常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

貧乏神

2015年03月12日 | 民話


これは山形県の鮭川地方に伝わる昔話である。福の神や貧乏神、大衆のなかに神はどう溶け込んでいたか、こんな昔話にその痕跡がある。

昔、ある所に若い夫婦が住んでいた。
その家には昔から、貧乏神が住んでいた。
若い二人は働きもので、酒も飲まず、タバコも吸わず働く一方だから、ぐんぐん金持ちになっていった。もうこの家は貧乏神が住む場所ではなくなっいた。

年越しの夜、家の奥で泣き声がした。夫婦が行ってみると、貧乏神が泣いていた。聞くと、
「実はなこの家に長く厄介になった貧乏神だが、家の人があまり大事にしてくれるものだから、出て行くこともできずにいた。間もなく、この家には福の神が来ることになっている。俺はどこに行くあてもない。だから泣いているのさ。」

二人は、今まで居続けていてくれたのだから、出て行くことはない。福の神がきたら追い出してやればいいさ。二人で応援するから、と励ました。貧乏神は心強くなって、それでは、腹が減っていて力が入らないから、飯を食わせてくれるように頼んだ。すると川で獲った大きな鮭のざっぱで鍋をこしらえて、食べさせてくれたので、元気づいて福の神の来るのを待っていた。

いよいよ福の神が来て、貧乏神と入れかわろうとした。貧乏神の後ろで、夫婦が「負けんなよ、負けんなよ」と応援した。福の神はおっかなくなって、とうとう逃げ出した。そのとき、あわてて打出の小槌を忘れていった。貧乏神は小槌を拾って、米出ろと言えば米が出るし、味噌出ろと言えば味噌がで、金出ろと言えば金が出るので大喜びをした。
貧乏神は打出の小槌を持って福の神となり、若い夫婦の家はますます栄えたとさ。


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郭公

2015年03月09日 | 民話


雪のなかに埋めてあった大根は、サラダにして食べると美味しい。シャキシャキとした食感は、なぜか懐かしい故郷の味がする。大根の食感はレタスによく合い、生でも沢庵漬の食感である。囲炉裏を囲んで聞いた昔話を思い出す。

昔、妻を亡くした木こりが男の子と暮らしていた。この地方では、菖蒲の花をカッコの花と呼んでいた。男の子はカッコの花が大好きで、毎日のようにカッコの花をとってきて喜んでいた。あまり、カッコの花が好きだったので、木こりは男の子をカッコと呼び、毎日山の仕事場に連れていっていた。ある夕方、木こりは足につけていた脚絆を片方だけ解いて、家へ上がろうとしたが、カッコがいないのに気づいた。木こりは慌てて、脚絆を片方につけたまま飛び出して、「カッコ、カッコ」と呼んで探し回った。

木こりがいくら呼んでも、カッコはいない。とうとう父はカッコウ鳥になってしまった。カッコウ鳥は、今でも片足にだけ毛を生やし、花ショウブが咲く季節になると、カッコウ、カッコウと鳴きながら、男の子の行方を探し回っている。

カッコウはホトトギスと勘違いされていることもあるようだが、まったく別種の夏鳥である。ヨシキリの巣に託卵することで知られている。この鳴き声はどこか寂しさを感じさせるらしく、閑古鳥とも呼ばれる。松尾芭蕉に

憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥

という名句がある。これだけ月日が流れるように過ぎていくので、今年もカッコウの鳴く季節もあっという間にくるであろう。


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山姥退治

2014年12月17日 | 民話


八戸の村に、権之助とお覚という若夫婦が住んでいた。権之助が年越しの品を買いに街へ出かけるとき、山姥が来ては困るので、お覚を長持に入れて鍵をかけて高いところへ吊るしておいた。お覚は妊娠していて7ヶ月の子を孕んでいた。用心したにも拘わらず、山姥が来てお覚を探し出して食べてしまった。ただ、固い足の踵だけは食べ残してあった。街から帰った権之助は、変わり果てたお覚を見て嘆き悲しんだが、残された踵を大切に袋に入れて吊るし、毎日念仏を唱えた。

ある日のこと、踵が割れて男の子が生まれた。権之助は喜んで、この子に踵(あくと)太郎と名づけて、大事に育てた。踵太郎は逞しく成長し、20歳になると、山姥退治に出かけた。山姥に焼いた餅だといって石を食べさせ、煮立った油をかぶせた。山姥がまだ死に切れずにいるので、首に太い縄を巻き、氷の張っている川に突き落として退治した。

山姥はこのように人間を食ってしまう鬼で、恐ろしい存在だが、山の入り口に山姥の像を立て、悪霊を退散させるものとして祀られていることも少なくない。退治した山姥の祟りを怖れて、社を建て、産土神として祭っているところもある。昔話のなかの、恐ろしいものと適切な距離をとるところに、日本人の精神の深層が存在することを指摘するのは、心理学者の河合隼雄である。


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初夢

2014年01月09日 | 民話


初夢で「一富士、二鷹、三茄子」を見れば、縁起がよくその年はいいことがある、俗信がある。徳川家康が、富士山、鷹狩り、初物の茄子を好んだので、縁起がよいものとされたいう説がある。駒込では、駒込茄子が名産で有名であったそうである。

初夢に縁起のよい夢をみられるようにと宝船の絵を枕の下に置いて寝る風習もあった。この宝船には七福神が乗り、「長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな」という回文、前から読んでも後ろから読んでも同じに読める文がつけてあった。

山形の民話に「鷹の夢」というものがある。ある金持ち旦那が正月の初夢を見た。その夢は鷹が家の中に入ってきて三宝の上にとまった、というものだった。「これは目出度い夢だ」と喜んで、「みんなば呼んでお祝いせねば」というので案内を出した。ところが、ひとりの爺さまにだけ案内が届かなかった。

爺さまは、「俺は貧乏ださけ、見下げたんだな」と面白くなくていた。お祝いの当日、集まった人々は「旦那さま、正月の初夢、鷹の夢でおめでとうござんした」と言いあっていた。そこへ案内がなかった爺さまがきた。「案内が漏れてすまなかったな。ま、きてくれてよかった」と言って謝った。

爺さまは、「鷹の夢というが、止まったのはどこだ」と聞いた。「床の間の三宝の上だ」「鷹の首は上、それとも下を向いていたべか」「首を少し曲げていたようだ」爺さまそれを聞いて、「それほど悪い夢はないぞな」「何言ってんだ、昔から一富士、二鷹というではないか。鷹の夢がなぜ悪い」「旦那が見た夢は、首を曲げて三宝の止まった夢だ。なむ三ぼう、困っ鷹だ。これほど悪い夢はない」

この話を聞いて集まった人たちも、一人、また一人と帰っていった。それからというもの、旦那のすることなすこと失敗ばかりで、「財産(しんしょう)みんななぐしてしまったと」

こんな初夢を見たのでは大変だが、ことしもまた夢を見ることはなかった。この一年、どんな年になるか、しっかりとした計画とそれを実行していく忍耐づよさこそ、いい年をもたらしてくれると信じたい。
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もち競争

2013年11月28日 | 民話


餅がおいしい季節である。秋の刈り上げ餅はことのほかおいしい。一年間丹精こめて収穫した米を祝ってつく餅だ。そんな餅にまつわる民話が山形にある。「動物もち競争」と名づけられている。動物を擬人化した話だ。人間の持つ、ずるさ、みにくさ、やさしさなどを動物にたくして語られる。

猿と蛙が山から村を見下ろしていた。村では「契約」で餅をついていた。餅をつく音が山まで聞こえてきた。猿と蛙は餅が食べたくなり、山を降りた。蛙は餅をついている家の池に入り、赤ん坊の声をだした。

「そうれ、ンボコが池さ入ったぞ」家中の者が外へ出たとき、猿は臼をひっかつぎ山へ登った。蛙もあとを追って山へ登ってきたが、欲のでた猿が、臼を転がして早く追いついたものが食べることにしようと言い出した。

猿は蛙の返事も聞かず、臼を転がしその後を追っていった。しかたなく、蛙もペタリペタリと飛び跳ねていくと、途中に臼から飛び出した餅が落ちていた。蛙はそこで腹いっぱい食べた。臼がからだったので、猿が戻ってきて「おれにも半分分けてくれ」と頼んだ。

蛙は餅の熱いところをちぎって投げた。猿は熱いのをがまんしてはがして食べた。「・・・もう少し」と頼むと、こんどは尻にくっついた。毛のない赤い尻に熱い餅がくっついたのでたまらずに転げまわった。

契約というは、村の年中行事で各戸が集まり、村の次年度の計画や担当する役員を決めたりする。酒が振舞われ、今年収穫した餅米で餅をついて食べる風習である。最近は近くの温泉に集まって酒を酌み交わすことが多いようだ。
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