友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暑さの中で

2008年07月26日 18時34分37秒 | Weblog
 茹だるような暑さである。地面から熱風が吹き上げてくる。目の前の建物も街路樹も、暑さの中でこのまま燃え出すのではないかと思うくらいだ。ジリジリと地上は火の海と化す。いや、一瞬のうちに地殻が割れてマグマが飛び出してくる。あるいは天上から火の玉が見る見るうちに空一杯に広がり落ちて来る。そんな妄想が現実のものとなりそうなくらい無気味な暑さだ。

 1週間後に始まる夏祭りに向け、打ち合わせを行なった。今年の出し物が決まり、誰が何を担当するか、そして準備を誰と誰がいつから行なうか、綿密に打ち合わせた。祭りは何が起こるか分からないから、これくらいしっかり打ち合わせをしておいても、当日になるとゴチャゴチャになってしまう。リーダーが一番大変だが、リーダー一人に責任を押し付けないところは、やはりこの会は大人の集まりである。

 打ち合わせを終えて、屋外に出るとそこはまるで地獄だった。夕方には、駅前の七夕祭りの視察に出かける。こちらの祭りは的屋さんが主流だから、今後私たちのような市民参加型が学ぶことも多くあるだろうとの判断だ。この熱さだから飲み物や冷たい物がよく売れるはずだが、何をいくらで売っているか見てこようというわけである。

 昨夜は、私が教員になって最初の担任となった時の子どもたちが開いてくれたクラス会だった。私が23歳で、彼らが15歳。クラス会は女子が5人で、男子が14人の参加だった。平日の夜の会だから、女子には出席しにくかったかもしれないが、何よりも働き盛りの男子が仕事を終えて駆けつけてくれたのは嬉しいことだ。私とは8歳違いだが、私よりも落ち着いた年上のような風格のある人もいれば、高校生の時は夢見る乙女だったのに、膠原病を発病し、障害のある子どもを抱え、さらに夫に先立たれ、苦労を全部背負い込んでしまったような人もいる。

 人生も60歳近くなると、本当に人様々だが、もっと私を感動させてくれたのは、一人ひとりが立って近況報告を行なったけれど、実に要領を得ていて誰もがうまかった。司会も高校生の頃は目立たない子だったが、上手に進めていくので感心した。「先生、このクラスで成績が一番よかったのは誰ですか?」と尋ねてきた子がいたが、高校を卒業して37年経ってみると、当時の成績などは何の意味も無いように思った。

 この時のスピーチで、「この先何が起こるかわからない。今日をしっかり生きることが明日につながる」というようなことを話した子がいたが、今日のような異常な暑さの中にいると、ますますそんな気がしてくる。悔いの無いように生きたい。けれど、人はいつも悔いが残るのだろうなと、暑さの中で考える。
コメント (4)
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