友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

世代論

2008年07月25日 16時39分10秒 | Weblog
 松阪から友人が来た時、秋葉原の事件が話題の一つに上がった。彼は49歳で、犯人の父親と同じ歳だそうだ。このところ、連続殺人事件が頻繁に起こっているが、犯人の親の年齢が50代前後だという。世代論で片付けることはちょっと無理があるかもしれないが、事件を考える一つの視点であるとは言えそうだ。

 60代の親は明治生まれか、大正生まれであろう。時代は貧しかったのに、西洋諸国に追いつき追い越せと頑張ってきた世代だ。50代の親は昭和一桁生まれだろう。子どもの頃は神国日本と教えられ、敗戦後の社会を復興し発展させてきた。どんどん豊かな生活を手に入れられることを実感してきた。子どもの時に教えられ形成された価値観は見事に否定され、かといって自分を納得させる価値観を築くことが出来ない。

 私の父は明治の末の生まれで、しかも教師だったから、戦前の価値観と戦後の価値観のギャップに戸惑ったと思う。正確もあると思うけれど、ほとんど何も自分の価値観を押し付けることがなかった。戦争には行っていないから、軍隊のつらさは知らないから、戦争の話は聞いたことがない。ただアメリカに勝てないと思っていたと話してくれたように思う。それよりも、戦後も戦争へと国民を駆り立てた人々が国の中枢にいることに私の関心を導いたように思う。

 私の母は、父よりも二つ年上で、さらに田舎の百姓の娘だが、母親の父に当たる人は勉強好きだった母に学問することを許したようだ。母の兄弟の中では母だけが進学している。母は父とは正反対で、行動的で積極的で感情的な人だった。母の口癖は「男はジェントルマンでなくてはいけない」と言うものだった。父も母も、勉強せよとか、これをしなさい、これはダメだ、ということはなかった。母は褒め上手で、私が庭弄りが好きでせっせと土を耕していると、「きれいな指をしているね。きっとピアニストになれるよ」などと言った。我が家にはピアノなどないし、そもそも私は鍬で土を耕しているのだから全く関係のない話だ。後から思うと、百姓の家に生まれた母は私を違うものにしたかったのだろう。

 親が子どもにこうしなさいと強制することはできないが、しかし、親が何を大切に思っているか、親の価値観を子どもに伝えることは大切なことだと私は思っている。親と子は、世代が違うわけだから、当然考え方や価値観も違うだろう。一致させることはないけれど、親であれば子どもに期待するものが何か、生き方として伝えておく必要があると思う。そうすることが、秋葉原のような事件の温床をなくすことになるのではないだろうか。

 NHKの朝の連続テレビ小説『瞳』の中で、「照れと意地っ張りがなければ、世間の親子はもっと幸せになるだろう」というセリフがあったが、そのとおりだと思う。
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