秋晴れの日は、朝、霧が出ることが多い。晴
れて風のない夜は、地熱が空中に放出される。
そのため地表近くの空気も冷やされて、空気
中の水蒸気が目に見えないような水滴になっ
て空中に浮かぶ。この水滴の特徴は地面に接
していることで、雲は地面から離れたところ
にできる。濃淡があり、視界が生1㌔未満のも
のが霧、それ以上は靄という。濃霧ともなれ
ば、視界は10mほどになり、自動車の運転に
も支障をきたす。この霧を高い山からみれば、
地表を覆って隠すように広がって見える。雲
海である。この景色をみることができるのも
山登りの魅力のひとつになっている。
ところで平安時代は、同じ現象でも、春は霞、
秋は霧と分けて使われていた。源氏物語の世
界では、霧が物語の舞台装置として効果的に
使われている。その6帖は「葵」の巻。葵の上
と六条御息所の、二人の女性の源氏への愛の
確執は葵祭の折、「車争い」という事件起し
た。御息所は生霊となって葵の上にとり憑き、
死に至らせるという悲しい結末となった。喪
に服している源氏のもとへ、御息所から弔問
の手紙が届く。そのシーンを瀬戸内寂聴訳で
採録してみる。
「晩秋の淋しさのいよいよ深まっていく風の
音が、身にしみて、馴れないお独り寝に、源
氏の君が秋の夜長を明かしあぐねていらっし
ゃるその朝ぼらけのことです。霧が一面に立
ちこめているところへ、開きそめた菊の枝に、
濃い青鈍色の紙にしたためた手紙をつけて、
誰からともいわず置いて行ったものがありま
した。」
使者は、朝霧の中から姿を現したかと思うと、
そっと手紙を置いてまた濃霧の中に姿を消し
てしまう。別世界からやってきた使者の趣の
ような雰囲気である。霧は、晩秋のもの悲し
い景色であると同時に、御息所と源氏との間
の大きな距離を象徴している。二人の関係が
途絶える危機を救うため、御息所は手紙とい
う手法を使った。
「お悲しみの折とご遠慮して、お便りをさし
上げなかったこの日頃の、わたくしの気持ち
はお察しいただけますでしょうか。
人の世をあはれときくも露けきに
後るる袖を思ひこそやれ
今の空の色をみましても、思いあまりまして」
この手紙を見て、源氏は御息所を心憎い女性と
見直している。