友だちがカミさんと二人で食事をしていた時のことです。友だちの家は子どもたちがそれぞれ独立してしまったので、今は夫婦二人だけの生活です。定年退職してからは、夫婦で晩酌をするのが恒例になっているそうです。
そんなある夜、二人はテレビを見ながらビールを飲んでいました。この日はお酒のつまみに、焼肉のサラダと刺身とそれにお寿司が一人前ありました。ビールを2本飲んだところで、カミさんが「ご飯食べる?」と聞いたそうです。彼は「食べる」と答えました。するとカミさんは「えっ、食べるの?お寿司食べたじゃないの!」と言ったそうです。彼はビックリして「食べちゃダメなの?」と聞き返したと言います。
馬鹿馬鹿しいような些細なことですが、人の思いというのは違うものだなと思う。私は車を運転する時は、できる限り主要道を走る。交通量が多いし、信号もあるから、なかなか進まないかもしれない。以前、私と一緒に働いていた女性は、信号で止まることを嫌がって裏道を走るコースを好んだ。私の友だちも目の前の信号が赤だとその手前で左折して止まることを嫌う。ウチのカミさんも全く同じ運転の仕方だ。
「裏道は何が飛び出してくるかわからないから、王道を行った方がいいんじゃないか」と何度言っても、「こちらの方が早いから」と聞き入れない。主要道を行くと確かに信号が多くて時間がかかるような気がするのは事実だが、本当に大きな時間差があるのかというと疑問だ。わずか、10分以内で行くようなところならば、その差はあっても1分以内だろう。30分かかるところでも、信号を避けて走ったところで、5分の差も生まれないかもしれない。
孫娘を水泳大会の会場へ送っていた時、私は国道を走って行ったけれど、出発点では私たちの前にいたコーチの車は抜け道を走って行った。朝早いこともあり国道は空いていたから、結局ゴールに着いたのは私たちの方が5分ほど早かった。時間にそんなに差がなければ、主要道を走った方が安全だと思うけれど、その判断も性格によるのかもしれない。
許せないなと思うのは、身障者用の駐車場へ健常者の人が平気な顔で停める時だ。誰もが会場の近くに停めたいと思うし、ましてや駐車場が満車だったりすると、空いているんだからいいだろうと思いたいものだ。そういう横着な人には「注意した方がいいんじゃないか」と言うと、カミさんは「見た目では判断できないわよ。どんな理由があるかもしれないんだから」と答える。これは正しい意見だと思う。
そんなある夜、二人はテレビを見ながらビールを飲んでいました。この日はお酒のつまみに、焼肉のサラダと刺身とそれにお寿司が一人前ありました。ビールを2本飲んだところで、カミさんが「ご飯食べる?」と聞いたそうです。彼は「食べる」と答えました。するとカミさんは「えっ、食べるの?お寿司食べたじゃないの!」と言ったそうです。彼はビックリして「食べちゃダメなの?」と聞き返したと言います。
馬鹿馬鹿しいような些細なことですが、人の思いというのは違うものだなと思う。私は車を運転する時は、できる限り主要道を走る。交通量が多いし、信号もあるから、なかなか進まないかもしれない。以前、私と一緒に働いていた女性は、信号で止まることを嫌がって裏道を走るコースを好んだ。私の友だちも目の前の信号が赤だとその手前で左折して止まることを嫌う。ウチのカミさんも全く同じ運転の仕方だ。
「裏道は何が飛び出してくるかわからないから、王道を行った方がいいんじゃないか」と何度言っても、「こちらの方が早いから」と聞き入れない。主要道を行くと確かに信号が多くて時間がかかるような気がするのは事実だが、本当に大きな時間差があるのかというと疑問だ。わずか、10分以内で行くようなところならば、その差はあっても1分以内だろう。30分かかるところでも、信号を避けて走ったところで、5分の差も生まれないかもしれない。
孫娘を水泳大会の会場へ送っていた時、私は国道を走って行ったけれど、出発点では私たちの前にいたコーチの車は抜け道を走って行った。朝早いこともあり国道は空いていたから、結局ゴールに着いたのは私たちの方が5分ほど早かった。時間にそんなに差がなければ、主要道を走った方が安全だと思うけれど、その判断も性格によるのかもしれない。
許せないなと思うのは、身障者用の駐車場へ健常者の人が平気な顔で停める時だ。誰もが会場の近くに停めたいと思うし、ましてや駐車場が満車だったりすると、空いているんだからいいだろうと思いたいものだ。そういう横着な人には「注意した方がいいんじゃないか」と言うと、カミさんは「見た目では判断できないわよ。どんな理由があるかもしれないんだから」と答える。これは正しい意見だと思う。