吾亦紅
2019年09月19日 | 花
この秋、吾亦紅を見るチャンスが2度あった。秋になると、この花を見たいと思うのだが、なかなか見るチャンスがなく、野草園まででかけてやっと見ることができる。先日、詩吟の先生の玄関に、吾亦紅が花瓶に挿してあった。聞くと、近所のお宅の吾亦紅が風で倒れたので、頂いたものだと言う。今朝、散歩の途中で、コスモスがきれいに咲いていたので、写真に撮っていると、偶然にもその脇で枝を束ねられた吾亦紅が咲いていた。肉眼では、桑の実のように見える花だが、カメラのピントを合わせると、集合した花の一つ一つがきれいに見える。
枝岐れして何れか是なるわれもかう 漱石
漱石の対象を見る眼は細やかだ。枝が直角に枝わかれしているので、どっち行くべきか、吾亦紅に聞いている。それにしても、秋の花もたくさんあるが、吾亦紅は渋い花である。それだけに、この花を愛する人には、秋のあわれを感じている人が多いのではないか。後水尾天皇の梅の宮は、早くに母を亡くし、若くして出家した。奈良の円照寺は梅の宮が住んだ寺である。秋ともなると、秋草が咲き乱れ、梅の宮はそれらをことのほかいつくしんだ。父上皇へは、秋になると、一束の吾亦紅を贈ったという。
吾亦紅すすきかるかや秋草のさびしききはみ君のにおくらむ 牧水
秋には、牧水のこんな歌も心に響く。あれほど、青く繁った樹々も、少しづつ色をつけ始めている。山は華やいだ紅葉の季節を迎えるが、すぐに葉を落とし、雪のなかの眠りについていく。
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