カタクリ
2020年04月10日 | 花
里山を歩いていて、思いかけずに、懐かしい花に会うことがある。自宅から徒歩で行ける里山で、ひと群れのカタクリを見つけてうれしかった。山行であれば、斜面を埋め尽くすカタクリの群落の感動したものだが、それが叶わぬだけにその思いは何倍にもなる。カタクリには、どこかやさしい風情がある。ほかの花にさきがけて花をつけるのは、早春の太陽をひとり占めにしたいためである。お先に失礼します、という謙譲の姿なのであろうか。
カタクリという名はカタコユリを略したものとされているが、目立ちたがり屋のユリとは違って清楚な印象である。万葉集ではカタカゴの名で詠まれ、この根から採れる澱粉(片栗粉)は、古くその時代から利用されていたもであろう。
巌角につみてかなしもひと茎にひとつ花咲くかたくりの花 古泉千樫
里山にあるカタクリは、里人から採られる運命にある。この根から澱粉をとる人はさすがにいないだろうが、新芽や花を浸しにして食べる習慣があった。里山の群落が姿を消していったのはそんな事情があったであろう。花を見たいものからすれば、これを食べるということにはいささか抵抗感がある。
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