「これ、若い頃の土方歳三の姿だね~」と、ミモロは、「壬生寺」境内に今年7月に建立された土方歳三胸像に会いに行きました。
まずは、本堂へ向かいます。
「京の夏の旅」では、平安時代に作られた現存する最古クラスの地蔵菩薩立像(重要文化財)を祀る本堂が特別公開。また、新選組のだんだら羽織(復元)や土方歳三持っていた刀を作った十一代和泉守兼定作の刀剣なども見ることができます。(撮影できないので、あしからず)
さて、「壬生寺」は、その広い境内から、新選組の兵法訓練場となっていたそう。
いろいろな地域から志願してきた浪士を、将軍守護および京都の治安を守る組織にするのは、かなり訓練が必要だったのでは?
「この地域に住んでいた人たち、きっと毎日大きな音や声で大変だったかもね~」と想像するミモロ。
ミモロが次に向かったのは、池がある「壬生塚」と言われる場所。
「あ、近藤局長…」とミモロが駆け寄るのは、近藤勇の胸像です。
新選組ファンが、必ず訪れる場所のひとつです。
鳥羽伏見の戦いで敗れた新選組。江戸にもどった近藤勇は、名前を変えて再起を図るものの、捕縛され、彼の顔を知る人の近藤勇だとの証言で、板橋刑場にて斬首されます。その後、首は京都に送られ、三条河原で晒されることに。でも、その首は誰かに持ち去れ今も行方不明なのだそう。処刑された時、33歳の若さです。
「この胸像は、きっともう少し若い時のかもね~」と思うミモロです。
そして今年7月に「新選組160年」を記念して建立されたのが「土方歳三胸像」です。
「う?なんかイメージ違う…」とミモロ。そばにいらした観光客も同じように首をかしげています。
そうミモロたちがイメージする土方歳三は、「新徳寺」にあった絵のような姿。
でも、その姿は、箱館戦争の時のもの。つまり京都にいた時は、ちょんまげ姿であったはず…。
「そうか、これは、京都にいた時の姿なんだ~」と納得したミモロ。
土方歳三と近藤勇は、ほぼ同い年。亡くなったのは、近藤勇が処刑された翌年で34歳と言われます。
「え~と後、新選組160年関係の場所って…島原の「角屋」と「輪違屋」だね~。また日を改めて行こう~」というミモロです。
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