奥穂高岳頂上からの穂高岳山荘までの下りは厳しい。写真のような岩の道を下って行くのだが、垂直の梯子や鎖場を疲れた足で下っていく。ピッケルの道標が山荘へ800mを記しているが、ここの800mは体感的には数キロに感じる。こうしてブログを書いているところに槍ヶ岳北鎌尾根で地震のために落石が起こり、7名の男女のパーティーが身動きがとれなくなり、県警のヘリで救助が行われているというニュースが飛び込んで来た。奥穂と槍ヶ岳は距離的にかなり近い。もし地震のときその場にいたとしたら、恐怖が身近に感じる。この度の山行では、3日間の短期保険に加入した。
小屋に着いたのは5時過ぎ。着替える暇もなく夕食となる。ストーブが燃えて、乾燥室でも温風が出っ放しだ。酒類は食事の時間だけ。ワンカップの日本酒を熱燗にして飲む。身体が熱燗が巡って温められて心地よい。
一夜明けて、登山の最終日は霧のなか。夜露と霧でまるで雨が降ったようにあたりがぬれている。下る道はザイテンクラード。初めて聞く言葉だ。急な岩場につけられた道に変わりはない。このドイツ語の意味は支尾根、主稜線から別れた支線のことだ。はるか下に涸沢ヒュッテの赤い屋根が見えている。日が登ってくると、霧の合間に涸沢カールの特有の地形が見えてきた。カールの日本語は圏谷。氷河の源流で形成された谷である。上から見れば半円状や馬蹄状の谷である。涸沢カールは日本最大のカールとされ、氷河時代、ここに氷河あったことの証しである。
カールのなかところどころ見える半円錐形の出っ張り。崖錐(がいすい)という。氷河の上に貯まった岩屑が落下しない傾斜に紡錘形の崖錐を作る。上部に土砂がたまって植物が根を張る。オンタデ、ハクサンイチゲ、オヤマソバ、シナノキンバイなど見られる。もとより崖錐 に近づいて見ることはできないが、その周辺には小さな植物の草モミジが白いカールに彩りと添えている。険しいザイテンクラートを下り切ると、難所は越えた安心感が広がる。涸沢ヒュッテで小憩の後、横尾から徳沢、そして奥上高地の長い探勝路が待っている。小屋から上高地まで25㌔。疲れた足には過酷な歩きだ。横尾の小屋でカレーライスを食べて、徳沢に来ると、もう最終バスの時刻が迫ってきた。足の疲労が限界に達しようとしてバスターミナル着。4時35分。