来るかなぁ?」

大きな湯呑みにビールを注ぎながら、大将がほくそ笑む。

「どれくらい振り? スッポンさばくのは?」

ユキちゃんの問いかけに、

「この店始めてからは、初めてやわぁ」

普段から僕たちが飲みにいけば、メニューにない肴をつくってくれる大将。
そこは任せておけば大丈夫だと思ったが、次の言葉で少し迷った。

 
「久々の殺生やから、手伝ってやぁ」
 
 
僕は遠慮したが、ユキちゃんは金曜日に見物に行くらしい。
 
大丈夫かな?

スッポン
 

 


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