友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間の歴史と個人のドラマ

2008年07月29日 21時42分07秒 | Weblog
 ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだのは、中学生の時だったろうか。社会にとって益とならない金貸しは悪い奴なので、殺してもかまわないと考えるラスコリニコフに共感するところがあった。人間には歴史を作り出す特別な人と、歴史が作られていくための材料となるためだけで生涯を終わる大多数の普通の人とに区別される、そのように人間を分析するラスコリニコフに共感した。

 歴史に名前を残す人は誠にわずかでしかないことは事実だ。けれどもよく考えてみれば、後の世界の人々がそのように記しているのであって、生きている人間はそれぞれに精一杯に生きていることも事実だ。そしてまた、どんなに歴史上に名が残っているにしても、ラスコリニコフが言うように、多くのその日その日を生きている人々が在ってこそ歴史はつながっていることも事実だ。

 ナポレオンは戦争したが、兵士がいなければ成り立たないし、自動車を考え出した人だけでは車は造られない。また人間の歴史もアリと同じだ。女王アリだけでは歴史はつくられない。もっとすごいなと思うのは、人類史が創られていくための材料となるためだけで生涯を終わる大多数の普通の人間にも、一握りの特別な人間と同じように、一人ひとりにそれぞれのドラマがあるということだ。どんなに華やかなあるいは幸せなあるいは悲しいことばかりしかないという人であっても、みんなそれぞれのドラマを持っている。これほどの素晴らしいものはないだろう。

 私の家は材木屋だった。祖父が創めたが、長男であった父は後を継がず、兄が跡取りとなった。いろんなことがあって、兄はこの材木屋を潰した。私は大学2年だったが、ある晩にいかにもヤクザ風な男が3人やって来て、「兄貴を出せや」と言った。金貸し業の人たちだった。保証人になったことから火の車となってしまったことも後で聞いた。私が兄から学んだことは4つある。決して人を恨まない。いつもロマンを求める。それから保証人の印は押さない。ギャンブルはしない。これを今も守っている。

 だから、保証人は断っている。金額の問題というより誓いである。「お金を貸して欲しい」と言う人には、自分の都合のつく範囲なら、カミさんには内緒で貸してあげた。お金にだらしない人は確かにいるから、そんな風に甘えさせない方が本人のためかもしれない。まだ半分しか戻ってこないが、私が用立てることで彼がつまらない気を起こさずに済むなら、役には立っているのだと思う。

 人の歴史は面白い。先のクラス会で介護士となって働いている女の子が「過去を見てもしょうがない。未来ばかり見てもしょうがない。今を大切に生きようよ」と言っていたけど、ホントにいいこと言うと思った。今を大切に生きるっていうことは、未来につながるということだ。それにしても介護をする人は明るい。明るい人だから介護が出来るのかな。
コメント (3)
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