これは山形県の鮭川地方に伝わる昔話である。福の神や貧乏神、大衆のなかに神はどう溶け込んでいたか、こんな昔話にその痕跡がある。
昔、ある所に若い夫婦が住んでいた。
その家には昔から、貧乏神が住んでいた。
若い二人は働きもので、酒も飲まず、タバコも吸わず働く一方だから、ぐんぐん金持ちになっていった。もうこの家は貧乏神が住む場所ではなくなっいた。
年越しの夜、家の奥で泣き声がした。夫婦が行ってみると、貧乏神が泣いていた。聞くと、
「実はなこの家に長く厄介になった貧乏神だが、家の人があまり大事にしてくれるものだから、出て行くこともできずにいた。間もなく、この家には福の神が来ることになっている。俺はどこに行くあてもない。だから泣いているのさ。」
二人は、今まで居続けていてくれたのだから、出て行くことはない。福の神がきたら追い出してやればいいさ。二人で応援するから、と励ました。貧乏神は心強くなって、それでは、腹が減っていて力が入らないから、飯を食わせてくれるように頼んだ。すると川で獲った大きな鮭のざっぱで鍋をこしらえて、食べさせてくれたので、元気づいて福の神の来るのを待っていた。
いよいよ福の神が来て、貧乏神と入れかわろうとした。貧乏神の後ろで、夫婦が「負けんなよ、負けんなよ」と応援した。福の神はおっかなくなって、とうとう逃げ出した。そのとき、あわてて打出の小槌を忘れていった。貧乏神は小槌を拾って、米出ろと言えば米が出るし、味噌出ろと言えば味噌がで、金出ろと言えば金が出るので大喜びをした。
貧乏神は打出の小槌を持って福の神となり、若い夫婦の家はますます栄えたとさ。
日記・雑談 ブログランキングへ