静岡に住む兄が、妻を特老に入れて一人暮らしになった。子供たちは、東京で働き、家庭を持っているので、めったに会うこともできない。名産のみかんを送ってくれたお礼に電話を入れると、元気そうな声が返ってきた。「午前中は毎日ばあさんの顔を見にいっているだよ」それでも、夜中一人でいると、なぜか涙出ると、一人だけの淋しい生活を告げた。
この頃、『徒然草』を読んでいるという。電話の向こうで、「そもそも、一期の月かたぶきて、余算、山の端に近し。」急に古語が飛び出してきた。涙が出そうになると、徒然草の章句を口づさむ、と言う。兼好法師の言っていることは、よく分からないが、明日死ぬことも覚悟して生きる姿が見て取れると話した。「昔の人はいいことを言うよ」自分は何と答えてよいか分からなかったが、「そうだね。600年以上も長く読み継がれてきたこと自体が、それを証明しているよ。」と言うと、次は『枕草子』も読みたいという。
このつぎはわが身の上か啼く烏 小林 一茶
もう私に残された兄弟は、北海道の姉と静岡の兄の二人のみである。この次にこの兄弟が顔を合わせるのは、誰かの不幸のときでしかない。
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