友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『族譜』

2010年09月24日 20時06分06秒 | Weblog
 名演の出し物は、梶山季之の原作をジェームス三木が脚色・演出した『族譜』だった。族譜という言葉の意味は知らなかったけれど、譜は系統立てて書き記すあるいは記したものをいう意味だから、部族とか一族の歴史のことだろうと推測はしていた。重い演劇だった。人間は生まれて、働いて、生きていくだけならどうってことはないのに、生まれた時代や場所によって、その生き方は大きな「力」を受ける。

 1910年、大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を実質支配することになる。翌年、朝鮮総督府は府令を公布し、創氏改名を進める。演劇はそんな朝鮮の大地主の家を舞台に始まった。創氏改名を担当する日本人の役人にこの大地主は700年にわたる「族譜」を見せ、一族の当主としては名前を変えることは出来ないと説明する。役人は「創氏改名は思いやりなのです」と説明する。朝鮮人は日本国の臣民になったのだから、日本人と同じようにという思いやりなのだと話す。

 大地主は決して反日家ではない。むしろ、朝鮮が中国の属国であったことやロシアの脅威にあったことから、中国とロシアと戦った日本に敬意を抱いている。だから、総督府にたくさんのコメを献上している。けれども、名前を変えることはできない、それでは「族譜」を断つことになると訴える。役人は朝鮮名の一部を残して使えばいいと提案するが、大地主の思いはそんなものではなかった。

 やがて、大地主の「家族」に圧力がかかっていく。娘の婚約者は民族主義者のレッテルを貼られ、投獄されそして殺される。学校は国民学校と名前が変わり、日本人の先生は「朝鮮の名前の子は通学できない」と孫たちに宣告する。役人は創氏改名は義務ではあるが強制ではないと言う。学校の先生も子どもたちが差別されないように、早く創氏改名した方がいいと思って言ったのかもしれない。どんな風に言われようと言われた側の気持ちは分からない。こういう事態におかれると、日本人だけでなく誰もがこうなってしまうのかもしれない。

 私は強制されると余計に反発するところがあるから、こんな風にみんなが揃っている社会では生きていけない。本当に現在に生きていてよかったと思う。当時の日本では、戦争に反対することは許されなかったし、政府や軍部を批判することもできなかった。みんなが粛々と戦争勝利に向かって心をひとつにしていた。皇国日本の臣民であることを誇りに思うようにと、「世界でひとつの神国」と教えられ、『教育勅語』を暗唱させられた。同じことができない人間は「非国民」と罵られた。

 大地主は孫のために創氏改名に応じるが、自らの命を絶ってしまう。今、尖閣諸島の問題で中国は船長の無条件釈放を求めている。中国国内では強い反日の抗議が続いている。私の70歳の友だちは、「中国や韓国は話しなど出来る国ではない。自衛隊を出動させて尖閣諸島を守れ」と過激なことを言う。私には中国にも韓国にも友だちがいるが、とてもよい人たちだ。アメリカの友人もお人よしだ。「国益を守れ」では国と国の争いになってしまう。

 殺されるより奴隷でいいのではと言う私は「非国民」とつるし上げられるだろう。それでも人の死の上に「国益」を求めてはならないと思ってしまう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする