毎年の時期行われる文化財特別公開の「京の夏の旅」。今年のテーマは、新選組結成160年と世界遺産です。
ミモロは、さっそく新選組の屯所があった壬生エリアにやってきました。
「ここ初公開なんだって~」と訪れたのは、「新徳寺」です。
臨済宗永源寺派の寺院で、江戸中期、元文4年(1739)に建立。天明の大火で焼失し、現在の建物は、その後再建されたもの。
本堂の屋根は、丸みを帯びた形。
そして屋根には、猿が座っています。
ミモロは、境内を進みます。
普段は、ここの檀家さんしか入ることができない境内。
ガイドさんのお話によると…
幕末に、14代将軍家茂の上洛に際して、将軍護衛のために集めた浪士。文久3年(1863)2月23日、関東から234人の「浪士組」がここ、壬生に到着しました。その本部となったのが、ここ「新徳寺」。「浪士組」のリーダーが、庄内藩の清原八郎。
(絵の向かって左)
彼は、ここで「浪士組」の結成の目的を演説します。彼が目指すのは、「尊王攘夷」。
「え~新選組って、尊王攘夷思想の人たちと対立してきたんじゃないの?」と首をかしげるミモロ。
そう、初めに結成された「浪士組」は、尊王攘夷思想なのです。それに反発したのが、芹沢鴨や近藤勇、土方歳三です。
「組長・・・・」
近藤勇の肖像画に挨拶するミモロです。
「あ、土方歳三さんもいる~」
この肖像画は、絵を描くのがお得意の元ご住職の作品です。
「色紙も作ってるんだ~」
一枚一枚手描きの御朱印。
「表情や目つきが微妙に異なりますから、御心に沿うものを選んでください~」と。
「ここで、浪士の人たちに演説したんだ~。みんなどんな気持ちだったんだろ?」
今は、美しく整えられたお庭…このお寺に沢山の浪士が滞在していた時は、どんなだったでしょう。
さぁ、次は、壬生寺へ行きましょう
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