ショッピングモールを歩いていたら、聞いたことのある曲が流れていた。月曜日の夜9時からのドラマ『CHANGE』のテーマ曲だ。歌っているのはマドンナ。なかなかいい声だ。リズムも軽快で、それでいてなんとなくもの悲しい。英語の苦手な私には、耳で聞くだけでは何を言っているのかよくわからなかったが、英語を得意とする友だちがブログに彼流の和訳を載せてくれたから、そうかそういうことを歌っているのかと知った。
木村拓哉のドラマになぜマドンナの曲なのか、芸能通でもない私にはわからないが、心に入り込んでくるメロディーであることは確かだ。最後の出演者の名前が出てくるところでこの曲が流れてくるのだが、この曲とドラマのつながりはわからなくても、なぜか絶妙のタイミングの感じがする。政治家である木村拓哉の苦悩とマドンナの歌声がうまく絡み合っている。
『CHANGE』は始まった頃の4回までしか見ていないが、社会問題をシニカルにあるいはシリアスに掘り下げようというようなものではない。あくまで木村拓哉という俳優を使ったエンターテイメントである。ドラマのデキには関心がないが、私は自民党政治をよくとらえていると思うし、人々が木村拓哉のような政治家、もっといえば総理大臣を求めているのだろうなという点で、関心を持っている。どのような結末にするのかで、脚本家が何を考えているのかがわかるだろう。
主題歌であるマドンナの『Miles Away』の和訳を読ませてもらうと、それは遠距離恋愛(?)の歌のようだが、もっと言えば二人の心がfar away(はるか遠い)ということなのだろうか。「遠く離れていても二人の心は変わらない」とは、やはりテレビドラマ『猟奇的な彼女』の中のセリフだが、現実の世界では身近な人に恋するのが普通だ。遠距離であっても、絶えず会っていればまだよいけれど、目の前にいない人はどうしても薄くなっていく。
人の心は変わりやすい。だからこそ、会う機会が多くなければ関係は維持できない。じゃあ、夫婦は毎日会っているのだからいつまでも恋心が続くのかといえば、恋心が続く努力がなければ空気のような存在になってしまう。人を愛すると言うことは、そのための努力が要るということだ。努力もせずに、愛しているとか愛して欲しいとか、それは絵空事というものに他ならない。
マドンナはどんな気持ちでこの歌を歌っているのだろうか。友だちが「じっくり、詩の内容を味わってみると、私の今までの恋愛パターン、すなわち、初恋の人のときも、大学時代に知り合った人のときも、ひょっとすると、12年間付き合ってきた人とも、悲しいけれど、この詩の中にあるような恋愛関係の域を出なかったのかも知れないと思えてきた」と告白している。恋とはそういうものだろう。努力が要るということだと思う。
木村拓哉のドラマになぜマドンナの曲なのか、芸能通でもない私にはわからないが、心に入り込んでくるメロディーであることは確かだ。最後の出演者の名前が出てくるところでこの曲が流れてくるのだが、この曲とドラマのつながりはわからなくても、なぜか絶妙のタイミングの感じがする。政治家である木村拓哉の苦悩とマドンナの歌声がうまく絡み合っている。
『CHANGE』は始まった頃の4回までしか見ていないが、社会問題をシニカルにあるいはシリアスに掘り下げようというようなものではない。あくまで木村拓哉という俳優を使ったエンターテイメントである。ドラマのデキには関心がないが、私は自民党政治をよくとらえていると思うし、人々が木村拓哉のような政治家、もっといえば総理大臣を求めているのだろうなという点で、関心を持っている。どのような結末にするのかで、脚本家が何を考えているのかがわかるだろう。
主題歌であるマドンナの『Miles Away』の和訳を読ませてもらうと、それは遠距離恋愛(?)の歌のようだが、もっと言えば二人の心がfar away(はるか遠い)ということなのだろうか。「遠く離れていても二人の心は変わらない」とは、やはりテレビドラマ『猟奇的な彼女』の中のセリフだが、現実の世界では身近な人に恋するのが普通だ。遠距離であっても、絶えず会っていればまだよいけれど、目の前にいない人はどうしても薄くなっていく。
人の心は変わりやすい。だからこそ、会う機会が多くなければ関係は維持できない。じゃあ、夫婦は毎日会っているのだからいつまでも恋心が続くのかといえば、恋心が続く努力がなければ空気のような存在になってしまう。人を愛すると言うことは、そのための努力が要るということだ。努力もせずに、愛しているとか愛して欲しいとか、それは絵空事というものに他ならない。
マドンナはどんな気持ちでこの歌を歌っているのだろうか。友だちが「じっくり、詩の内容を味わってみると、私の今までの恋愛パターン、すなわち、初恋の人のときも、大学時代に知り合った人のときも、ひょっとすると、12年間付き合ってきた人とも、悲しいけれど、この詩の中にあるような恋愛関係の域を出なかったのかも知れないと思えてきた」と告白している。恋とはそういうものだろう。努力が要るということだと思う。