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御清水の森から刈田岳へと向かう森のなかに岩に彫られた三十三観音が2カ所ある。観音さまは、衆生を救うため三十三の身体に変身する。この地方でも、三十三の聖地に観音さまを安置して札所とし、そこを巡って絵馬を掲げて、願いをする巡礼、即ち最上三十三観音巡りが行われた。いつしか、一山に三十三体の観音を安置して一日で簡易巡礼ができる山ができ、ここ蔵王の麓には一カ所に三十三観音を彫って、ここでお参りをすれば巡礼と同じ功徳が得られるという便利なものができた。
観音信仰は現世利益を授ける万能の力を持ついう信仰である。千手千眼観音というのがある。千の腕と千の眼を持って一切のものを救う。威神力を示している。もっとも現存する千手観音の腕は40本であり、その掌にそれぞれ眼球がついていた。また観音さまの住む場所は、遠い南海の補陀落であるとされている。月山の東の麓に東補陀落という修験道場があるのも、この信仰と無縁ではない。南の海上が、岩磐や岩穴に置き換わっているのは、観音さまが古代からの自然神崇拝と観音信仰の融合の結果であるという説がある。
最上の第3番札所は七浦の千手院である。境内入り口にある老杉には「親子延命杉」という名札が掲げられ、小さな流れに掛る石橋には、「慶長16年最上義光公寄進行基開祖延命橋と刻まれている。
花を見て今やたおらん千手堂
にはのちくさも盛りなるらん 義光
老母のためにここを訪れた山形城主の最上義光。千手堂ㇸの信仰がいかに厚いものであったかを物語っている。歌を墨書した板札を寄進し、今日この札がいまも残されている。