今年最後の山行は幸いにも晴れとなった。昨夜の雪が樹々について霧氷になっている・青空に輝く霧氷は美しい。最後の山行ということで山の神様がくれたご褒美であろうか。山道に積もった雪も数センチで、雪道というほどでもない。ただし枯葉の上の雪なので、特に急な坂道は滑りやすい。しばらく山に入っていないので、脚力もなくつらいものがある。仲間の力持ちが、坂道でリュックを抑えて転倒に備えてくれた。山中の凝灰岩には、江戸時代にここに住んでいた名僧、金毛和尚の発願による33体の観音像が彫られている。なかには苔むし、雪や雨で朽ちつつある像もある。
山友会に加入したばかりの若い頃は、この山が一年納の定番であった。その後もっと雪のある経塚山で一年を終えるようになったが、この山も長くきついのですっかり遠ざかってしまった。霧氷のなかの信仰の山で、昔の近隣の住民たちは何を山中の観音様に祈ったのか。神頼みしかない住民たちの苦しみ。天候ひとつで一年の収穫がふいになってしまう農業。雨ごいをし、肉親の病の快癒も祈ることのほかできることはない。
阿武隈山系に口太山という山がある。842mの低山だが、口太は朽ち人の言い換えという伝説がある。阿武隈の寒村は冷害に見まわれることも珍しいことではなかった。口減らしのため婆様たちをこの山に捨てたという。姥捨山という名の山もあるし、山形にはジャガラモガラ山の姥捨て伝説もある。人の生死と山は深くかかわっていた。一つの山にはその山で食料を得たり、水を引いたり、お祭りをしたり様々なかかわりがある。山の麓で暮らしている人の数だけ、山との切り離せない物語がある。本日の参加者14名、内男性5名。5周り下の巳年生まれの女性は就職が決まって静岡に行くという。