友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

何を待つのか

2008年07月28日 19時59分00秒 | Weblog
 人は待っている。暑さを凌ぐ雨を。近況を知らせる手紙を。メールの返信を。人は自分の努力だけでは何も手に入れられない。もちろん、その反対のこともある。孫娘が夢中になっている水泳やテストの結果は、何も努力せずには栄冠を勝ち取ることが出来ない。人の世界の中は、結果を得たければ努力しなくてはならないように出来ている。「待ちぼうけ」のように、ごろりと寝転がっていて、ウサギが手に入ることは現実社会ではない。

 だからみんなそれなりに努力する。孫娘は、小さい時から水泳をしていて、努力すれば必ずよい結果が得られることを体験しているから、努力することを惜しまない。しかし、中学2年生となった今、努力すれば何でもよい結果を得られるとは限らないことも中にはあることを薄々感じるようになってきている。

 暑いからといって、人は努力の仕様がない。相手のことが気になったとしても、じゃー自分が何をしたらよいのか、すぐに答えが見つかるわけではない。メールの返信のようなものでも、受け手がメールに気がつかなければ返信はない。受け手が私のようにケイタイそのものを机の上に置きっぱなしにしているかもしれない。

 人の世界は、みんなが努力すれば必ずよい世界になる。私はずっとそう思ってきたけれど、本当に人はそれだけの力というか資質を持っているのだろうか、そんな疑問を抱く時がある。人の善を私は信じているけれど、果たしてそこまでたどり着けるのだろうかと思ってしまう。

 同時代社発行の『松崎明秘録』を読んだ。元週刊誌記者の宮崎学と元動労委員長の松崎明の対談を本にしたものだ。松崎といえば、私のイメージは革命的労働運動の指導者あるいは革マル派の最高幹部というものだった。この本が必ずしも真実を物語っているわけではないかもしれないが、松崎を神格化していたのは私自身だったのかと知った。松崎は何も知らないと言うが、内ゲバの犠牲者に何も責任を感じない男だったことにはガッカリした。

 それとともに、人はこれからどこへ向かうのか、何が出来るのか、と思った。目標がなければ人は努力することも、手をつなぐことも出来ない。ただ一生懸命に祈るだけでは何ものも実現することはないだろう。

 今日は一日中、雷雨に見舞われた。涼しくなったが、また、明日からは暑くなると予報が出ている。
コメント (1)
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