友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人は誰も不完全

2008年07月30日 23時13分47秒 | Weblog
 夏休みだ。孫娘は全国中学生水泳大会愛知県大会に出場したが、自己ベストにも及ばない成績だった。身長が150センチにも満たないからスポーツ選手としてはかなり不利だと思うけれど、彼女はまだやれると思っていたようだ。それが、コーチからこれ以上やれば肩を壊すと言われたようで、そのショックは大きかった。

 そのせいなのかはわからないが、井上真央出演のテレビドラマ『花より男子』の再放送を録画したものをずっと見入っている。やはり原作がマンガだけに余りにも馬鹿馬鹿しくて、私は部屋を変えて他のテレビを見ていた。台湾の子どもが5人(?)、ガンになった母親のために飲まず食わずの生活をしているものだった。『花より男子』の世界とは全く違う、貧しさの中で必死に生きている現実がそこにあった。

 マンガだからまあいいかとは思うけれど、『花より男子』の道明寺司は最低な男だ。「道明寺司のようなバカな男を好きになったらダメだよ」と孫娘に言うのだが、「私が好きなのは井上真央なの」と孫娘は答える。私には井上真央が演じる娘も、その娘が好きになる道明寺司もそんなに差がないような気がするのだが、孫娘は「断然、真央ちゃんがいい」と言う。彼女の中の美意識というか人の評価基準というものはどうなっているのだろう。

 中学校の教師が卒業生から、「対面恐怖症になったのはお前のせいだ」と刺される事件があった。良かれと思って言った言葉が、相手には心の傷として残ることがある。教師は、生徒に対してはある意味で権力者だ。その一言が子どもたちに大きな影響力を及ぼすことだってあり得る。しかし、教師の側からすれば、毎日自分の放つ言葉の一つひとつにそれほど神経を使うことは現実的に無理だ。それはやはり、教師と子どもたちとの信頼関係に尽きると思う。

 子どもたちが教師に腹が立つのは、教師が完璧的な存在だと思うからだ。完璧ではないがいい奴だとか、努力はしているね、くらいの余裕で教師の存在を認めていれば、アイツも人間だものなと思えるし許せるだろう。私も教師だったから子どもたちの成績に評価をつけてきた。けれども、これは私の今の時点での評価であって絶対のものではないと話した。それをどれだけの子どもたちが理解してくれたかはわからないが、教師であっても絶対者ではないし、まして完璧な人間ではないことは伝わって欲しいと思った。

 人は誰もが不完全だ。不完全だから努力しようとするし、愛も欲しがる。愛を欲しがらない人は愛することもしない人だ。
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