「球に逆らわずに、素直に打ち返すべきですね!」
解説者が、相手エースを打ちあぐねている打者に向かって
辛らつに放つ言葉だ
この他にも
「右打者は右へ、左打者は左へ」
「バントは、もっと腰を落として構える」
と、宗教的、盲目的な言葉を羅列する
常々思うことがある
解説者とは、なんと退屈な仕事であるか!という事
初めて観る人にとっては親切な解説であるが
いつも見ているファンにとっては
そんなに入らないポジションなのが
この解説者だと思う
そして技術的には
100年前よりは進歩しているかも知れないが
ゲーム自体は、大した進化はしていない
それを、解説しなくてはいけないのだから
松木さんのように
特等席でサッカー見るファンのような
絶叫タイプの解説になってしまうのも
仕方のないこと
そしてその台詞を聞いていると
ステレオタイプな解説が耳につく
今、ワールドカップが連日放送されている
日本もカメルーンに勝ち、強豪オランダに
0-1で惜敗したものの、健闘が目立ち、
当初よりは日に日に盛り上がってきている
しかし、その戦いぶりはどうだろうか?
守り重視の戦術は、時には
退屈なゲームとの印象を受ける
野球だって、投手戦よりは乱打戦の方が
盛り上がるが、通好みはやっぱり投手戦だろう
サッカーの場合も、華麗な攻撃陣を擁していれば
攻撃重視の戦術で相手を圧倒するだろう
残念ながら、日本が勝ちを目指すのなら
守り勝つ作戦を選んだ方が勝機は見えてくる
そしてここで、ひとつのキーワードが
出てくる
“攻撃は最大の防御なり”
「リードしても守ることをせず、攻めにいっていた!」
解説者が語る褒め言葉の一つだが、
もし仮に、そのおかげで
カウンターを喰らって逆転されたら、どう言うのか?
解説者はいつも決まった台詞を順番に
言っているにすぎない
守って守って、隙を突いてカウンター!
“守りに入る”
どちらかと言えば、消極的な響きだが
勝つためには、相手のあることだからこそ、
“防御は最大の攻撃なり”
の言葉もまた、ひつとの真実のようにも思える
華麗なサッカー、楽しいサッカーをする
チームを決めるのではないのだから・・・・
世界で一番強いチーム
それが目的なら、戦術に退屈な戦術なんてない
解説者が、相手エースを打ちあぐねている打者に向かって
辛らつに放つ言葉だ
この他にも
「右打者は右へ、左打者は左へ」
「バントは、もっと腰を落として構える」
と、宗教的、盲目的な言葉を羅列する
常々思うことがある
解説者とは、なんと退屈な仕事であるか!という事
初めて観る人にとっては親切な解説であるが
いつも見ているファンにとっては
そんなに入らないポジションなのが
この解説者だと思う
そして技術的には
100年前よりは進歩しているかも知れないが
ゲーム自体は、大した進化はしていない
それを、解説しなくてはいけないのだから
松木さんのように
特等席でサッカー見るファンのような
絶叫タイプの解説になってしまうのも
仕方のないこと
そしてその台詞を聞いていると
ステレオタイプな解説が耳につく
今、ワールドカップが連日放送されている
日本もカメルーンに勝ち、強豪オランダに
0-1で惜敗したものの、健闘が目立ち、
当初よりは日に日に盛り上がってきている
しかし、その戦いぶりはどうだろうか?
守り重視の戦術は、時には
退屈なゲームとの印象を受ける
野球だって、投手戦よりは乱打戦の方が
盛り上がるが、通好みはやっぱり投手戦だろう
サッカーの場合も、華麗な攻撃陣を擁していれば
攻撃重視の戦術で相手を圧倒するだろう
残念ながら、日本が勝ちを目指すのなら
守り勝つ作戦を選んだ方が勝機は見えてくる
そしてここで、ひとつのキーワードが
出てくる
“攻撃は最大の防御なり”
「リードしても守ることをせず、攻めにいっていた!」
解説者が語る褒め言葉の一つだが、
もし仮に、そのおかげで
カウンターを喰らって逆転されたら、どう言うのか?
解説者はいつも決まった台詞を順番に
言っているにすぎない
守って守って、隙を突いてカウンター!
“守りに入る”
どちらかと言えば、消極的な響きだが
勝つためには、相手のあることだからこそ、
“防御は最大の攻撃なり”
の言葉もまた、ひつとの真実のようにも思える
華麗なサッカー、楽しいサッカーをする
チームを決めるのではないのだから・・・・
世界で一番強いチーム
それが目的なら、戦術に退屈な戦術なんてない