友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

議会リコール署名とマスコミ

2010年09月19日 19時08分03秒 | Weblog
 名古屋市栄の交差点を通過した時、「議会リコールの署名をお願いします」の声が聞こえた。ここで署名活動をやっているのかと見渡したけれど、それらしい場所が見当たらなかった。スピーカーの方を振り向いてビックリした。議会リコールの旗が立ち、スピーカーが何台か歩行者の方を向いているけれど、人が立ってしゃべっているわけではなく、エンドレステープが回っているだけなのだ。しかもそれは「リコール署名をお願いします」の連呼を繰り返すばかりだった。

 友だちが中日新聞の「議会リコール」の記事は悪質だとブログに書いていた。私も新聞が意図的にリコール運動を非難しているように感じている。議会と河村市長の対立を、どっちもどっちだと言うような両方に「非」を与えるような報道の仕方が多いのも気になる。多数の市民の支持を得た首長がその政策をことごとく議会で否決されたなら、いったい市民の意思をどのように実現すればよいのだろう。議会ともっと話し合うべきだというのも間違ってはいないけれど、そこでキチンとした妥協ができなければ、議会リコールは当然のことではないだろうか。

 議会リコールはそれだけの議員を失職させることになる重大なことであるけれど、市民の利益と考える首長の政策が否決されるのであれば、議会リコールはやむをえないではないか。それに市民の利益を考える議員であれば、キチンとそれを説明し必ず当選してくるであろう。今の報道を見ていると、議員のほとんどは失職し河村支持の候補者が圧倒的に当選するような雰囲気だ。私は首長選挙と議員選挙はかなりねじれると思う。まだまだ、地域に民主主義は育っていない。議員は地域の利益を代弁するものだと考える市民が多いからだ。

 そこが、問題の発端なのだということをマスコミは捉えていないと思う。リコール運動に取り組んでいる側も、スピーカーでエンドレステープを流している現実を見ると人手不足のようだ。それに味方にしなければならないマスコミに対して、厳正に行なえない部分があるような開き直った態度を見せてはダメだ。中心になっている人たちの情熱と責任感を疑ってしまった。これでは36万人の署名集めは出来ない。集まった署名も選挙管理委員会の審査ではねられてしまうのではないかと心配になる。それなのに、「署名集めができればいい」などと平気で言うような人までいるのにはガッカリだ。

 20歳以上の人が誰でも平等に投票できるようになったのはまだつい最近のことだ。自分たちの国や地域を自分たちで治める。この制度は戦争に負けて、初めて生まれた。わずか60年ちょっとしか経っていない。国の制度も地方のあり方も、まだ試行錯誤中といえる。専制君主を作らないために議会に大きな権限を与えているけれど、議員には議会の権限を熟知しているとは思えないような人さえいる。市民は首長も議会もリコールすることができる。このリコール運動はよい機会だ。自治とは何かを考え、これからの自治のあり方を提案することこそがマスコミの役割だと思う。
コメント
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