友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日は今日よりもよい日になりますように

2010年09月09日 21時58分00秒 | Weblog
 やはり台風一過、今朝は肌寒いほどだった。植木鉢は南からの風を想定して並べておいたので、今日のように北から強風が吹きつけると、ひっくり返る鉢があり後片付けが大変である。太陽の沈む位置も確実に南に移動している。しかも日の入りは早くなっている。暑い、暑いといいながらも季節は秋へと向かっている。今月末の土曜日かあるいは日曜日、小学校の運動会なのだろう。今朝も全校児童が揃って行進の練習が行なわれた。1年生のクラスなのだろうか、女の先生がグループごとに先頭に立って見本を示していた。

 今日は市議会の本会議で、一般質問が行なわれた。いろいろ相談にはのったけれど、傍聴は遠慮した。私は黒幕ではないし、影響力を持ちたいとも思わない。質問されたことには答えるけれど、ああだこうだと指摘したり、内容に踏み込むことまでしないと決めている。人はそれぞれに個性があるし、考え方や関心も違う。自分で考え、行動すればいい。「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」の仲間とならば、とことん議論することはあるけれど、それでも押し付けたりは出来ない。

 「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」は、あくまでも自分を切磋琢磨するための勉強会で、政党のような組織ではない。無党派・市民派ならば、来る者は拒まず去る者は追わずの緩やかなグループである。みんなの意見が一致すれば、先回のようなアピールも行なう。年に1回は大学の先生などを招いて公開講座を開いているし、みんなで先進地の視察にも出かけている。仲が良過ぎることがちょっと玉に傷なのかもしれないが、緩やかな組織性こそがこれからの政治にかかわる大事な要素ではないかと思っている。

 それにしても、民主党の代表選挙はかなりヒートアップしてきている。同じ政党なのかと思うほど相手を批判している。これも「緩やかな組織性」なのか、不思議に思う。名古屋市の河村市長と市議会は、お互いに論議を否定はしていないのに、全く相手を受け入れる余地はない。市議会は、河村市長の政策は市民に敵対するものであるならば、市長不信任案を成立させればよいものを、選挙になることを恐れて、市長の提案をことごとく否決あるいは修正して先延ばしにしている。河村市長が市議会の解散以外にないと吼えるのもよくわかる。

 何か分からないけれど、どうも世の中ギクシャクしている。景気が悪いせいなのだろうか。でも景気はよくはならないだろう。もう頂点に来ているわけだから、右肩上がりではない経済のあり方を模索してほしいものだ。経済のことは分からないけれど、どう考えても結局はプラスマイナスでゼロとなるのが経済の基本なのではと思う。誰かが儲ければ誰かが損失する。みんなが生きていくことができるような仕組みをつくることは政治の役割だ。

 明日は今日よりももっと暑くなると予想されている。明日もよい日になりますようにと祈るばかりだ。
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