昨夜のテレビは大阪特捜検事の逮捕を一斉に伝えていた。愛知県知事選挙に、民主党県議団は早くから名乗りを上げていた石田衆議院議員ではなく、前の県総務部長を擁立するニュースは吹っ飛んでしまった。テレビを見ていて、「あれっ、確か今朝の朝日新聞に『検事、押収資料改ざんか』の見出しの事件だ」と思い出した。朝日新聞のスプークが検事の逮捕につながったのだ。早すぎる逮捕は識者が言うように、一検事の暴走が起こしたものとして幕を引きたいのだろう。
逮捕された主任検事は小沢一郎さんの金銭疑惑も捜査していたエリートだという。これは私の推測だけれど、この特捜検事は政治家が官僚を抱きこみ不正を行なっていることを暴き出し、糾弾することを使命と思っていたのだと思う。有罪となった鈴木宗男さんが「青年将校となった特捜検事」と言っていたけれど、政界の汚れが溜まってきているから、検察は政治家と官僚の腐敗を正すのは自分たちの役割という使命感を抱いていたのだろう。首相だって捕まえた検察である。出来ないことは何もないと考えていてもおかしくない。
権力を手にした者は権力に胡坐をかく。「しつけ」と言って子どもに暴力を振るう親は、自らの権力に酔ってしまった。社会では誰も自分の言いなりにならないが、家庭内では絶対者だ。暴言を吐き、暴力を振るっても、誰も止められない。検察は暴力を振るうわけではないだろうけれど、取り調べる側と調べを受ける側では天と地の違いだろう。絶望に追い込まれれば、どうにでもなれと思ってしまうようだ。だから検事はあらゆる手を使って、小さな矛盾から穴を開けていくのだろう。
実体の無い障害者団体へ許可書を発行した事実がある。これを政治家が官僚に働きかけて発行させたと大阪特捜の主任検事は思ったのだろう。思ったならば、その証拠を集めて、不正を暴きだすのが検事の務めだが、主任検事はシナリオの正しさばかりに目を奪われてしまったのかもしれない。仮にそうだとしても、シナリオに合わない部分を改ざんすればこれはれっきとした犯罪である。捜査は想定の下に進められるのかもしれないが、何よりも想定が正しかったことを裏付ける証拠集めが大事だろう。
昨日も、ある事件の審査会を傍聴した。行政が指名した委員が4人、行政の担当者が4人、利益を受ける者が2人、不利益を受けるため審査を申請した者が1人、事務局の職員が3人いた。最終弁論というか文書での申し立てに付け加えることはないかと委員長が尋ね、申請者が弁論し、他に発言がないことを確認して閉会となった。「これで、審査会は私の勝ちだ」と申請者は意気込んでいたけれど、言いたいことを言いたいだけ言わせて、申請は却下となるのではなかろうかと感じた。
権力の側は、権力に歯向かう者を許さない。権力の側が余りにもずさんで、是正しなければかえって権力に不利になるようならば、権力の譲歩はあるだろう。裁判も審査もいわば力関係のところがある。何が正義で何が悪か、誰の目から見てもわかるような事案でない限り、そう容易く権力は譲歩しない。力関係を変えていく手段として、裁判や審査を求めることはあるだろうが、権力は絶対的な力を持っていると思って挑むべきだろうと私は思っている。
逮捕された主任検事は小沢一郎さんの金銭疑惑も捜査していたエリートだという。これは私の推測だけれど、この特捜検事は政治家が官僚を抱きこみ不正を行なっていることを暴き出し、糾弾することを使命と思っていたのだと思う。有罪となった鈴木宗男さんが「青年将校となった特捜検事」と言っていたけれど、政界の汚れが溜まってきているから、検察は政治家と官僚の腐敗を正すのは自分たちの役割という使命感を抱いていたのだろう。首相だって捕まえた検察である。出来ないことは何もないと考えていてもおかしくない。
権力を手にした者は権力に胡坐をかく。「しつけ」と言って子どもに暴力を振るう親は、自らの権力に酔ってしまった。社会では誰も自分の言いなりにならないが、家庭内では絶対者だ。暴言を吐き、暴力を振るっても、誰も止められない。検察は暴力を振るうわけではないだろうけれど、取り調べる側と調べを受ける側では天と地の違いだろう。絶望に追い込まれれば、どうにでもなれと思ってしまうようだ。だから検事はあらゆる手を使って、小さな矛盾から穴を開けていくのだろう。
実体の無い障害者団体へ許可書を発行した事実がある。これを政治家が官僚に働きかけて発行させたと大阪特捜の主任検事は思ったのだろう。思ったならば、その証拠を集めて、不正を暴きだすのが検事の務めだが、主任検事はシナリオの正しさばかりに目を奪われてしまったのかもしれない。仮にそうだとしても、シナリオに合わない部分を改ざんすればこれはれっきとした犯罪である。捜査は想定の下に進められるのかもしれないが、何よりも想定が正しかったことを裏付ける証拠集めが大事だろう。
昨日も、ある事件の審査会を傍聴した。行政が指名した委員が4人、行政の担当者が4人、利益を受ける者が2人、不利益を受けるため審査を申請した者が1人、事務局の職員が3人いた。最終弁論というか文書での申し立てに付け加えることはないかと委員長が尋ね、申請者が弁論し、他に発言がないことを確認して閉会となった。「これで、審査会は私の勝ちだ」と申請者は意気込んでいたけれど、言いたいことを言いたいだけ言わせて、申請は却下となるのではなかろうかと感じた。
権力の側は、権力に歯向かう者を許さない。権力の側が余りにもずさんで、是正しなければかえって権力に不利になるようならば、権力の譲歩はあるだろう。裁判も審査もいわば力関係のところがある。何が正義で何が悪か、誰の目から見てもわかるような事案でない限り、そう容易く権力は譲歩しない。力関係を変えていく手段として、裁判や審査を求めることはあるだろうが、権力は絶対的な力を持っていると思って挑むべきだろうと私は思っている。