常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

流山

2014年08月16日 | 旅行


流山が開けたのは、醤油や味醂の醸造の町として名高かかったが、この町の西を流れる江戸川の存在は大きい。この川の舟を使って、この地で醸造された商品は江戸へと運ばれた。何かで読んだのだが、江戸川という名は江戸へ行く川という意味であったらしい。映画の「寅さん」シリーズもこの江戸川の土手が登場するが、この土手をランニングやウォーキングする人の姿は今も絶えることはない。娘がこの地へ嫁いでからもう20年を過ぎたが、それ以来何度この地を訪れたことだろう。東京へ出るのに便利なせいもあってか、最近は新しく建てられた家も多いようだ。



常磐線の馬橋駅から流山まで流山電鉄の菜の花電車が走る。所要時間は30分ほどである。常磐線からやや外れた流山へ通勤・通学者を運ぶのに無くてはならない市民の足である。首都圏らしくないローカルな雰囲気に人気がある。この電車を写真に撮ろうとする「撮り鉄」たちがシャッターチャンスを探している。線路の向こう側には市役所があり、その向かいに企業の所有する森があって蝉しぐれが耳をつんざくようだ。これほど蝉が多くいる森は、田舎でもあまり無いような気がする。



新撰組の近藤勇が、官軍の攻勢に耐え切れずに落ちのびた地がこの総洲流山であった。今その陣屋跡が保存されている。ここに兵120名ほどが陣屋に屯した。だが官軍が彦根の兵300名で流山の陣屋を取り巻いた。子母澤寛『新撰組始末記』に、近藤勇が投降する様子が描かれている。「紋付袴で威儀を正しゅうして小姓を二人連れて出てきて来て「お待たせしました」と一礼をしながら、小姓へ記念のためピストル、短刀、書籍などを分け与えた。その小姓が粕壁まで御供をしたいというのを、近藤は「いやならぬ」といったが、拙者が許して、近藤も馬、拙者も馬でその次に従って本陣を出た。」
斬首の刑場へ送られる前の問屋場で、近藤勇は辞世の漢詩を残した。

他を靡かすと今日何をか言わん
義を取り生を捨つるは吾尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
只将に一死君恩に報いんとするのみ

新撰組の隊旗に「誠」の字が用いられているが、この辞世の詩には将軍への「赤誠」の心がこめられている。

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湯西川温泉(2)

2013年04月02日 | 旅行


一年ぶりに再会した一行は、夜楽しい話で笑い声が絶えない。両方のじじ、ばばはそれぞれ年齢を重ねて、健康を気遣いながらの小旅行であった。翌朝は冷えこんで真冬のような気温になった。温泉で身体を温め、宿の朝食はとらず、向かいにある老舗の豆腐屋「会津屋」で朝食にする。店内は小上がりにこたつが置かれ、こたつに入りながら湯豆腐を食べる。この豆腐は手作りのためかとにかく美味しい。寒い朝を忘れほっこり暖かい朝の時間となった。

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎

晩年の万太郎はこんな傑作を残しているが、万太郎の心境が身にしみる年齢になったことを悲しいかな実感した。



今年高校を卒業した孫と娘である。親子というより友達みたいな不思議な二人だ。孫はまだまだ小さいと思っていたが、目標を決めて自分の足で歩き始めていた。こんな成長の姿を目にすることができるのも、こうして家族で集まれる体力を残していればこそである。別れ際に先方のじじは、「また来年も集まりましょう」と力強く言われた。



昼は近所の蕎麦屋で手打ちのそばを食べた。店番の大人しい猫が、ストーブに暖まりながら気持ちよい眠りをむさぼっていた。孫と娘は猫が大好きなのか、そばがでてくるまで撫でていた。喉を撫でられると猫は気持ちよさそうに目を細めた。



いよいよお別れの記念撮影。ここから高速道をめざすことになるが、この時点で高速道に雪が降っていることになるとは予期していない。そういえば、来るときも東北道は国見あたりで工事のため大渋滞を起こしていた。


 
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湯西川温泉

2013年03月29日 | 旅行


孫が高校を卒業して、四月から歯科専門学校に入る。そのお祝いを兼ねて、両親の家族が湯西川温泉に一泊旅行をする。湯西川温泉は平家落人の湯として知られる。それはこの温泉が深い山中にあることによって現実味をおびる。

東北高速道を西那須野塩原インターで下りて国道400号を塩原方面へ走る。この道は去年同じメンバーが集まった塩原温泉へと同じ道であったので記憶に残っている。この400号を西へ会津鬼怒川線121号との合流点へ向かう。すでに道は渓谷に添った山道である。日影になった斜面に所々残雪が見える。

降雨量が200ミリに達するとこの道は通行止めになる、という表示が随所に見える。ほとんど他の車ととも行き会わない寂しい山道を走ること小1時間、ようやく湯西川温泉の看板が見えほっとする。やがてトンネルの続く道に湯西川温泉道の駅に着く。ここから川沿いとダムサイトのトンネルを過ぎて、鄙びた湯西川温泉に着く。



湯煙の見える金井旅館は渓流・湯西川の辺に建っている。岩盤を流れる水は清く澄んでいる。ここでも渓流釣りをするのであろうか。泊り客から、「魚を釣ってきたんですか」と聞かれた。旅館のすぐ前に掛かる赤い「ゆぜん橋」は、渓流の景観のアクセントになっている。



渓流の上流に目を転ずると、川の両岸に温泉旅館と明朝朝食を摂る豆腐屋「会津屋」の古い様式の建物が見える。いまは瓦葺になっているが、もとは藁葺き屋根であった。



温泉は透明で気持ちいい湯であった。ひと風呂浴びてからの夕食は、自然の食材を生かしたおいしいもであった。特に湯葉と甘エビの刺身は絶品、湯葉の濃厚でとろけるような舌触りは感服した。旅館の社長が打った手打ちそばは、こんな自然ゆたかな環境で味わえる上品なものであった。

フキの煮物、カニと鱈の寄せ鍋、ひき肉と味噌をヘラの上で焼いたもの、鮎の塩焼きと珍しいものではないが、堪能できた。



食後にオーロラファンタジーを見物。広場に煙を焚きその上に色とりどりのレーザー光線を照射して、夜空にオーロラのような彩りに見物人の喚声が上がった。夜の8時ころであったが見物する人は数百人を数えた。(続く)

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層雲峡 黒岳

2012年10月11日 | 旅行


層雲峡の自然を、深田久弥は『日本百名山』の中で紹介している。
「ふと見上げると、すぐ頭上に黒岳のこごしい岩峰のそそり立っているのも見事だし、柱状節理の岩壁が数キロも続いて、そこに幾条も大きな滝がかかっているのも素晴らしい。大函・小函という長いゴルジュなど、はじめてこの谷に分け入った人々にはどんなに驚異だったろう」

旭山動物園を後に、北見へと通じる国道38号線を東へ走り、層雲峡へ向かう。層雲峡の温泉街を過ぎると、トンネルの脇にかつての道が廃道になって見え、その向こうに板状の岩盤が聳えている。滝の見えるところで車を止めて、川ふちの散策路を歩く。子どものころの記憶は薄れてしまい、ほとんど初めて見る滝である。散策路だけで3筋の滝である。空から落ちて来る滝とは、これを言うのだろう。切り合わせたような岩肌から、水が噴出しているような躍動感だ。

大函にきて廃道になったトンネルを見る。向こう側の入り口が、小さく見える。柱状節理にへばりつくような旧道は、やはり通るのに危険を感じるだろう。かっての土産店は姿を消し、車を止めて散策する人々の表情ものんびりとしている。昼食は英の手打ちそば。田舎盛りは、山形のあらきそばを思い出す。



泊りは朝陽亭、547号室。ホテルに入るころから本降りの雨になる。窓からのロケーションも雨に霞んで風情はあるが、少し残念だ。雨のなかで露天風呂に入る。頭に冷たい雨がかかるが、身体は温泉に温められてほかほかとしている。北の観光地でゆっくりと浸かる温泉に身も心も癒される。夜の懐石料理も、大勢で楽しむには上々である。



7日午前6時。降り残った小雨のなか、ロープウェイで黒岳5合目へ登る。その先は、リフトと登山道があるが、ここでの散策にとどめる。雨が上がり、展望台からときおり黒岳がそのこごしい姿を見せる。

日ざしが戻って山がきれいに見え出したが、カメラのバッテリーがなくなり撮影はここまで。「この先のトムラウシで8人の死亡者を出す遭難があったんだよ」従弟の一人が言った。2009年7月14日のことだ。この日、大雪山山系は悪天候に見舞われた。東京のツァー会社が主催したこの登山には、18名が参加、内10名は中高年の女性であった。

2泊3日の入山で、旭岳からトムラウシを縦断するコースであった。事故の前日の雨で、一行の体力は消耗していた。「ここで登山を中止して」という参加者の声も届かず、風雨のなかで体温を奪われた7名の女性が命を絶った。
黒岳のこごしい山肌を眺めながら、その眺望の美しさのうらに、厳しい自然の猛威があることを、いまさらのように感じとった。


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旭山動物園

2012年10月10日 | 旅行


9月6日は旭川の旭山動物園に行く。今年また入場者数で日本一の座を奪還した。東京など大きな人口を抱えた大都市の動物園とは違い、ここに人を集めるには、見る人を納得させるユニークな展示方法が必要になる。秋の3連休ということもあってか、園は人であふれかえっていた。特に人気のほっきょくぐま館は、「もぐもぐタイム」の入館を待つ長蛇の列ができていた。「もぐもぐタイム」というのは、餌を与えたときの動物の動きを間近で見る時間のことである。これも見せる動物園の工夫のひとつであろう。

フラミンゴや手長猿が園を脱走して話題になった。手長猿は自分で戻ったが、フラミンゴはさまざまな捕獲作戦にも失敗している。囮作戦で仲間のところに呼び戻そうと、檻にいれたフラミンゴを森においたが、そのうち2羽がキタキツネに襲われて死亡した。もはや打つ手なしの状況だが、こんな話題が客足の伸びに一役買っているのかもしれない。

動物園がこんなに面白いものだということが、初めてわかったような気がする。たった一枚だけのガラスを隔てて見る、北極熊の大きさには驚くほかはない。入場者はだれもが、ビデオカメラかデジカメを持参し、いつでもアップの写真が撮れるようにレンズを構えて待っている。地球の温暖化にために、この白熊が絶滅危惧種になっていることを知っただけでもここに来た意味がある。



ペンギンは泳ぐのをやめて、岩や砂利のうえで休息タイムをとっていた。カメラを近づけているから大きく見えるが、60㎝ほどの小さい体形である。5,6羽が群れをつくって歩いたり、観客を逆に観察している様子である。なかに1羽、カメラに向かってポーズをとるペンギンがいた。

オランウータンとテナガザルも展示されている。脱走したテナガザルが、大きな声で啼いていた。猿の声がこんなにも大きいとは。かつて唐の詩人李白は揚子江を舟で下ったが、
そのとき三峡のあたりで両岸狭まり、猿の悲しい鳴き声を聞いている。

両岸の猿声 啼いてやまざるに
軽舟すでに過ぐ 万重の山

と詠んでいるがこのテナガザルの啼き声を聞いて、李白が聞いたのはまさしくこの声に違いないと感じた。それほどに野太く、どこまでも響きわたる声であった。


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