友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

許認可という権限

2008年07月18日 21時35分39秒 | Weblog
 やっとNPO設立の書類が受理された。相談に行ってから今日まで、合わせて5回足を運んだ。書類の手直しだけでも3回あったのだが、担当した職員の方に聞くと「だいたいみなさん同じですよ」と言う。許可をいただくということは手間ひまがかかるものらしい。審査が終わって、許可が下りれば今度は法務局で法人の手続きをするのだが、知人の話では「意地悪な連中ばかりで、鼻先であしらう」そうだ。他人の話だけで勝手なことを言うようだが、許認可権を持つものはどこも同じだなと思う。

 許認可権を持つ側は、間違いを恐れるからどうしても慎重になる。これは心理としては当たり前のことなのに、長く続くと「許してやる」意識が生まれてくるようだ。そもそもNPOのように、行政ではやりにくい部分を担う組織なのだから、むしろ積極的に育てる文字通りの相談があってもよいと思う。いや、NPOばかりでなく、どんなつまらないようなことであっても、行政は住民に代わって行なう組織なのだから、奉仕の気持ちを失って欲しくない。

 親は子に奉仕する立場ではないが、子に対して監督する立場にあるから、許認可権に近いものを有している。だから、どうしても子どもに対し間違いを恐れて慎重になる。ところが慎重さも度を超すと単なる嫌がらせとしか受け止められなくなってしまう。宇部市の中学2年生の男の子がバスジャックをしたのは、男女交際のことで親から叱られたことへの逆恨みのようだ。私も中学1年の時に好きな女の子が出来た。私が日記にその女の子のことを好きだと書いたら、その後で父親から「一人で付き合うのではなくグループで」と書いたメモがおいてあった。私たちの時代はまだ、そんな時代だった。

 私が高校の教員になったのは昭和42年だが、生活指導部から「あなたのクラスの生徒が公園でキスしていて、補導されているので注意してください」と連絡を受けたことがある。名前を聞いてビックリした。クラスで最も成績優秀な女の子だったからだが、逆に彼女がキスをするなら問題はないという気になって、本人には何も言わなかった。この他の学年でも「朝早く、学校に来てキスしている」と密告してくれたこともあったが、これも本人たちに注意する気になれなかった。何がいけないのか私自身が理解できなかった。

 今になって、当時、私のクラスだった女の子が、「SEXに興味あったから、ホテルへ行ったことがある」と話してくれ、これにはビックリ仰天した。それも「SEXは友だち付き合いの延長でしかなかった。遊びは20歳で止めました。人数?両手もないですよ」と言うからなおさらだ。親は子どもにどこまで干渉し、どこから自由にさせるのか、教師も役所の職員も同じ悩みなのだろうか。いつも引き合いに出して申し訳ないけれど、12年間も友だち以上恋人未満を続けてきた私の友だちは、自分が恋しているとわかっていながら、なぜキスはしなかったのだろう。

 教え子の女の子もこの友だちもどこかで線を引いているが、それは何だろう。いや二人に共通するものだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする