常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

香川綾の朝

2021年07月11日 | 
香川綾は医学博士にして栄養学の先駆者。女子栄養大学の創始者で学長も勤めた教育者でもある。日本の栄養学への功績は、計り知れないものがある。手元に向笠千恵子『日本の朝ごはん』という文庫本があり、その中の一項に「香川栄養学園長香川綾」がある。全国に人を訪ねて、その人の朝ごはんを取材したレポート風の読み物である。取材した年は1992年、香川綾93歳の時である。取材場所に指定されたのは東京は駒込3丁目、とある小さな公園である。香川のいで立ちは紫のスポーツウエアに真っ白なラバーソールシューズ。早朝で人もいない。向笠を見るなり、「あなたよく起きれたわね」というと、ポケットから小石を14個取り出し、塀の上にならべ始めた。「この石の数だけ回るのよ」と言いながらどんどんとグランド状の公園の縁を歩き始めた。歩きながら取材を受けるということらしい。

向笠が質問をはじめるまでやや時間がかかった。香川は息の乱れる様子もなく質問にテキパキと答える。身長156㌢、体重58㌔。93歳にしては、立派な体格といえる。きりっと背筋が伸び、腰に位置が高い。髪がつやつやとして白髪もほとんどない。早朝から歩く老夫人の理想の姿だ。スタート地点まで来ると、両手を大きく広げて深呼吸、並べた石をひとつづらして回数を分かるようにする。早朝歩きは一年前から、その前はジョギング。「若いころは医者の不養生。仕事ばかりでスポーツどころじゃなかったのよ。こおーんなに太ってたんですから。70歳のとき、骨が固くもろくなっていると注意されましてね。一年発起して早朝走りだしたんです。」「一日でも休めば気がくじけるでしょ。生来暢気だけど、いったん決めたことはやり遂げてきたのよ。」歩きながら香川の話はぽんぽんと続く。

「不言実行。初めは10周、徐々に増やして14周にしました。血行不良で黒ずんでいた足の爪が三か月で治ったし、膝痛も消えた。老齢だって身体は蘇生するんです。もう90歳ではなく、まだ90歳。その気持ちが大事なんですね。」
香川が東大医学部に入局したころ、大正14年、学部では脚気予防のために胚芽米食を提唱していた。精米するときに胚芽の落ちにくい精米機を開発した。そして香川が研究したのは、胚芽米をどうすればおいしく炊けるか。「おいしいご飯の炊き方」のために水加減、火加減の実験をくり返し、その栄養価を確めるための動物実験。戦前の大学の研究室では、こんなにも基礎的研究が行われていたのかと、驚くばかりだ。

香川の話とは少し離れるが、自分の勤めた会社が入居していたのは米屋さんたちが作った食糧会館。そこで大家さんがしきりに推奨したのが胚芽米だった。普通の白米より多少高いが、栄養価も高いというので家庭で胚芽米を食べた。昭和40年代のころである。高度成長の時代は、健康とは程遠い、暴飲暴食をくり返していたが、時代は少しずつ健康志向へと向いつつあった。ウォーキング、登山など、自然を楽しむよりまず健康づくりがその動機であった。本棚の片隅に一冊の雑誌がある。「栄養と料理」2007年7月号。表紙には、特集手帳と食事と運動で おなかひっこめ大作戦。という文字が躍る。当時、高血圧や高血糖で、自分の関心はダイエットにあったようだ。巻頭を飾るのは、香川芳子「食べすぎ、燃料の使いすぎ 人にも地球の資源利用もダイエットが必要です」女子栄養大学学長の肩書が見える。香川綾の娘である。


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