常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

一人暮らし

2014年12月19日 | 介護


静岡に住む兄が、妻を特老に入れて一人暮らしになった。子供たちは、東京で働き、家庭を持っているので、めったに会うこともできない。名産のみかんを送ってくれたお礼に電話を入れると、元気そうな声が返ってきた。「午前中は毎日ばあさんの顔を見にいっているだよ」それでも、夜中一人でいると、なぜか涙出ると、一人だけの淋しい生活を告げた。

この頃、『徒然草』を読んでいるという。電話の向こうで、「そもそも、一期の月かたぶきて、余算、山の端に近し。」急に古語が飛び出してきた。涙が出そうになると、徒然草の章句を口づさむ、と言う。兼好法師の言っていることは、よく分からないが、明日死ぬことも覚悟して生きる姿が見て取れると話した。「昔の人はいいことを言うよ」自分は何と答えてよいか分からなかったが、「そうだね。600年以上も長く読み継がれてきたこと自体が、それを証明しているよ。」と言うと、次は『枕草子』も読みたいという。

このつぎはわが身の上か啼く烏 小林 一茶

もう私に残された兄弟は、北海道の姉と静岡の兄の二人のみである。この次にこの兄弟が顔を合わせるのは、誰かの不幸のときでしかない。


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干し柿

2014年11月02日 | 介護


今年は柿が豊作らしい。多くの知人から柿をたくさん頂いた。畑の隣人、詩吟の先生、日帰り温泉の友達などなど。これから、尾花沢の親戚にも行くので、さらに頂くかもしれない。焼酎につけて渋抜きをしたり、皮をむいて干し柿をつくったりと、保存食づくりも大わらわ。ベランダには柿の簾ができた。渋が抜かれた柿は甘くておいしい。小さく切って、上に手作りのヨーグルトをかけて食べるのが好きだ。

干柿の緞帳山に対しけり 百合山羽公

壺井栄の『柿の木のある家』は、古き日本の農村の親類の交流の物語である。秋になった柿の実が色づくと、決まってやってくるのは、三太郎叔父さんである。山羊をくれた叔父さんのところには双子の兄弟の一人がもらわれていく。食べ物だけでなく、家畜から、子のない家には子どもまでがもらわれていく。平成の今日では考えられない家同士の付き合いというのがあった。柿をベランダに干すと、かすかに昭和の匂いが漂ってくる。


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三夕の歌

2014年10月22日 | 介護


寂蓮法師は、藤原俊成の弟で醍醐寺の阿闍梨俊海の子である。十四歳のとき、俊成の養子となり、その後出家して寂蓮法師となった。藤原定家とは、兄弟ということになる。一説には、俊成が歌の家の跡継ぎにしようとしたが、その後実子に定家などの歌人が出て、跡継ぎには実子にというので出家したという話もある。

さびしさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師

歌のなかにある槇は杉や檜の針葉樹のことである。意味は、「さびしさは、色のせいとはいえない。紅葉しない針葉樹林の秋の暮れのさびしさは」と読むことができる。

西行法師も秋の暮れを詠んでいる。

心なき身にもあわれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ 西行法師

寂蓮の弟にあたる定家の秋の夕暮れは

見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家

この三首が「三夕の歌」である。それぞれ、山、沢、浦と異なる景色のなかの秋の夕暮れである。誰もが愛でる紅葉からは離れた秋の淋しさを詠んでいる。

出家した寂蓮法師は、その真髄を究めようとして、歌の道に分け入った。執着したと言えるかも知れない。ある人が語ったところによると、
「くたびれて口が合わなくなり、小便の色も変わってこそ秀歌はできる」と言っていたという逸話があるし、女流歌人である宮内卿が歌に執着して病死したことに感心し、それに引きかえ兄が歌に身を入れないことを嘆いたという。この時代の歌人は、自らの命をかけて歌を追求した。


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石行寺の庭園

2014年10月21日 | 介護


山形市では光禅寺が名園として知られるが、近年手入れがあまり行われず、名園としての影は薄くなった。岩波にある石行寺の庭園が、紅葉の美しさが注目され、庭の手入れも行き届き、園内へ渓流を引き入れた様子はすっかり名園として定着した。今日も、園内を散策する人々が団体で訪れていた。ただ期待したモミジの紅葉は、もう少し先である。池には大きな鯉が悠々と泳いでいた。

ここは小立にある滝山小学校から八森、土坂、神尾の集落を経て西蔵王高原へ至る登り口にある。この坂道は道の両際に岩が重なる渓谷に沿っていて、滝山から流れ落ちる水が、ここから下の農村を潤す恵みの水である。水田の刈り入れは終り、山村はすっかり秋のたたずまいを見せている。石行寺は最上三十三観音の七番札所岩波観音として近隣集落の人々の信仰を集めている。

古い歴史を持つ寺が、今日なお維持され、その庭園に手を加えて市民の目を楽しませてくれのはありがたい。もう十日もすれば、みごとな紅葉をみることができるだろう。


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案山子

2014年10月17日 | 介護


近ごろ田んぼに案山子を見なくなった。上山に「案山子まつり」というのがあり、用のなくなった珍しい案山子を全国から集めて見せるイベントが今年も行われてようだから、案山子がまったくなくなったわけではない。「かかし」は本来、かがしと言われ、人の髪の毛などを焼いたものを竹の先にはさんであぜ道に立てて、悪臭を放って鳥や獣をこないようにさせたのが起こりであった。人の形をしたものを田んぼの畦に立てるのは自分に代わって、田を守って欲しいという意味合いもあったようだ。

ものいはぬ案山子に鳥の近寄らず 夏目 漱石

この句には「知者不言、言者不知」という題字が付いている。これは老子の言葉で、「知る者は言わず、言う者は知らず」、知ったかぶりをして得意げにしゃべる人を皮肉る言葉だ。この句を教訓のようにとれば面白味がないが、何もできない案山子を恐れる鳥を浅知恵の人間と見ることもできる。鳥はいち早く案山子の不能を知り、稲穂に群がって効果のないことが証明された。

鳥の生態を観察すると、面白いことがたくさんある。秋の日は短く、日一日と寒さを増していく。


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