新しい菅直人内閣が発足した。閣僚の顔ぶれはよく知らないが、出発したからにはしっかりやってもらわないと困る。そう、何でもそうだけれど、決まったからには全力で取り組むことだ。それは他人の評価ではなく、自分がどうであるかということだと思う。他人は、「がんばっているね」とか、「まだやれるよ」とか、場合によっては「努力しているの?」とか、いろいろ言うけれど、自分が納得しているかだと思う。「一生懸命やって」と励ましてくれるけれど、どこまでやればいいのか誰も判断は出来ない。
たとえば、自分ではまあまあやっているかなと思っていても、他人は「凄くがんばっている」と言う人もいれば、「それでもがんばっているの」と言う人もいる。自分自身でもまあまあがんばっていることでも、80%尽くしたと思う人もいれば、50%しかやれなかったと思う人もいる。80%であっても50%であっても、それが自分の力だと思うならばそれでいいように気がする。がんばることの中身を判断するのは自分自身なのだから。
それにしてもこのところ、朝晩は急に涼しくなった。今朝は9時から上総掘りのための足場作りを行なったけれど、空を見上げると雲はひとつもない秋晴れだった。あの暑さから解放されるのだから当然もっと井戸掘りをがんばらなくてはならない。あちらこちらから、「いつ掘りに来てくれるのか?」と催促もされている。肝心なのは、この方法で掘ればいいという道具や作業が調わないことだ。これまでの私たちの井戸掘り技術では、濃尾平野のようなところではうまく出来た。ところが地盤が固い粘土層があるようなところでは突き進めない。それが突破できる技術と道具が必要である。
何でも一足飛びにはいかない。菅内閣も船出はできたけれど、実際の航海はこれからだ。大波が控えている。どう舵をとるのか、菅さんや岡田さんらの腕の見せ所だろう。そういえば、駅前で若い男が街宣車の上で演説をしていた。こんな田舎の小さな駅頭でもやるのだと思ってしばらく聞いていた。内容は中国への弱腰は許さないというものだった。その中で、先の戦争は侵略戦争ではない。アジア解放の戦いだったと話していた。話すというよりも書いたものを読み上げていたので、あの怒鳴るような演説調ではなかった。一方的に押し付けるというよりも読み聞かせる口調だった。
右の人は盛んに街頭活動を行なっているけれど、左の人は目立った活動がない。既成左翼に反対した新左翼と呼ばれた人たちは今、何をしているのだろう。時々、全共闘世代の感傷的な回顧本などが出たりはするが、全共闘運動は全くの花火だったのか。人の一生の中にも、荒れ狂うような時期もあれば満ち足りて穏やかな時期もある。世の中の動きもまたそんな風に移り行くものなのだろうか。民主党の代表選挙ではマスコミが小沢タタキのキャンペーンを行なったと週刊誌は書いていた。マスコミには当然のことだが中立はないから、どちらが首相にふさわしいかを暗に宣伝したのだろう。
繰り返すが、決まったからには全力でやる以外にない。
たとえば、自分ではまあまあやっているかなと思っていても、他人は「凄くがんばっている」と言う人もいれば、「それでもがんばっているの」と言う人もいる。自分自身でもまあまあがんばっていることでも、80%尽くしたと思う人もいれば、50%しかやれなかったと思う人もいる。80%であっても50%であっても、それが自分の力だと思うならばそれでいいように気がする。がんばることの中身を判断するのは自分自身なのだから。
それにしてもこのところ、朝晩は急に涼しくなった。今朝は9時から上総掘りのための足場作りを行なったけれど、空を見上げると雲はひとつもない秋晴れだった。あの暑さから解放されるのだから当然もっと井戸掘りをがんばらなくてはならない。あちらこちらから、「いつ掘りに来てくれるのか?」と催促もされている。肝心なのは、この方法で掘ればいいという道具や作業が調わないことだ。これまでの私たちの井戸掘り技術では、濃尾平野のようなところではうまく出来た。ところが地盤が固い粘土層があるようなところでは突き進めない。それが突破できる技術と道具が必要である。
何でも一足飛びにはいかない。菅内閣も船出はできたけれど、実際の航海はこれからだ。大波が控えている。どう舵をとるのか、菅さんや岡田さんらの腕の見せ所だろう。そういえば、駅前で若い男が街宣車の上で演説をしていた。こんな田舎の小さな駅頭でもやるのだと思ってしばらく聞いていた。内容は中国への弱腰は許さないというものだった。その中で、先の戦争は侵略戦争ではない。アジア解放の戦いだったと話していた。話すというよりも書いたものを読み上げていたので、あの怒鳴るような演説調ではなかった。一方的に押し付けるというよりも読み聞かせる口調だった。
右の人は盛んに街頭活動を行なっているけれど、左の人は目立った活動がない。既成左翼に反対した新左翼と呼ばれた人たちは今、何をしているのだろう。時々、全共闘世代の感傷的な回顧本などが出たりはするが、全共闘運動は全くの花火だったのか。人の一生の中にも、荒れ狂うような時期もあれば満ち足りて穏やかな時期もある。世の中の動きもまたそんな風に移り行くものなのだろうか。民主党の代表選挙ではマスコミが小沢タタキのキャンペーンを行なったと週刊誌は書いていた。マスコミには当然のことだが中立はないから、どちらが首相にふさわしいかを暗に宣伝したのだろう。
繰り返すが、決まったからには全力でやる以外にない。