常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

海の日

2023年07月17日 | 日記
今日、海の日。国民の祝日になる。今月の海の日と8月の山の日。従来、祝日のなかった日に設けられえたものだ。日本は古来、海から大きな恵みを受けてきたと、祝日にした意味が語られているが、どうも時の政権が人気取りに、祝日を増やしたということらしい。それにしても、今朝から、暑い夏の陽ざしが降り注いでいる。秋田の川の水位も大分下がったが、水にえぐらられた傷跡が生々しい。梅雨末期の雨や急激な気温の上昇、もうこの危険な季節をやり過ごすことなしに平穏な夏は来ないのかもしれない。

暑き日を海に入れたり最上川 芭蕉

芳賀徹の本、『詩歌の森』を手にとって見た。山形という山国で生まれた芳賀は、海の詩をほとんど選んでいない。わずかに、芭蕉が夏に見た酒田の海の句と唱歌「海」のみである。鳥海の森の高みから、蛇行する最上川を見たことがある。おそらく芭蕉が見た最上川も、蛇行しながらも激流であったであろう。梅雨時で水位のふくらんだ川の流れが、夕陽に追いつく様子を句に詠んでいる。「奥のほそ道」の芭蕉の句は、自然の大きさが息づいている。内陸で熱せられた大気が、川の流れとともに海に入ると、そこで冷まされて涼しい夕ぐれとなる。

思い出すのは少年のころ初めて行った小樽の海水浴。漁師の泊まる海の家の二段ベッドのなかの寒い夜。浜辺の波の音が、間断なく響いて眠りにつけない。寒い、こんな日に海に入ることができるだろうか。そんな不安が波の音と一緒になってやってくる。

私の耳は貝の殻から
海の響ひびきをなつかしむ (ジャン・コクトー)

海の浜辺の旅館に泊まっていつも思い出すのは少年の日に聞いた波の音だ。82歳の今も耳に残る遠い記憶。それは、何の変哲もない波の音である
コメント
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